どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第十一章 七年前の重い扉 3

 二時間はあっという間で、つらつらとそんなことを思ううち新幹線は京都駅に着いた。
 駅からはタクシーに乗りまっすぐに病院に向かい、駆け込むようにして入った病室。

「お母さん」
「紫織?」

 父は静かに眠っていた。
 母の話によれば一週間程度の入院で済むらしい。
 ひとまず安心してその日は夜まで病室に付き添い、母と家に帰った。

 次の日の朝。
「紫織。おはよう」
「おはようお母さん」

 母は、紫織が帰ってきたことを心から喜んでいるようだった。

 不安だったのだろう。
 そんなにうれしそうな顔をされると、戻るのが辛いな思いながら、紫織は母の手料理が並ぶ朝食の席についた。

「これ全部、お母さんが作ったの?」
 きんぴらごぼうに卵焼き。焼き鮭にきゅうりの浅漬け。ジャガイモの味噌汁。
 世間的には普通だろう。でも紫織の母はほとんど料理ができなかった。
 家政婦のいない暮らしに慣れるまでは大変で、最初の頃は紫織が料理を作っていたのである。そんな母が作る卵焼きと言えば目玉焼きかスクランブルエッグだったが、目の前の厚焼き玉子は焦げもなくふわりと柔らかそうだ。

「お母さんね、お料理教室に通っているの。この厚焼き玉子、食べてみて!美味しいのよぉ」

「へぇー」

 どれどれと厚焼き卵を口の中に入れてみると、甘すぎず辛過ぎず。見た目通りフワフワの歯ごたえだ。

「うん、美味しい!」
「でしょう? ウフフ」

 母は資産家の家に生まれたお嬢さまで、料理を含め家事は全て家政婦がするものだと育った。嫁ぎ先の『藤乃屋』は老舗呉服店として当時は母の実家以上に裕福だった。なので結婚してもその生活習慣を変えずに済んでいたので、紫織は母の手料理を食べたと言う記憶がない。

 その母が、料理教室に通って美味しい卵焼きを焼いているとは。

「すごいよ!お母さん。本当にすごい!」
 紫織はなんだか、泣きたくほどうれしかった。

「ウフフ、ねぇ紫織、お父さんもエライのよ。こっちの商工会のみなさんと協力してね」
 うんうんと頷きながら、紫織は自分だけじゃなかったと胸が締め付けられる思いがした。自分だけが歯を食いしばっていると思っていたが、そうじゃなかった。

 ――お父さんもお母さんも。みんな、頑張っているのね。
 朝食を済ませ家事を手伝ったあと、紫織は、「お父さんになにか差し入れを買ってくるわね」と言って家を出た。

 この家にはお正月くらいしか来たことがなかったし、すぐに戻ってしまったので周りのこともよくわからない。
 家は店舗兼住宅で、場所はどちらかといえば観光地でも外れの方にある。観光客でごったがえす名所と比べると人影は随分とまばらだったが、居心地は悪くはない。そしてここがいいところは、高層ビルに囲まれた都内と違って、空が広いことだった。

 夜の帳が落ちれば、満天の星が見えるだろう。

 ――宗一郎と見たいな。

『愛してる。今度こそ結婚してくれ、紫織』
 そう言ってくれた一昨日の夜、ふたりで夜空を見上げたけれど、あまり星は見えなかったから。

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