Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき

chapter,2 シューベルトと初夏の愛人《5》




 全国有数のリゾート地として明治時代から発展をつづけているここ軽井沢は、四季折々の観光ができることでも有名である。わたしが管理にかかわっている“星月夜のまほろば”は、中小企業の福利厚生として利用できる別荘施設となっているため、主にゴールデンウィークから、夏季休みの八月末までが書き入れ時のシーズンとなる。かつては冬の間もウィンタースポーツなどを楽しみたいと利用するグループもいたが、山間の雪が厳しく病気の夫には管理しきれないことを理由にここ数年は閉所状態だった。アキフミは稼働率を良くして、別荘での収入を増やそうとしているのだろう、年間の開所計画を練り直し、長野支店に人員の確保を要求すると言っていた。老朽化がすすんでいるログハウスの内装も変えていきたいとも。

 たしかに夫とわたしが行っていた別荘管理の仕事は、商売というよりも道楽に近いものがあった。必要最低限のサービスのみこちらで準備し、あとは利用者にお任せするスタイルは、宿泊施設というよりもキャンプ場に近いものがある。布団やファブリック、アメニティはこちらで用意するし、別荘内の備え付けのキッチンや内風呂などのメンテナンスはこちらで行っているが、アキフミからしたらリゾート気分が足りないのだろう。せっかく天下の紫葉不動産グループが買い取ったのだ、この立地条件で夏の期間しか稼働しない保養施設にしておくにはもったいない、ゆくゆくは企業を仲介せずに個人で気軽に楽しめるラグジュアリーなペンションにしていきたいと、アキフミは車のなかで力説していた。

「手始めに外から温泉を引いて、一棟ごとに露天風呂をつけてみるのはどうかな。せっかく広大な土地があるんだから」
「夢物語すぎるわ。手入れできてない裏山を切り開く必要がでてくるし、だいいち虫が多いし、場所によってはクマ出没注意の区域スレスレのところもあるのよ。あと、軽井沢の天気は変わりやすいことを忘れないで。露天風呂にするくらいなら外の風景が見える窓を内風呂に造る方が現実的」
「そうなのか」
「三年近く須磨寺の屋敷で暮らしているわたしの体験談を活かしなさい」
「それもそうだな。俺は最近まで東京にいたから……その土地の事情を考えずに無謀な提案をしてすまない」
「ううん。アキフミがあの別荘地をさらに良いものにしようと考えてくれているんだな、ってことがわかって安心したの」
「いや……義姉は、すべて潰してホテルにする計画を立てていたからな。俺はネメが大切にしているものをなるべく壊したくなかったんだ」
「土地とピアノ?」
「……ああ」

 添田が運転する車の後部座席で、隣同士ぴったり座ったまま、わたしはアキフミの仕事のはなしを興味深くきいていた。
 須磨寺の屋敷と別荘地と三台のピアノを言い値で買い取った彼は、義姉が考えていた計画を白紙にし、すでに建てられている五棟のログハウス風の別荘そのものを改良する方針へ舵をとった。
 反発する社員も多かったというが、新社長自らが用意した緻密な計画書を前に、彼らはぐうの音も出なかったという。屋敷にパソコンを持ち込んで何をしていたのか不思議だったが、これがいま流行りのリモートワークの一環だったと知り、納得する。

「夜中にこそこそパソコンしていたのはそれが原因?」
「もしかして起きてしまったか? だとしたらすまない」

 夫の死後、屋敷の主となったアキフミは当然のようにわたしの傍で暮らしはじめた。夫が使っていた介護用の電動式寝台を空き部屋に移し、客間の寝台をわたしの寝台の隣に置いて、寝起きをともにするようになった。寝室のピアノを我が物顔で毎日奏でる姿も、十日も経てば当たり前の風景と化していく。
 別荘地の管理と開発をいつ行っているのかよくわからなかったが、なんてことはない、彼は屋敷にいながら仕事もこなしていたというわけだ。むかしから器用な男だと思ったが、大人になったいまも自分に厳しく動き回っているらしい。このままでは身体を壊すのではないかと心配になってしまうほどに。

「ちゃんと休んでよ?」
「ああ……」

 軽井沢から車で一時間四十五分かかる松本に紫葉リゾートの長野支店はあるという。書類を渡すだけならメールやFAXでことたりるはずなんだけどなぁとうんざりしていたアキフミだったが、義姉からの引き継ぎが完全に終わったわけではないため、時折全国各地の支店へ顔を見せに行くのだという。添田は夫が死ぬ前から彼とコンタクトを取っていたらしく、松本へ行くのは三度目とのこと。

「添田さんもいつの間にはなしをつけてらしたんです? 夫もグルってことですよね?」

 ぷぅ、と頬を膨らませるわたしに、アキフミが笑う。

「それはどうかな。彼らは俺の一方的な要求に、快く取引してくださったビジネスパートナーだから」

 添田にはあたまが上がらないのだという。須磨寺一族の土地を夫の兄の代から傍で手伝っていた添田に、アキフミは次の主として無事に認められたのだろうか。無口な添田はわたしの文句も柔らかい笑みで返しただけで、口を滑らせるようなことはしない。
 自分だけが手のひらの上で躍らされているみたいだ。けれど、無理に躍らされているとはいえ、いやだと感じることはない、心地よさが、わたしを惑わせる。

 ――アキフミは、はじめからわたしがこの土地に縛られていると思って、夫が死ぬ前から“星月夜のまほろば”に探りを入れていたわけではなかったのだ。もともと義姉が目をつけていた土地を、偵察がてら調律師として訪問した彼が、そこでウェディングドレスを着たわたしの写真を見つけたことが、すべてのはじまり。グループ内で下剋上と呼ばれた紫葉リゾートの社長交代劇は、あのときアキフミがわたしの写真を見つけなかったら起こらなかったのかもしれない。

「一方的な要求?」
「ネメ。お前のことだよ」
「……さらりとこわいこと言わないで」

 紫葉リゾートの若社長は「こわがらなくてもいいのに」とわたしの手をきゅっと握りしめる。
 そんな風にやさしくされたら、夫と過ごした穏やかな日々を裏切ってしまいそうでこわいのだと言いたいのに、彼は素知らぬ顔をして告げる。

「いまは愛人でも、民法の定義で百日経てば死別後の再婚がおおっぴらに可能になる」
「……わ、わたしと結婚するつもりなの!?」
「シューベルトの妻になる、って言ったあのときの約束をどうにかして叶えたいと思っているのだが」
「莫迦じゃないの?」

 夫が死んですぐに、他の人間に奪われないように土地とピアノを買い取り、わたしを愛人にした彼は、問題なければすぐにでもわたしと結婚しようと考えているらしい。信じられない。なんで、そこまで……?

 けれどその話は、タイミング悪く目的地に到着したことで、あやふやになってしまったのだった。

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