オートマティズモ

小林滝栗

第1話『新宿のボーイズ・ライフ』(1)

「大寒波に備えよ! 諸君」

歩くだけで塩味の失せた汗がほとばしる、新宿バグザール、通称『新宿B』の午後3時。
7月にしては涼感の漂う言葉が、熱波のうねる歩行者天国に鳴りわたる。
じじつ、街の温度は上昇しつづけていて、100年のあいだに、データでは摂氏2度ほど。
社会主義エリアとはいえ、名ばかりの国営企業が開発を強行するのだから、摩天楼とアスファルトのアンサンブルは体感温度をはねあげる。
初夏のトキオグラードは地獄の坩堝だ。
「わ、われらが革命を選択し、、、 東京がトキオグラードへと進歩を遂げ、すすでに75年であります。シュシュシュ主体的意識こそがこの難局を乗り越える唯一のど、道具でして」

書記長のセリフはオルゴールのごとく、不思議なつまりをみせる。しょせんは原稿を読んでいるのだろう。
街ゆく人民は無関心を肚に決めて、プログラムされたかのように行動しつづける。

「むむぅっ、感じるぅぅ…… 感じるぞ!」
午後3時、小型のサーキュレーターが孤独な回転音を満たす地下スタジオで、ダフの感性は高まり、ワイヤレスイヤホンに指を当てた。
新宿Bからほどよく離れた中野スタンツィヤ、つまり『中野C』の外れ。ポポルとダフ、そしてメビウスの3人は共同生活を送っている。

「お、出ましたか! どの辺ですか?」

ポポルの丁寧な口調は、嫌味を感じさせない。ポポルは素直な謙虚さと知性へのリスペクトを欠かさない、最年少。内心は毒舌なのだが。
「フ、ずいぶん時間かかったな。書記長殿の会見も、終わってしまうぞ」
辛辣なメビウスは、嫌悪感を隠さない。批判精神の鎧を纏う。

オートマティズモはライブをやらない、ロックバンドだ。動画ストリーミングサービスで楽曲を発表する。

天井の高いコンクリート打ちっ放しの地下室で、3人は仮面をかぶる。
密林に包まれた奥地で発見された部族が使うような、面妖な仮面。
ポポルの仮面は細長く、漆黒に覆われ、目と口には穴が空いている。
目は垂れており、口は不気味に笑う。
口からは静かで、少しかすれた歌がきこえる。

「書記長殿も飽きないねぇ」
「フ毎週毎週会見すれば、人民の人心をコントロールできると、ザ・パルタイらしい思考停止だ」
「ほんと、いつもいつも緊急事態緊急会見。今日はブリザードですか」

気高き革命も、数十年経てば、形骸化する。一党独裁は官僚制の衆愚に陥り、教条主義もエコノミックな要請の前に形だけのものとなる。宗教の否定は企業や新宗教への信仰に変容した。書記長の定期会見に耳を傾ける人民などごくわずか。
それでも、極東の島国では人民が主義主張に溺れることはないし、穏やかなる思考の死と生活の安定をトレードオフにかけるのである。
ISMへの傾倒はカルトと見做される。そう、オートマティズモはカルトなのだ。

「新宿…… 『新宿B』の方向だな」
「近いですね!」
「そうねぇ…… まだ反応は弱いが、ぼちぼち向かいますか」
「フン、おおかた夜の街で馬鹿が暴れ出すんだろう。ツァイトガイストの典型だな」

「ツツァツァイトガイストの恐ろしい点は、は、は、は発熱などの症状が全くないにもかかわらず発生する人が多いことです。」

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