どうにもならない社長の秘密
第十一章 七年前の重い扉 4
そんなことを思いながら、近くで見つけた和菓子屋で父が好きな水菓子をいくつか買い、家に戻った時は店舗のほうの入り口から入ってみた。
臨時休業の札が出ているが、母の姿が見える。
「おかえりなさい」
ふと、店の一角に着物が並んでいることに気が付いた。
「着物。――置いてるのね?」
「そうなのよ、去年から少しずつね。着付けの無料サービスなんかもしたりしているの。見て、良い物でしょう? 稼ぎ頭なんだから」
「本当だ、やけに高そうなものばっかり。でもこれ本当に売れるの?」
「お父さんはね、お茶と尺八とあっちこっち顔を出して友達沢山作ったのよ。お母さんも料理教室にお花にお茶」
母の話を聞きながら、紫織は一枚の友禅を手に取った。
七年前。いくつ目かのお見合いの話をしていた時、着ていく着物を見つめながら自分が言ったことを、紫織はふと思い出した。
『私、着物と同じね。一番高く買ってくれる人のところに売られていくんだわ』
ポツリとそう呟いたのだ。
特に悪気があったわけでもなく、ただ思ったままそう言っただけだった。宗一郎と別れて傷ついた心のまま、本音を漏らしたのである。
そして振り返った時、父と母はひどく驚いた顔をして固まっていた。酷いことを言ってしまったと気づき、慌てて否定したけれど、結局お見合いはその日が最後になったが。あの時、両親は店をたたむ決意をしたのかもしれない。
娘のなにげない発言が、残酷な言葉として響いたのだろう。
友禅を元に戻しながら紫織は複雑な心に揺れた。
もしもあの時両親を捨てて、強引にも宗一郎と結婚していれば、違う形で両親を助けることができたのではないだろうか?
もし――。もし。そんなことを考えても仕方がないのに。どうしても考えてしまう。
気を取り直して、あらためて店内を見渡した。
すると。
なんとなく、店が随分充実してきているように見えた。
外から見た外観も綺麗になっていたし、考えてみれば父が入院している個室もシャワー室まであるような、豪華とはいえないまでも立派な個室だった。そんな余裕があるの?
「お母さん、お店はお休みするの?」
「雇っている人が十時には来るから。それからお見舞いに行きましょう」
――え? 雇っている人までいるの?
思わず「大丈夫なの? 経済的に」と聞いた。
母は「うん」と、気まずそうに口ごもった。
「以前ね、お世話をしていた人が、事業で成功したらしくて、お金を返してくれたのよ」
「そうなの?」
「ええ。だから、なんの心配もいらないわ」
紫織の父はお坊ちゃま育ちのせいか、お人よしなところがある。羽振りが良かった頃に父が助けた人は何人かいたらしい。そんな彼らも逆の立場になれば、態度を一変したと当時母が悔しがっていた。
でも、それならばよかったとホッとする。気にかけてくれた人がいるならば、両親が受けた心の傷も少しは癒されるだろうから。
「紫織。もしかして、いまでも彼のことが忘れられないの?」
突然の質問に、何を言っているのか、わからなかった。
「え?」
「お見合いもしないし、誰とも付き合ったりしないみたいだから、もしかしてと思って」
宗一郎のことかと、ふと気づく。
「あはは、何を言っているのよ。もう昔のことじゃない」
でも実は、いまの職場の社長なのと言おうとした。しかもまたプロポーズをしてくれたのよと。
それを聞いたら母はどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか? 今言うべきかどうかと迷っていると、母は思いつめたように小さくため息をつく。
「そう。ならいいんだけど。実はね」と切り出したその表情は暗い。
――認めるわけにはいかないの。
私は“私だけの秘密”を、墓場まで持っていかなければならなかったから。
あの日あの子の髪の毛からDNA鑑定をしたの。藤村の子だったわ。
ごめんなさい紫織……。
「ん? どうかした?」
「あの時、無理にでも別れさせなきゃいけない理由があったのよ。鏡原宗一郎って言ったわよね? 彼」
「お母さんすごい。よく名前まで覚えているわね? そうよ。鏡原宗一郎」
「彼は、あなたの血を分けた兄妹なの」
臨時休業の札が出ているが、母の姿が見える。
「おかえりなさい」
ふと、店の一角に着物が並んでいることに気が付いた。
「着物。――置いてるのね?」
「そうなのよ、去年から少しずつね。着付けの無料サービスなんかもしたりしているの。見て、良い物でしょう? 稼ぎ頭なんだから」
「本当だ、やけに高そうなものばっかり。でもこれ本当に売れるの?」
「お父さんはね、お茶と尺八とあっちこっち顔を出して友達沢山作ったのよ。お母さんも料理教室にお花にお茶」
母の話を聞きながら、紫織は一枚の友禅を手に取った。
七年前。いくつ目かのお見合いの話をしていた時、着ていく着物を見つめながら自分が言ったことを、紫織はふと思い出した。
『私、着物と同じね。一番高く買ってくれる人のところに売られていくんだわ』
ポツリとそう呟いたのだ。
特に悪気があったわけでもなく、ただ思ったままそう言っただけだった。宗一郎と別れて傷ついた心のまま、本音を漏らしたのである。
そして振り返った時、父と母はひどく驚いた顔をして固まっていた。酷いことを言ってしまったと気づき、慌てて否定したけれど、結局お見合いはその日が最後になったが。あの時、両親は店をたたむ決意をしたのかもしれない。
娘のなにげない発言が、残酷な言葉として響いたのだろう。
友禅を元に戻しながら紫織は複雑な心に揺れた。
もしもあの時両親を捨てて、強引にも宗一郎と結婚していれば、違う形で両親を助けることができたのではないだろうか?
もし――。もし。そんなことを考えても仕方がないのに。どうしても考えてしまう。
気を取り直して、あらためて店内を見渡した。
すると。
なんとなく、店が随分充実してきているように見えた。
外から見た外観も綺麗になっていたし、考えてみれば父が入院している個室もシャワー室まであるような、豪華とはいえないまでも立派な個室だった。そんな余裕があるの?
「お母さん、お店はお休みするの?」
「雇っている人が十時には来るから。それからお見舞いに行きましょう」
――え? 雇っている人までいるの?
思わず「大丈夫なの? 経済的に」と聞いた。
母は「うん」と、気まずそうに口ごもった。
「以前ね、お世話をしていた人が、事業で成功したらしくて、お金を返してくれたのよ」
「そうなの?」
「ええ。だから、なんの心配もいらないわ」
紫織の父はお坊ちゃま育ちのせいか、お人よしなところがある。羽振りが良かった頃に父が助けた人は何人かいたらしい。そんな彼らも逆の立場になれば、態度を一変したと当時母が悔しがっていた。
でも、それならばよかったとホッとする。気にかけてくれた人がいるならば、両親が受けた心の傷も少しは癒されるだろうから。
「紫織。もしかして、いまでも彼のことが忘れられないの?」
突然の質問に、何を言っているのか、わからなかった。
「え?」
「お見合いもしないし、誰とも付き合ったりしないみたいだから、もしかしてと思って」
宗一郎のことかと、ふと気づく。
「あはは、何を言っているのよ。もう昔のことじゃない」
でも実は、いまの職場の社長なのと言おうとした。しかもまたプロポーズをしてくれたのよと。
それを聞いたら母はどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか? 今言うべきかどうかと迷っていると、母は思いつめたように小さくため息をつく。
「そう。ならいいんだけど。実はね」と切り出したその表情は暗い。
――認めるわけにはいかないの。
私は“私だけの秘密”を、墓場まで持っていかなければならなかったから。
あの日あの子の髪の毛からDNA鑑定をしたの。藤村の子だったわ。
ごめんなさい紫織……。
「ん? どうかした?」
「あの時、無理にでも別れさせなきゃいけない理由があったのよ。鏡原宗一郎って言ったわよね? 彼」
「お母さんすごい。よく名前まで覚えているわね? そうよ。鏡原宗一郎」
「彼は、あなたの血を分けた兄妹なの」
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