オートマティズモ

小林滝栗

第1話『新宿のボーイズ・ライフ』(4)

煙のカーテンがあがれば、奇っ怪な怪物がそこにいた。不思議と腐臭はしない。
何十人と熱狂していた人間は消え失せ、幾重にも連なる重いまぶたを床に這わせた、巨大なバケモノがヌーっとそびえたっている。
目から長い蛇が踊っている!
いや、無数のまぶたは凝固した涙にも視え、哀れさを演出する。
ムックリとした図体は毛に覆われ、その表面には脂汗が滴りつづけており、滝のようだが、爽快さはない。
みぶるいをすれば、周囲に液体が飛び散る。有害でなければよいのだが。
奥には逃げ損ねたアイドル女たちが、立ちすくんでいて、2本足の異物ーーツァイトガイスト「ボーイズライフ」と呼ぼうーーはゆっくり振り向こうとする。
背中ではスタッフたちが防音扉へと慌てる。アイドルたちは、見捨てられるのか。

3人は急ぎ、仮面を顔に当てる。
太古とも、未来から訪れる異星人ともつかぬ仮面の模様と形はそれぞれ独自であり、ライブハウスの時間を混沌とさせる。

「うぇっ!こりゃでけぇな。集合型か。」
「こんなの初めてですね」
「メビウス!弱点はなんだっ!このスペースだと思想獣は1体しか召喚できないぞ」
「フヒヒ、そう焦るでない。ワザップ!Vローダー!」
音声入力に感応して、メビウスの脳内に幼女の3Dイメージが浮かびあがる。3D?脳内に立体なんてあるのだろうか。
「ワザッープ、メビウス。どうしたん、悪霊サンかい?」
ヴィジュアルに反して調子のいいダミ声が鋭く響く。
初対面ではそのミスマッチに驚くだろう。Vローダーは、オートマティズモのローディーである。
AIか、裏側で誰か人が操っているかは、わからないし、さして重要ではない。当面。
「ワザップ、待たせすぎだ。ツァイトガイストだろう、それも巨大な」
「ホイホイ、画像解析にかけるからチヨイ待ち、デ、イ、ト、ナと。ほりや」
メビウスのワイヤレスイヤホンはワンオフで、光学センサーを搭載しており、もっぱらツァイトガイストの分析を担当する。Vローダーに支給された高級品だ。
Vローダーとの会話自体は3人とも可能だが、緊急時の混乱を避けるため、不用意な会話は避けている。
「ワザップ」がVローダーへと通信をつなぐ。
……もちろんVローダーの悪ふざけに介入されたりはする。

「うわ、こりや、ルサンチマン。ルサンチマンの集合体だよサネ。30人分はあるか。処理しきれない無防備な欲望が暴走して、ツァイトガイストへと昇華したんだネ。体表面に満ち満ちる脂は、たぶん、やばいヨ。人間を溶かすんじゃないかな」
「フン、アイドルオタクの寄せ集め。孤独を埋めるために群がり、届かぬ女を崇めるようで、実は男同士で傷を舐め合う、いびつなホモソーシャルのなれの果て。モテない欲求を爆発させるだけなら、シンプルだが、そうは割り切れない、誇らしげな結束。それが集合型のツァイトガイストなんてものを生み出してしまう」
「うぇっ、こいつら男同士の友情を確かめ合うために、こんな暑苦しいところに来てるのかよぉ。俺にはぜんっぜん理解できねぇわ」
「ダフさんは、そんな回りくどいことはしないですもんね」
「おま、俺がゲームの初期パーティだったら熱血戦士キャラで、バカで単純で涙もろくてどんなに経験値貯めても、MPゼロとか言うんじゃねぇよ!」
「……言ってませんけど」

『ルサンチマン』と括るのは、2020年には乱暴すぎる。Vローダーの無神経さは、ティーンの感覚を代弁はしない。20歳のポポルにとって、スクールカーストは歴史上の遺物である。
しかし、ライブハウスに集う男たちは、もう大人だ。
知性の発露としてアイドルを愛でていると擬態する。
性欲を知性のオブラートに包むなんて、ポポルにとっては欺瞞に他ならない。
巨大なツァイトガイストを眼前にして、
「こいつらは、性欲を女子に向けることもできないで、でも家ではアイドルの動画とアダルトヴィデオを同時視聴して、マスタアベイトしたりして、瞳から蛇腹の涙を流すって、ことかよ」
ポポルは衝動的な苛立ちの奔流を意識した。
少年は少女たちを見つめるふりしてそのじつ興味なんて毛頭ないんだっ。
かつての少年たちは、孤独を癒すため、欲望を胸に秘め、ツァイトガイストへとアセンションして。
こんな少年たちの人生ー『ボーイズ・ライフ』は新宿を血に染めるのか。
見捨てられたものたちの歌は、ステージの奥で怯える女子どもへの返歌なのか。
……うんざりする話だよ。

「ちっ、僕が思想獣を呼びます!援護頼みます!」
「オゥケェ、任せる!」
瞬間、ワイヤレスイヤホンに詠唱を開始した。
「マワリクマワリクスラジャヤサルダナパンナコッタ、出でよ!『ハンナ=アーレント』!」

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