Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき細雪

chapter,4 シューベルトと初恋花嫁の秘密《1》




 ドビュッシーの「月の光」を淋しそうに奏でていたアキフミに「すきだ」と告白されたわたしは、自分の気持ちがすでに彼のモノになっていることを悟ってしまった。亡き夫への罪悪感よりも、彼とともに未来を創りたいと希う気持ちの方が、日に日に強くなっていたことを思い知らされて、感極まって涙してしまう。
 そのまま寝室に抱っこされたまま連れていかれ、いままで以上に甘くて手放しがたい彼との夜をわたしは過ごした。夕方のお仕置きとは違う、名残惜しくなるような時間だった。
 次の日も、その次の日も。ピアノを弾かせてもらえないほど、彼はわたしの身体を奏でつづけた。もう、手放さないと、アイシテルと囁かれた三日目の夜。
 わたしはついに、彼の求婚に「是」と頷いた。


   * * *


 わたしが観念して彼の求婚に応じた翌朝、ずいぶん早い時間にアキフミの元へ客が訪れた。
 どうやら朝一の新幹線で上野から軽井沢へ来たらしい。若くて綺麗な女性がアキフミのことを「社長」と口にしている。彼女がアキフミの秘書なのだろう。軽井沢で引きこもり状態の社長をついに引っ張り出しに来たのかと覚悟したわたしに、立花と名乗った彼女は妖艶に笑う。

「はじめまして、社長の初恋花嫁さん」
「あなたは……?」
「紫葉リゾート社長秘書、立花ゆかりと申します」

 真っ赤なルージュが印象的な、華麗な女性を前に、寝起きに近い状態のわたしは慄く。
 アキフミはそんなわたしを庇うように抱き寄せ、人前だというのに額にキスしてくる。

「ネメ。心配しないで。彼女は俺たちの味方だ」
「そうだよー、アキフミを連れて帰ろうなんて思ってないから安心して」
「社長の恋煩いが長すぎて本社の方まで飛び火してるんだぞ」

 ひょこっと同じ顔の人懐っこいスーツ姿の男性がアキフミの背後から登場してわたしを驚かせる。彼ら、は?

「……紫葉孝也タカヤと、史也フミヤ。俺の双子の、異父弟おとうとたちだ」


   * * *


 賑やかな午前十時のティータイム。応接間にはわたしとアキフミ、社長秘書の立花とアキフミの双子の弟たちで賑わっている。添田も人懐っこい双子たちに質問攻めにされたらしく、困惑顔で客への対応をしていた。
 双子から逃げるように退散した添田の次の標的になったのはわたしだ。

「ずっとアキフミお兄ちゃん悩んでいたんだよ。社長の妻に貴女を迎えて大丈夫なのか、って。社長夫人になったら人前でピアノを弾く機会が増えて彼女の負担になるんじゃないか、って。だけどお見合いした生意気な女を妻にするのは耐えられない、って」
「そんなことを彼が?」
「あくまでオレたちの想像だけど」

 なんだ、想像か。と顔に出てしまったわたしを見て、ふたつの同じ顔がくすくす笑う。名前を教えてもらってもどっちがどっちなのか判断できないとわたしが匙を投げれば「アキフミお兄ちゃんの双子の弟たちでいいよ」とあっさり返されてしまった。アキフミはどっちがタカヤでどっちがフミヤか違いを理解しているらしいが、耳元のホクロの位置だと言われても初対面の人間が耳元のホクロの位置で判別するのはかなり難しいと思う……
 苦笑を浮かべるわたしに、双子の片割れが心底不思議そうに呟く。

「お互いに想いあっているのに、どうして一歩を踏み出さないの?」
「ネメさんの相続が落ち着いたら、なんて言っていたら他の男に掻っ攫われちゃうよ、アキフミお兄ちゃん」

 彼らは紡のことも調査済みらしい。立花が「どっちが良縁かってきかれたら常識的には雲野さんです」とあっさり教えてくれたけど、わたしはつい言い返してしまった。

「わたしは紡さんとは結婚しません」
「が、社長もいい男ですよ」
「はい……わたしにはもったいないくらいです」

 その言葉にアキフミが嬉しそうな顔をしている。愛人でいいと思っていたのに、こんなにも彼に求められたら、その気持ちは揺らいでしまって当然だ。わたしがアキフミへ微笑みかければ、彼も恥ずかしそうに頷いた。

「なんだか心配して損したかも。お兄ちゃんとネメさん、ラブラブじゃない。いいなあ初恋のひととの結婚」
「彼女なら義父さんも認めてくれると思うけどなあ」

 昨晩のアキフミとのやりとりで、わたしの心は彼との結婚を夢見はじめている。
 アキフミの秘書と双子の弟たちという応援もやって来て、なんだか落ち着かない気持ちだ。
 それでも希望の光が見えてきた。
 わたしの残された課題は夫の遺言書を探し出し、なるべく早く相続の手続きを行うことと、そして、アキフミの両親や会社のひとたちに認めてもらうこと。
 結婚へのハードルがどうなるかは、わたしの戸籍謄本を確認してからになるだろう。
 車の免許を持っていないわたしがひとりで外に出ることは厳しかったので、郵送で紡に委任状を渡して代理人請求をお願いしている。三日もあれば、取り寄せられるときいたので、そろそろ彼が現物を持ってきてくれるはずだ。

「だけど……アキフミ」
「ネメ。言っているだろ。俺はお前がバツイチだろうが、気にしないし、両親にも社員たちにもお前を認めさせてやるって」
「そうじゃないの……」

 バツイチじゃないかもしれない。
 アキフミの心配を和らげてあげられるのは嬉しい。
 夫の死からもうすぐ三ヶ月。
 もしバツイチだったとしても。
 アキフミが最初に口にしていた「百日の制限」はまもなく訪れる。
 きっとアキフミは何があっても起こってもわたしを妻に迎えるはず。
 だから不安になってしまった。「しあわせになってもいいの?」、そう彼に言おうとしたそのとき。

 来客を知らせる玄関のチャイムが鳴った……

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