スポットライト

三浦しがゑ

別れ⑤

彼女は黙って頭を振った。
 「僕が監督を尋ねた時、監督は黙って印鑑を押して下さいました。何の保証もない僕に…です。監督のお陰で銀行から資金を借り入れる事ができた僕は、死に物狂いで働きました。でもそれでも事業を始めた当初は、何もかもが上手く行かずに、頭を抱えるばかりの毎日でした。それでも、どんな時も、僕が挫けそうな時何よりも僕を勇気づけてくれたのは、和葉監督の印鑑でした。監督が印鑑を押して下さったその借用書を見る度に、僕は「負けてなるものか」と布団の中で涙を流しながら気持ちを奮い立たせていました。あれから5年、お陰様で事業も軌道に乗り、監督にご迷惑をおかけする事もなく、全ての返済を終えました。そして今は、長年の夢叶い、母をこちらに呼び寄せて、嫁と子供とともに幸せな生活を送れるまでになりました。僕にとって監督は…、監督は、父親以上の存在でした。」
 そう言うと、大声で泣き始めた。それにつられる様にして、少しづつ集まってきた野球部員達も大声で泣き始めた。それはまるで、高校球児が最後の試合を終えて泣いている様にも見えた。自分達の中の一つの季節が終わったかの様な、そんな涙だった。
 僕はそんな光景を見ながら、とおるを想っていた。保証人になった事によって死んでいった男。保証人になってもらえた事によって生きる希望を持った男。いずれにせよ、ここにも救われた命がある事に僕は心から感謝した。
 皆の涙も枯れた頃、今度は監督の新たな旅立ちを祝い、元野球部員が祝杯を交わし始めた。世代は違うにせよ、野球という同じ青春を生きた者同士すぐに打ち解けていた。酒を酌み交わしながら、監督や野球部時代に思いを馳せ、そこはさながら同窓会の様でもあり、そして、それは、多分、監督が望んだ葬儀の姿だったに違いない。
僕も菅ちゃんもその輪に加わり、僕らの熱き青春時代にタイムスリップをしていた。

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