どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第十章 ずっと好きだった 2

 光琉と宗一郎とは何もないことを知っただけで心が軽くなったし、彼女は宗一郎と和解する機会を作ってくれた。
 おかげで『SSg』で働くことの辛さは全て、消えてしまったようにさえ思う。

 あんなに毎日泣いて過ごしたくせに。
 自分に呆れる溜息をつきながら、紫織はカップを置いてコーヒーメーカーのボタンを押した。

 レギュラーコーヒーのブラック、薄め。

 甘くないコーヒーを飲めるようになったのはつい最近。ここ『SSg』に来てからである。
 以前はインスタントコーヒーにクリームと砂糖をいれて飲んでいたし、美由紀と住んでいた部屋では紅茶ばかりを飲んでいた。

 なんとなく、意地でもレギュラーコーヒーをブラックで飲まなきゃいけないような気がして、胃が痛くなるのを我慢しながら飲み続けているうちに、ようやく飲めるようになった。
 カフェオレが嫌いになったわけではないけれど、いまはすっかりブラックコーヒーの香りが好きだと思えるほど。

 ピーッと音が鳴ったのを合図に紫織はカップを取り出した。
 カップに顔を近づけて思い切り息を吸い込むと、香ばしい芳醇な香りに包みこまれる。

「ブラックコーヒー。飲むようになったんだな」
 ハッとして振り返ると、そこにいたのは宗一郎だった。

 うん、と言いそうになるのを「あ、はい」と答えた。

「慣れですね。美味しいって思えるようになりました」

 楽しい夜を過ごしたとはいえフランク過ぎる会話になってはいけない。ここでは、あくまでも社長と社員である。その関係を崩さないようにしなくては。

 なのに、彼のほうはそんな気遣いなどわかっていないのか。

「明日から夏休みだろう? どこかに行くのか?」
 友人のように親しげに話しかけてくる。

「実家に行ってきます」

 ふぅんと頷く彼がなにを思うのかはわからない。

「社長は? お休み取らないんですか?」

「ん? ああ、そうだね。取りたいけど、なかなか」

「社長ですもんね」

 これ以上何を話していいのかわからず、じゃあと頭をさげた。

 ここに長くいるつもりはない。
 退職届は提出したままだ。

 このまま彼といい関係でいられるかもしれないけれど、いずれは彼が誰かと結婚する時がくるだろう。
 いまはもしかしたら彼に恋人もいないかもしれない。でもいつか、その日はやってくるのだ。

 もしかしたらそれは今日かもしれない。今日じゃなくても来月かも?
 さすがにそれを笑って受け止める余裕はない。
 だから、職探しは続けるつもりだ。早く次を探して、決まったらここを退職する。

 こうして感じよく仲直りができただけで、もう満足。
 そう思いながら、紫織は踵を返した。

「待って紫織!」

 ――えぇ?

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