101回目の関ヶ原 ~西軍勝つまでやり直す~

田島はる

プロローグ

慶長5年。家康は上杉景勝に上洛するよう要求するも、上杉景勝はこれを拒否。


これに際し、家康は諸大名に会津征伐の号令をかけることとなった。


太閤、豊臣秀吉が死去して2年。徳川家康が権力を集中させつつある混沌の時代。


一抹の不安を覚えながら、大谷吉継は佐和山城を訪れていた。不器用な友人を家康の元に参陣させるべく、説得に来たのだ。


「なあ、治部よ。いい加減意地を張るのは止めにせんか。これからは徳川の世となる。今内府殿に着かなくては、先はないぞ」


「…………」


「何もお主が出陣する必要はない。嫡男の重家を出陣させるだけだ。わしもついていく。何も問題はあるまい」


「…………」


「なあ、治部よ。何とか言ってくれ。お主の力になりたいのだ」


「……私は内府を討つ」


「……今、なんと言ったのだ」


「内府を討つと言ったのだ」


「正気か? お主が挙兵したところで、到底勝ち目はないのだぞ?」


「わかっている」


「内府殿はあの太閤殿下でさえ戦で勝てなかったお方。戦だけではない。知略でも、石高でも、お主が勝てる道理は万に一つもないのだぞ?」


「わかっている」


「内府殿に逆らうということは、改易どころではない。斬首ということだってあるのだ。それでもお主は挙兵するのか?」


「ああ。私の決意に一辺の揺るぎはない。そこでだ、刑部。無理を言うようだが……」


三成が言いかけたところで、吉継が手で制した。


「皆まで言うな。病に侵されて長くないのはわしが一番よくわかっている。ならばこそ、残されたこの命、お主のために使いたい」


吉継の言葉に、三成は強く胸を打たれた。
それと同時に、申し訳なさも込み上げてくる。親徳川派として、今まで積み上げてきたものを、すべて不意にしてしまうということだ。


「刑部……。いや、私から頼んでおいてなんだが、本当にいいのか? お主は内府と懇意にしていたはずでは……」


またも三成の言葉を制する。


「お主のために死んでやると言っているのだ。気にするな」


友人の心意気に、三成の目頭が熱くなる。自分は人から疎まれることが多かった。時には命も狙われた。だが、それを補って余りある、素晴らしい友人に恵まれた。


なればこそ、何が何でも内府に勝たなくてはならない。


この素晴らしき友人の心意気を不意にしないために。ひいては亡き太閤殿下の世を泰平のものとするために。


「しかし、治部よ。まさか、お主が表立って挙兵するわけではあるまい」


「……どういうことだ?」


「お主には人望がない。いかに内府殿を疎んでいようと、いかにこちらに義があろうと、お主の味方をする物好きも多くはあるまい」


「では、どうすればよいのだ」


「そうだな……毛利殿、あるいは宇喜多殿を盟主に推挙するのがよいだろう。お二方は内府殿と同じく大老。格としては負けてない」


「なるほど。さすが刑部だ」


「あとは日本中の諸大名にこちらの味方をしてくれるよう書簡を送るのだ。忙しくなるぞ」


「ああ!」


こうして、徳川家康を討つべく決起した西軍は、大阪城に入り、大名の妻子を人質とした。


8月1日、徳川家康の家臣、鳥居元忠が守る伏見城が落城。


9月15日、東軍西軍、両軍の主力が関ヶ原で衝突した。当初は西軍が優勢であったが、小早川秀秋が東軍に寝返ったことで、戦況は一気に東軍に傾いた。


小早川秀秋や寝返り組の猛攻に大谷吉継は自刃。右翼の崩壊した西軍に継続戦能力はなく、石田隊も敗走。
三成は付近の村落へ逃亡するも、捕縛され六条河原にて斬首された。享年41歳。のちの天下人、徳川家康に敗れた男として、歴史に名が刻まれる━━はずだった。



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