Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

chapter,3 シューベルトと夏の宝探し《5》




 ――たぶん君は、バツイチじゃない。


 内縁の妻、という言葉がある。
 事実上は婚姻関係にありながら、婚姻届が未提出であることから、法律上では認められていない関係のことだ。
 わたしは婚姻届にサインをして夫に手渡した。その後、その婚姻届は当然のことながら役所に提出されたものだと思っていた。深く考えずに。

「紡、さん……それじゃあ」
「通常、内縁関係においては相続権は存在しない。ただ、喜一さんの場合、被相続人の法定相続人はすべて鬼籍に入っているから、ネメちゃんは特別縁故者として財産を受領することが可能になる……とはいえ、家庭裁判所へ別途申し立てる必要が出てくるから、遺言書をつかった財産承継が望ましいだろうね」
「遺言書がない限り、手続きが更に複雑になるってこと?」
「うん。ここから先は戸籍謄本を取り寄せてみないとわからないけど、そこに書かれている名前が須磨寺音鳴でなかったら、君は喜一さんの内縁の妻で、法的な婚姻関係は結んでいないことが証明される」
「……証明されると、相続に影響が出るんじゃないの?」
「それほどでもないさ。ただ、このままだと相続人ゼロの状態ということで土地も君が守りたいピアノもぜんぶ、国庫行きになる可能性も……ってそれは最悪の場合だよ。遺言書があれば問題ないし、見つからなくても家庭裁判所へ申請することでネメちゃんが遺産を相続することはそう難しくない」

 内縁の妻の定義には同居期間が最低でも三年程度は必要とされているという。わたしと夫は三年弱、ともに過ごしている。実態は夫婦だったけれど、役所に婚姻届を提出していない場合、法律上は夫婦ではなく、事実婚関係にあたるのだから、どっちにしろわたしが動くことで彼が愛した土地とピアノを守ることはできるらしい。
 けれど、次々に教えられる法律知識を前に、わたしのあたまはパンク寸前だ。

「ごめんなさい、あたまのなかこんがらがってきちゃいました……」
「いや。俺の方も憶測だけで盛り上がっちゃったから……そうなると、別の意味で厄介な問題が起きそうだから」
「?」
「よし、やっぱりネメちゃん、結婚しよう」

 そう言ってがしっとわたしの両手を掴んだ紡は、畳み掛けるように「結婚」の言葉を口にする。
 え、どうしてここで「やっぱり」なの? 首を傾げるわたしが救いを求めるように開きっぱなしの応接間の扉へ視線を向ければ、手を握られているわたしの姿に驚き、幽霊を見てしまったかのように顔を青褪めているアキフミで。


「――どうして俺が留守のときにお前が屋敷のなかにいるんだ? 紡」


   * * *


 紡はにへらと笑ってアキフミを挑発させながら「今日は時間みたいだね。このつづきは今度……またね、ネメちゃん」と逃げるように帰っていった。アキフミは紡の姿が見えなくなると同時に応接間の扉をバタン、と閉めて、わたしの方へ冷たい視線を投げかける。

「紡さんは悪くないんです、わたしがお話をうかがいたいって、引き止めたから」
「だとしても、お前が応接間でピアノを披露する必要はなかったはずだ」
「聴いてたの?」
「……ショパンの「雨だれ」。開けっ放しの窓と扉から丸聞こえだ」
「じゃあ、わたしと紡さんの会話も?」
「――遺産を相続することはそう難しくない、だっけ?」
「それは」

 紡はアキフミには証拠が出揃うまで自分がバツイチじゃない可能性を伝えるなと言っていた。だから、余計なことは口に出来ない。いまは、まだ。
 しどろもどろになるわたしを見て、アキフミが苛立たしげに言葉をつなげる。

「言い訳しなくてもいいさ。両親が須磨寺と懇意にしていた紡の方がお前の再婚相手としては理にかなってる。雲野ホールディングスは紫葉不動産と違って不動産業だけでなく多くの業種を束ねているし、紡は生まれた頃から時期社長として教育されたサラブレッドだ。俺みたいなぽっと出の半端者と違ってな」
「アキフミ」
「事実だろ」
「だけど」

 わたしが紡と結婚すると言ったわけでもないのに、彼は憔悴しきった表情でわたしを見つめている。何を言っても拒まれそうで、これ以上口にできなくなる。
 すると、アキフミが乾いた笑みを浮かべて、わたしの身体を抱き寄せる。壊れ物を扱うように、そうっと懐に入れて、軽く口づけをしてから、彼は告げた。

「……東京で、見合いさせられた」
「誰が?」
「俺が」

 俺はネメじゃないとダメなのにな、と淋しそうに呟いて、わたしの身体の線を服越しになぞっていく。応接間で抱かれたことはないけれど、このままだと先程まで紡が座っていたソファに押し倒されかねない。わたしはイヤだと首を振るが、アキフミは自分の劣情を抑えられず、わたしが着ているワンピースの前ボタンをひとつ、またひとつと外しはじめる。

「ダメ」
「ダメじゃないだろ。愛人になるって言ったのはお前だ。お前が紡と仲睦まじく語っているのを見た俺が、嫉妬していないわけがないだろう」
「ンっ」
「いっそのこと、この場で孕ませてやろうか……そうしたら、俺とはなれることなんか、できないもんな?」
「それは、いけません……未来の奥様に」
「俺にとっての未来の奥さんはお前だけだって、何度言ったらわかる?」
「きゃっ……」

 きつく抱きしめられたまま、激しい口づけを繰り返されて、わたしの身体がアキフミに溶かされていく。上半身はだけた状態でソファに押し倒され、また、舌先で嬲るようなキス。
 アキフミのキスで腰が砕けてしまったわたしをいいことに、彼は自分が着ていたネクタイをしゅるりとほどいて肩より上へあげさせた手首へ結んでいく。両手を拘束され抵抗できなくなった身体は、さらにアキフミに蹂躙されて疼きを高めていく。

「あ、あっ……っだめ、なのに」
「ネメ。遺言書の内容次第では、お前を奪い取ってやる。こんな風に」
「いやっ、アキフミっ……!」

 開きっぱなしの窓からはしとしとと降り注ぐ雨に濡れた深緑の木々が見える。
 まるで外で犯されているかのような錯覚に陥って、身体がぞくりと震えだす。

 ――そのまま、彼にすべてを奪われて、わたしはその場で、失神した。

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