Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

monologue,3 唯一の愛を乞うシューベルト《1》




「おかえりなさいませ、礼文さま」

 紫葉不動産東京本社ビルを出た俺を迎えに来た車のなかには、義父と、見知らぬ女性が座っていた。年齢は俺と同じくらいか、それより年下か。義父の話によると女子大を卒業したばかりの社会人一年生らしい。
 馴れ馴れしく俺のことを呼んだ彼女を前に、俺は顔を顰めて義父に言い募る。

「どういうことだ」
「せっかく東京に戻ってきたのだから、お前の将来の嫁候補と逢わせてやろうと思ってな」
多賀宮詩たがみやうた、と申します」
「嫁候補だと?」
「後妻の連れ子であるお前が子会社の新社長になったことは、古参たちから目の敵にされている。二十六歳の短大卒のピアノ道楽なお前がリゾート開発を指揮するなど無茶だ、とな。そこでわしはお前に嫁をあてがうことにした」
「ちょ、ちょっと勝手に決めないでください」
「創業当時からつきあいのある多賀宮商事の娘なら、奴らも反対しないだろう。詩さんは女子大の英文学科を卒業した才色兼備なお嬢様だ。趣味でピアノを嗜んでいるし、お前と話も合うのではないかと思ってな」

 ハハハ、と豪快に笑う義父に殺意を覚えながら、俺は詩という名の女性へ顔を向ける。
 グレーのスーツを着ているが、就職活動中の学生にしか見えない素朴な着こなしだ。
 多賀宮商事といえば、紫葉不動産とも取引がある一流企業だ。関東一帯で名を轟かせる雲野ホールディングスとは異なり、そもそもの拠点が関西にあるため、全国各地に支店を持つ。詩はその多賀宮の家の次女だという。

「ホテルラウンジで詩さんの父上も待っている。今夜は四人で会食を行おうではないか」

 体のいい見合いではないか、と愕然とする俺を無視して、義父は上機嫌で鼻歌をうたっていた。


   * * *


 紫葉不動産の御曹司の花嫁探しは会社内外でずいぶん話題になったのか、俺が軽井沢から東京へ降り立った際に迎えに来た秘書の立花が困惑した顔をしていた。紫葉リゾート社長秘書、立花ゆかりは夫が紫葉不動産秘書課を指揮している関係で、俺のお目付け役となったおばちゃん秘書だ。
 見た目は三十代と若作りだが、実年齢は四十代後半のベテランである。夫との間に高校生と大学生のふたりの子どもがいることもあり、俺のこともどこか子ども扱いをしているフシがある。
 子会社の社長秘書となった立花は、連れ子の息子だという俺に同情することもなく、てきぱきと業務を押し付け、俺を今日まで支えてくれている。

「社長が軽井沢に引きこもってしまってから、こちらはずいぶんやりにくくなってしまいましたよ」
「リモートで問題なかっただろう?」
「だけどね、本社から用もないのに女子社員がうちの方に出向してきて、いつ社長はお戻りになりますか、って延々ときかされてごらんなさい。気が狂いそうになるわ」
「そうか、それは申し訳ない」
「申し訳ないと思うならとっとと腰を落ち着けたらどうなんです? 社長が会社からいなくなってもう二ヶ月ですが独身の若社長が全国津々浦々花嫁探しをしているなんて妙な噂でこっちは余計な労力をですね」
「……わかったわかった。それについては、まぁ、そのうち」

 なるべく早いうちにネメと結婚したいと考えてはいるが、遺産相続にまつわる諸々が落ち着くまでは難しいだろう。それに彼女の気持ちや両親の説得もある。そのことがあるから俺は会社の人間にネメの存在をおおっぴらにすることができずにいる。俺が新社長になる際にちからを貸してくれた義姉の元秘書だけは、事情を知っていたふしがあったが、今となっては闇の中だ。
 そんなことを思い出す俺の横で、立花はうんざりした表情をしている。

「須磨寺喜一の土地をピアノごと遺産が相続される以前から経費で押さえつけたのを見たときは心臓が止まるかと思いましたよ。まったく、お父上にはなんと説明されたんです?」
「ほしいものがあったから」

 ここでいう俺のほしいものは土地でもピアノでもない、ネメだ。
 彼女を手に入れるために俺は土地とピアノを押さえただけにすぎない。
 けれど立花にそれを言ったところで莫迦にされるのがオチだ。
 年代物のアンティークピアノがあったのだろうと新社長の道楽を理解している立花はあー、とうなだれながら釘を刺す。

「……二度目はないと思ってくださいね」
「義父上にも言われた。もうしない」

 ずっと狙っていたのだと言えば、納得したように立花が頷く。

「それで軽井沢に居着いてしまわれたわけですね。それほど良い音ですか」
「そりゃあ、な」

 ネメを自分の手と唇で気持ちよくさせるたび、快楽に咽び泣く彼女を思い出し、口角が上がる。
 何度ふれても飽きない彼女の身体を奏でることができるのは俺だけだ。他の男には渡さない。

「毎日調律して可愛がってしまうほど、いい音で啼くんだ」

 ふふっ、と笑う俺を気味悪そうに見つめた立花は、呆れた顔で言い返す。

「まるで恋人みたいなことを言うのですね」
「そうだな。俺の唯一の恋人だ……愛人にしておくにはもったいない」
「?」

 ピアノがですか、と首を傾げる立花に、俺は出来心で口を開く。

「――立花も今度、軽井沢の屋敷に来ればその魅力がわかるだろうよ」

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