Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

chapter,5 シューベルトと婚約の試練《3》




 東京駅に到着すると、改札口でアキフミの秘書の立花が待っていた。本日の会食場所兼わたしたちの宿泊場所となるホテルまで車で送ってくれるという。西陽が眩しい午後五時の雑踏を横目に、わたしとアキフミは荷物を車に乗せていく。

「わざわざすまない、立花」
「いえ。須磨寺氏の遺言書が無事に発見されたことで、こちらも希望の光が見えてきました。章介社長と奥様との会食で音鳴さんを紹介したのち、このまま婚約発表までスムーズに行いたいと」
「こ、婚約発表……デスカ?」

 結婚の許可を得て、とりえず入籍だけ済ませ、相続の手続きに戻るものだと思っていたわたしは、立花の言葉に目が点になる。わたしの反応を見て「お話されていなかったのですか?」と恨めしそうにアキフミを見つめる彼女を前に、彼は「言わなくてもわかっていると思っていたんだ」と悪びれもせず言い返す。

「アキフミ、言わないとわからないよ……」
「そのようだな。では今から言っておく。三日後にグループ会社のお偉い方が揃うパーティがある。俺はそこでお前との婚約を表明する」
「……するつもりだ、じゃなくてする、なんだね」

 彼のなかでは決定事項になっていたらしい。わたしはもはや呆けた顔で彼を見つめることしかできない。

「なあに。お前は俺の隣で幸せそうに笑っているだけでいい。心配するな」

 やがて車がターミナルを出発する。約束の時間までまだ二時間はあるが、先にホテルにチェックインして身なりを点検したいし、荷物の整理もしておいた方がいい。アキフミも両親に逢うためにスーツに先日購入したピンクのネクタイをつけていくと言っていた。わたしも今のリゾートワンピースよりフォーマルな服装に切り替えた方がいいだろう。
 心臓がどきどきしている――いよいよ、アキフミの両親とご対面だ。


   * * *


 スーツケースのなかから取り出したのはユリの花の立体刺繍が施されたハイウエストのロングプリーツスカートタイプの皺になりにくいエレガントなフォーマルドレス。コンサートで着るには地味なオリーブグリーンの色合いだが、食事の席で着るには上品で落ち着いた印象に変化する。
 アキフミはグレーカラーのスーツにわたしが選んだピンクのネクタイをつけている。まるで結婚式の二次会に参加するみたいだった。

「まあ、貴女がネメさん……悪いわねぇ、アキフミがどうしても彼女じゃないと結婚しないって」
「お袋」
「あたしは反対しないわよ。アキフミが選んだ娘さんですもの。ただ、覚悟は決めていただかないと……ネメさんは、紫葉グループの子会社の社長になった息子と、添い遂げる自信はある?」
「――もちろんです」

 妖艶なワインレッドのロングドレスが似合うアキフミの母親は無邪気なひとだった。彼を十代のうちに出産し、さまざまな男性とお付き合いを繰り返した後、いまの夫と運命の出逢いをしたという。よく言えばロマンチストだが、子どもの頃からさんざん振り回されたアキフミは、自己中心的で楽観的な尻軽女だと辛辣な評価をしていた。このひとが自分の義母になるのか、という不思議な気持ちになったが、アキフミの意志を尊重してくれるという正直な彼女の言葉に、嘘は見られず安心した。

「アキフミ。彼女は“星月夜のまほろば”の前所有者である須磨寺喜一の後妻だと聞いたが……?」

 その一方で、怪訝そうな表情を終始浮かべていたのがアキフミの義父で、紫葉グループを統べる紫葉不動産社長紫葉章介だった。彼はまだ、遺言書の内容を知らされていないのだろう。ただ、息子が妻にしたい女性がいると知らされただけで。

「彼女の戸籍に傷は何一つついていません。こちらが証明になると思います」

 アキフミはわたしの戸籍謄本と夫の遺言書のコピーを取り出し、義父へ差し出す。わたしの身元などすでに調査済みであるはずなのに、彼はアキフミの真剣な表情に圧されて二枚の書類へ目を通す。

「……亡き須磨寺氏がそれでよいというのなら、問題はないだろう」
「ありがとうございます」
「ただし。三日後のパーティーで試させてもらう」
「……え?」
「元ピアニストなのだろう? クライアントを喜ばせる演奏を我々に披露してくれ」
「親父」
「アキフミ。パーティーの席にはお前が泥を塗った多賀宮商事の社長一家も来る……彼らを納得させられるだけの技量が彼女にあるのなら、別に問題ないだろう?」

 章介の挑むような瞳に射られて、わたしは硬直する。
 彼は鏑木音鳴がピアニストを退いた理由を知っている?
 大勢の人前でピアノを弾くことができなくなって、軽井沢に隠居同然の身になったわたしを表舞台へ引きずり出して、紫葉リゾートの社長の妻としてふさわしいかジャッジしようとしている。

「もし、弾けない、と言ったら……?」
「アキフミの妻としては認めるが、紫葉リゾートの社長夫人としての器は足りないと判断する」
「……どういう、ことでしょうか」
「入籍は認めない。須磨寺氏のように内縁の妻として軽井沢に囲っておけばいい」
「ネメを愛妾にしろというのか!?」
「待ってアキフミ。大丈夫だから」

 激昂するアキフミを見て、わたしは自分の心を落ち着かせる。
 ピアニストを辞めてから、わたしは身近な人間にしかピアノの音を聴かせていなかった。
 いま、大勢のひとを惹きつけられるだけの演奏ができるかはわからない。けれど、アキフミとの婚約を認めてもらうためには、この試練がどうしても必要なのだ。
 ――ならば、わたしがすることはただひとつ。

「わかりました。三日語のパーティーで、ピアノを弾きましょう」

 ほかならぬ、愛するひとのため。

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