どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第八章 どうにもならない社長の事情 7

***

『紫織、どう? 一人で寂しくない?』
 美由紀からSNSで入ったメッセージ。

『大丈夫だよ! 寂しくないと言えばウソだけど慣れなくちゃね』
 そう返信を返し、夕ご飯の写真をお互いに見せ合うなどのやり取りをしてスマートホンを置く。

 スマートホンの隣にあるのは就職情報雑誌だ。
 毎晩隅から隅まで眺めて、マーカーで印をつけたりしているが、問い合わせをしたところはまだ一つもない。

『SSg』を辞めようという気持ちに迷いはないが、考えてしまうのはこれからの人生のことだった。

 あと数か月で紫織は三十歳になる。

 特に大きな目標もなく、これをしたいという仕事があるわけでもない。

 こんなふうに、都内で一人生活することに、どんな意味があるのだろうか?

 京都に移り住んだ両親と別れてひとりになった時は二十五歳で、人よりは遅かったかもしれないけど、それでも自分の力で歩こうという勇気が漲っていた。

 面接を受けて断られて、アルバイト先でレジ打ちを間違って店長に怒られて、そんなことを重ねるうちに溢れていたはずの勇気は少しずつ萎んで小さくなってゆき。ぎりぎりのところで『花マル商事』に拾ってもらった。

 もしあのまま花マルにいることが出来たなら、少しは違ったかもしれないと思う。
 あのままもし変わらずに働いていれば、もしかしたら、いつしかまた恋もできたかもしれない。

 もしかしたらと考えたところで、どうにもならないとはわかっているけれど、それでもやはり考えてしまうのだ。

 だって、
 今よりは間違いなく、未来が開けていたに違いないから。

『SSg』という会社自体には、なんの不満もない。
 家賃の心配もなくなったのだから少しは貯金も貯まるだろう。人間関係も悪くはない。仕事には苦労することもあるだろうが、それはどこにいても同じだ。

 でもあの会社にいる限り、自分は一歩も前へ進めない。
 それどころかむしろ後退していると思う。

『このまま、ここで働いてみないか?』

 今日の昼間。エレベーターで偶然彼に会い、またしてもそう言われた。

 彼へのバースディカードで辞めと書いてから、彼に退職を止められたのはこれで二度目になる。

 今日の彼の瞳は穏やかだった。
 昔、紫織がよく知る優しい宗一郎の瞳と同じ色をしていた。

『君に、ここにいてほしいんだ』
 更にそう言われた時は、驚いて息を飲んだ。

 そのまま少し沈黙が続いてエレベーターが止まり、人が乗ってきたので返事はしなかったが。

 宗一郎はどういうつもりで止めるのだろう?

 光琉や他に恋人がいて、元恋人にまで優しくできるだけの気持ちの余裕があるということなのだろうか。

 ――それとも
 光琉が言っていたことは本当で、二人は付き合っていないのか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、ルルルと電話が鳴り、電話に表示された名前は母からのものだった。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品