どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第九章 社長の秘密 10

「じゃあ、行くか」

「あ、はい」

 そう答えながらも、帰るということだと思った。
 だって、ふたりで食事だなんてありえないではないか。

 なのに、彼は「この時間だから、酒飲みながらいいか?」などと言う。

「え? 本当に行くの?」
「嫌か?」

「ううん。嫌じゃないけど」

 もう十時近い。それなのに彼はまだ何も食べていない。

 手伝ってもらったのに、ここで断わるなんて、どれだけ鬼?
 心の中の自分に叱られた。

「本当にいいの?」

 ――私はいいけど、あなたは誤解されたら困る人とかいるんじゃないの?
 そう言葉に含んだはずなのに、彼は真顔で首を傾げる。
「なにが?」

 ――え? なにがって、え?
 あの“しおり”っていう女の子だって、あの後どうなったのよ。

 そう思うのに、宗一郎の目を見るとなんだか言えない。

「えーっと、じゃあ行きましょう」
 ――とか言っちゃったけど。
 ほ、本当に? いいのかなぁ。

 促されるまま一緒に会社を出て、入ったのは会社の近くのバー。
 カウンターの他には数席しかないようなその店で、隣同士で座ると、もうそれだけでどうしようもなくドキドキと顔が火照る。

 ふわりと彼から香ったのは整髪剤なのだろうか。
 爽やかないい香りだった。

「紫織は何か食べたいものは?」

「えっと。じゃあ、サラダをどれか」

「白ワインを頼むけど、ちょっと飲んでみる? 明日休みだし」

「うん。そうね、ちょっと飲もうかな」

 今日が金曜日じゃなければ断る理由もあっただろう。
 でも、こんな偶然が起きることはもうないと思う。残業することは滅多にないし、しかも彼に手伝ってもらうなんてことは二度とないに違いない。

 今日くらいは、いいよね?

 またしても、心の中でもうひとりの自分が答えた。
 ――うん。これで本当に仲直りできるじゃん!

「野菜をとらないとダメよ。本当に。食事でとれなくても無添加の野菜ジュースとかスムージーとかあるでしょう? そういうのを買い置きしておいたら?」

 さっき話した食事事情から始まって、話題は事欠かなかった。

「ああ。そう思うんだけど、忘れちゃうんだよ、つい」

「ダメダメ。体を壊したらどうするの? 社員を路頭に迷わすつもり? さあ、いま予約して。ほら、スマートホン出して」

 クスクス笑い合って、ふざけあって、楽しくて。
 気が付いたら十二時。

 もう限界だと思った。
 そろそろ帰りましょうと言ったのは、これ以上一緒にいたら自分を見失いそうだったから。

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