Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

chapter,5 シューベルトと婚約の試練《2》




 夫の遺言書を無事に発見し、アキフミとやさしい一夜を過ごした朝。
 わたしはコテージのキッチンに立ち、慣れない朝食づくりに悪戦苦闘している。

「無理しなくてもいいのに」
「き、昨日はアキフミが作ってくれたから、今日はわたしが作るの!」

 冷蔵庫のなかには月曜日の午前中にアキフミが手配しておいてくれた食材が詰め込まれていた。地元で採れた新鮮な葉物野菜や卵、ショルダーベーコンに新鮮な牛乳、旬のフルーツ……ふたりで食べきれるか不安になるほどの量だったが、彼は余ったら屋敷に持って帰るから心配するなと笑っている。
 彼を驚かせたくて、わたしは一人暮らし時代によく調理した簡単で見目のよい目玉焼きを作ることにした。アキフミが屋敷から持ち出していた着替えと一緒に用意されたエプロンをつけて、準備をはじめる。
 まずはベーコンを横長に切って半分にしたものをずらしながら円形の型をつくり、フライパンで固める。そこへ卵を割り入れて水を入れたら蓋をして待機すること約三分。卵の白身が固まったら塩コショウで味付けをし、器に盛りつけて完成。
 かわいらしいベーコンカップに入った目玉焼きを見て、アキフミが感嘆の声をあげる。

「器用だな」
「そんなことないよ。目玉焼きの応用だもの」

 ふふふ、と笑いながらわたしはベビーリーフとミニトマトを周囲に散らし、飾り付けを完成させる。シンプルなトーストとベーコンエッグに三種のベリーのフルーツヨーグルト。これにコーヒーを足せば、完璧なブレックファスト。
 今朝の彼は白い半そでシャツにブラウンのチノパンを履いている。対するわたしはアキフミが選んだエメラルドグリーンのシフォンワンピース。箪笥の肥やし状態だったワンピースを発掘した彼は、こういうときだから着てほしい、と言って手渡してきたのである。
 リゾート感のあるファッションをするのは久しぶりで、なんだか恥ずかしい気分になったが、彼に似合うと言われると嬉しくて、浮かれてしまう。

「いただきます」

 ふたりで手を合わせて食べるしあわせいっぱいな朝食。トーストには地元の乳牛で作ったバターをたっぷり塗って。目玉焼きはアキフミがすきだという半熟にしたから口のなかで濃厚な黄身がとろりとほぐれていく。ブルーベリー、ラズベリー、クランベリーをいれたヨーグルトも甘酸っぱくて素材の良さが存分に感じられる。

「もうすこしここでゆっくりしたいが、そうも言っていられないな」
「え、どうして?」
「遺言書が見つかったんだ。俺は須磨寺からネメを嫁にしてもいいと許可を得たも同然。あとは俺の両親にお前を紹介して……」
「ちょ、ちょっと気が早いよ。まだ夫が死んで半年も経ってないのに」
「世間的には百日経過してるんだから問題ないだろ。それに相続の手続きに入る前に入籍だけでもした方がいいぞ。須磨寺の遺産を相続してから俺と結婚するとなると相続税の支払いがお前に向く。俺の庇護下に入っていればこっちで費用を捻出できるし、お前から土地とピアノを買い取る金が税金に変わるだけだ」
「……そういうもん?」

 法律の話をされると弱いわたしは結局アキフミに言い負かされて、近いうちに東京にいるという彼の両親に挨拶に行くというはなしを承諾させられるのだった。


   * * *


「添田さん、留守の間よろしくお願いします」
「おまかせください、奥様」

 結局添田はこうなる展開を予想していたのだろう。前に仕えていた主人の遺言書の内容を告げれば、心の底から安心した声で呟いたのだ。

「やはり、奥様は奥様でしたね」

 わたしがアキフミの奥様に収まり、何事もなく土地とピアノが相続される未来に異論があるわけもなく、彼はふだんどおりにわたしとアキフミに接しつづけている。

「……なんかまだ、実感が湧かないんだけど」

 JR軽井沢駅ホームで東京行きの新幹線を待つわたしを見て、アキフミが苦笑する。

「自家用車で行くことも考えたが、いちいち車を停める場所を考えるのが面倒だったからな。添田に頼んで二人分の指定券を取ってもらったよ」
「アキフミって一度決めると動くの早いよね」

 高校のときから彼の決断力の早さには唸らされたものだ。退学を決めたときの諦めの良さには驚いたが、その後も彼はわたしとの再会を夢見て大検を取得したり調律師の資格を取ったり、わたしの所在を知って社長になったり夫と接触したりと目まぐるしく動きつづけていたのだ。
 九年もの間、初恋を引きずっていた彼と、初恋を眠らせていたわたし。
 ようやくふたりの想いが現実になろうとしていることを考えると、感慨深いものがある。

「時間は有限だからな」

 コテージを後にしたアキフミは、屋敷に戻って開口一番「東京に行くから切符の手配をしろ」と添田に命じた。三号棟のリビングに飾られていたピアノの油彩画の額縁の裏から発見された遺言書を見せれば、筆跡から亡き主人のものだと理解した添田は、アキフミの両親からも結婚の許可を得るためわたしたちの東京行きを承諾、一足先に戻っていたアキフミの秘書である立花とともにスケジュールの調整に奔走した。
 立花はアキフミの両親に事情を説明してくれていた。義父と母親は実際にふたりが結婚の許可をもらいに訪ねてくることを意外に思ったらしい。それだけ彼が本気だと理解したのか、逢うための時間をわざわざ確保してくれたとの報告が来た。
 今夜七時に都内ホテルのレストラン。わたしがピアニストのときに何度か演奏で訪れたことのある場所だ。向こうにもわたしの正体はすっかり露見しているということだろう。

「両親はきっと、お前を気に入るさ」
「そうだといいんだけど……」

 遺言書のお墨付きをもらったアキフミは自信満々だ。なるべく早いうちに結婚したいとすでに婚約後のさまざまなことをあたまのなかでシュミレーションしている。社長の妻として迎えられるということは、結婚式の規模も並大抵のものではない気がする。
 彼と一緒なら何があっても起こっても大丈夫だろうと思うが……それでも一抹の不安を感じてしまうのも事実で。
 わたしは東京へ向かう新幹線のなかで、ひとり物思いに耽るのだった。

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