Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

monologue,3 唯一の愛を乞うシューベルト《3》




 ほろ酔い気分でロビーのグランドピアノを弾いた詩の演奏は大胆で、俺が想像していたよりも強気なものだった。大和撫子な見た目に反して芯が強いのか、ただ単に矜持が高いだけなのかはわからないが、周囲の利用客をも驚かせるものだったことは否めない。

 ――リスト、ラ・カンパネルラ。

 アルコールが入っていてこの演奏ができるのなら、素面だったらいったいどんな風に弾くのだろうと興味が湧く。その一方で「違う」と思う俺もいる。

 ――ネメだったら、こんな風に叩きつけるようには弾かない。もっと感情豊かに、抑揚をつけて、指を躍らせていたはずだ。

 拍手を受けながらゆっくりと椅子をおりた詩は、誇らしげに俺の方へ向いて一礼した。
 ここにいるのがネメなら、人前であることを憚らずに駆け寄って、抱きしめてキスをしていただろう。
 けれども俺は無表情だった。
 詩はその場から動かない俺を見て、困った顔をしている。


   * * *


 ラウンジで引き続き食後酒を楽しみたいという義父と多賀宮に押し切られる形で、俺はホテルのスイートルームで宿泊するという詩を送り届ける役目を負わされてしまった。自信満々でピアノを演奏した彼女は、俺に自分の演奏が響かなかったことにショックを受けているようだ。あのあとラウンジでワインを振る舞ってもらった際、詩は無言でグラスを傾けていた。もともと無口な娘なのか、見合いの席だからとおしとやかに見せかけていたのかはわからないが、酒の量が増えるにつれて、彼女は饒舌になっていく。
 何がおかしいのかわからないがきゃはきゃは笑いながら、詩は自分が今日宿泊する部屋へ向かうエレベーターに乗り込み、「ようやくふたりきりになれましたね!」と嬉しそうに声を弾ませる。

「この日のために頑張って練習したのに、礼文さまったら何も言ってくださらないんですもの」
「あ、あぁ。驚いて何も言えなかったんだ」
「それなら許してさしあげますわ。だけど紫葉不動産にこんなイケメンが隠されていたなんてわたくしも驚きでした。再婚された後妻の連れ子でありながら子会社の社長の椅子に座るなんて肝の据わった男の方なのね」
「それが義父の教育方針ですから」
「まあ。二十六歳っていうけれど、苦労をされていらしたからかずいぶん老け顔よね。てっきり三十路を越えてらっしゃるのかと思ったわ」
「それは褒め言葉でしょうか」
「ええもちろんよ。社長の威厳って、そういうところからも判断されるんだから」

 平民育ちの貴方は知らないでしょうけど、と嘲笑するような彼女の声に、頭が痛くなってくる。俺も調子に乗って酒を飲みすぎたかもしれない。それでいてあの自己主張の強いピアノの音色だ。あんなのと毎日過ごすだと? たとえ良縁だとしても俺には無理だ。

「でしたら俺からも一言よろしいでしょうか」
「あら、何かしら?」

 チーン、とエレベーターが最上階へ到着する。開くボタンを押して、彼女を出してから、俺はしずかに声をかける。自分の足は未だエレベーターのなか。
 ポッ、と頬を赤らめてこちらを向く詩に、俺は容赦なく彼女に告げた。

「お部屋まで貴女をお送りすることは俺にはできません。俺には心に決めた女性がいるのです」
「え」
「申し訳ありませんが、ご縁がなかったということで」
「ちょ、ちょっと……!? ここまできて女性に恥をかかせる気ですの?」
「恥もなにも。俺は事実をお伝えしただけです。それからさっきのピアノ……技術は素晴らしいですが、あれでは音を殺してしまう」
「はぁ? 何をおっしゃっているの?」

 なおもしつこく食い下がろうとする詩にうんざりしながら、俺ははぁとため息をつく。
 そしてエレベーターの扉を無言で閉じて、小声で毒づく。

「てめーみたいな腐った音を出す女なんて、興味ねーんだよ」

 俺にはネメがいればそれだけでいい。きっと義父たちからはさんざん罵られるだろう。多賀宮の狸は娘を蔑ろにされてどう思うだろう。一度の失敗で懲りて向こうから話をなかったことにしてくれればいいが……
 エレベーターで下降しながら想うのは軽井沢にいるネメのことばかり。早く見せびらかしたい気持ちと、未だ完全に自分のものにできていない現実が俺の心をざわつかせる。とっとと仕事を片して、彼女の元へ帰りたい。そして生き生きとしたリストのラ・カンパネルラを弾いてもらいたい。そして俺は弾きおわった彼女を抱きしめて、そのまま深く愛してやるのだ。

 甲高い詩の声は、もはや思い出せもしない。

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