Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

chapter,5 シューベルトと婚約の試練《5》




 紫葉不動産本社からほど近い場所に位置する壮大な多目的ホールを貸し切り、立食形式で行われるという紫葉グループ創業三十周年記念の祝典には、五百人以上の業界関係者が集まるという。なんのパーティーかも詳しく知らされていなかったわたしは、創業記念だというアキフミの言葉に開いた口が塞がらない。

「会社のパーティーとしか聞いてなかったんだけど……規模が、大きくない?」
「……五百人規模のコンサートか。想像以上にエグいな」

 まぁ、ネメなら大丈夫だろう、とアキフミは言うけれど、五百人規模のコンサートなどそうしょっちゅう行えるものでもない。わたしがピアニストとして活動していた頃は、百人程度の小ホールが基本で、多くてもせいぜい定員二百五十人の中ホールでオーケストラと一緒に演奏をするような感じだった。海外で父親と一緒に五百人以上の大ホールで演奏したことが一度だけあるが、あれは音響設備が整ったコンサート専用の施設だ。
 今回のようにコンサート会場でもない多目的ホールで五百人以上の来客の前でピアノ演奏を披露するなど、思いもしなかった。せいぜい百人程度のパーティーで余興代わりに一曲披露すればおしまいだろうと、そう単純に考えていたのだが……
 舞台の中央に設置されたピアノの威圧感に、わたしは何も言えなくなる。この日のために章介がレンタルしたというグランドピアノは、すでにアキフミの手で調律済みだ。
 このホールの主役然とした輝きを放っている黒いピアノの周囲には、いまの季節にぴったりな黄色と橙色の八重咲のひまわりが飾られている。突如設営されたピアノの発表会の会場に、訪れたひとびとは何事かと興味津々だ。

「パーティーの進行状況から、親父がお前をいつ紹介するかはわからない。名前を呼ばれたらすぐ弾けるように準備しておけよ」
「わかってる」

 指定された座席の存在しない立食パーティーなので、わたしとアキフミはピアノ間近にある荷物置き場の傍を選んだ。十八時からはじまり二時間ほどで終わる予定だというが、章介からの指示ーーアキフミの婚約者として認められるためのピアノ演奏ーーがいつ来るかは知らされていない。
 徐々にスーツやフォーマルドレスを着た客の姿が増え、アキフミも声をかけられては名刺を交換したり、歓談に応じたりしていた。
 わたしの存在はまだ秘密なのか、彼らに問われてもアキフミは応えなかった。ただ、「星空色のドレスを煌めかせて白銀の蝶を髪に舞わせたミステリアスな女性が君の花嫁になるのかい?」と金髪碧眼の男性紳士に親しげに問われたときだけ、彼は勝ち誇った表情でわたしに聞こえるようにきっぱり告げたのだ――Yes。

 ――my wife is everything to me.わたしには妻がすべてだと。


   * * *


 パーティーがはじまり、紫葉グループ総代表紫葉不動産社長を讃える声とともに乾杯の音頭が取られる。ピアノを弾くわたしはノンアルコールのシャンパンをアキフミに持ってきてもらったが、いつ自分の出番が来るのかわからない緊張で口にしても清涼感を味わえずにいた。
 客層はモノトーンカラーのスーツを着た男女が大半だったが、晴れ着姿やフォーマルなカラードレスを着た若い女性の姿も目立つ。もしかしたら彼女たちはこの場で素敵な出逢いを期待しているのかもしれない。アキフミの花嫁探しの噂は収束しつつあると立花は言っていたが、実際にわたしたちが婚約を報せない限り、社長夫人の座を狙う女達が素直に身を引くことはないだろう。
 それだけ、アキフミは注目されていた……良い意味でも、悪い意味でも。

 一部の人間からは義姉から会社を奪った後妻の連れ子、と腫れ物にふれられるような扱いを受けているにも関わらず、アキフミは平然としていた。その隣にいるわたしのほうがおどおどしてしまい、逆に不審がられる始末だ。
 そして宴の中盤、ほどよくお酒が入ってきたところで、わたしは章介に名を呼ばれた。

「こちらの美しい女性が、息子の選んだ花嫁としてふさわしいか、皆様にジャッジしていただきましょう」

 ネメ・カブラギ、と久々に呼ばれてわたしの身体が凍りつく。
 心配するアキフミに「だいじょうぶ」と視線で伝えて、わたしはその場で深呼吸する。
 だが、そんなわたしを嘲笑うように、もうひとりの女性の名が、章介の口から飛び出す。

「ウタ・タガミヤ。貴女にも挽回のチャンスをあげましょう。どうぞ、舞台へ」

 アキフミと見合いをした多賀宮詩は、章介の言葉に頷き、くるりとわたしの方へ顔を向ける。
 裾の長いマゼンタ色のドレスを引きずる彼女は、アキフミににこやかに笑いかける。

 ――これじゃあどっちが婚約者かわからないじゃない!?

 詩はわたしとアキフミに軽井沢で矜持を傷つけられたことを根に持っているのだろうか。いまさら本気でアキフミの妻の座を求めるとも思えないが……

「礼文さまの心が貴女にあっても。社長夫人となるもののふるまいでしたら、負けませんわよ」

 そして我先にとピアノの椅子に腰掛けた彼女は、勢いよく演奏を開始する――……

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