どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第四章 変わるもの変わらないもの 13

「はーい。課長、エスプレッソでーす」
「おお。サンキュー」

 コーヒーを受け取った室井は、呆れたように笑う。

「なぁ紫織。俺は課長じゃなくてマネージャだぞ。いつまで課長って呼ぶつもりだよ」

 室井の笑顔を見るとホッとした。
 全てを包み込んでくれるような上司の笑顔をみると、ささくれ立った心が癒えていくようだった。

「課長でいいんです! 私にとって、課長はずーーっと課長なんですから」

 少なくともこの上司は変わらない。
『花マル商事』にいる時も、ここ『SSg』で営業部第三課のマネージャーになっても、この先十年経っったって絶対に変わったりしない。

 クスクスと笑いながら、紫織は笑っている自分にハッとした。

 傷ついてもすぐに修復できるほど、自分は強くなっている? 言い方を変えれば図太くなったというのかもしれないが、これは悪いことじゃない。

「まぁ、別にいいけどな。マネージャーって柄でもないし」

「ですよねー」

「お? 紫織、ブラックか?」

 コーヒーには、たっぷりのミルクと少しの砂糖を入れて飲むのが『花マル商事』にいたころの、紫織の習慣だった。

「はい。甘いことは言ってられませんからね」

「お。大人になったなぁー」

「そりゃもう。来年には私も三十歳ですから」

 クスクス笑いながら、紫織は思った。

 ――大丈夫。課長が変わらずにいてくれる限り、私は明日を信じて踏ん張れる。

 思えばいつだってそうだった。

 紫織がどうしようもなく辛い時に、それを知ってか知らずか室井はたわいもない会話で、温かく癒してくれた。

 仕事で失敗した時も、『花マル商事』からどんどん人が辞めていく時も、『大丈夫だ、紫織。心配するな、どうってことないさ』と笑ってくれた。

 紫織は室井のことを、心から尊敬しているし大好きだ。
 その気持ちは恋愛感情とは少し違っていて、彼は兄であり、人生の師匠なのである。


「そういえば紫織、パーティ、着る物あるのか?」

「あ、そっか、明日ですね」

 明日夕方六時から、近くのホテルでここ『SSg』の設立記念パーティがある。

 紫織のお財布事情に詳しい上司は、どうやら心配しているらしい。

「俺の彼女にドレスを借りてやろうか? ちょっと胸が緩いかもしれないけどな」

「またもぉセクハラ発言。失礼じゃないですか課長ったらもぉー。大丈夫ですよ。私、ドレスはなくても着物ならありますから」

「あ、そっかそっか。お前は呉服屋の娘だもんな」

「もと呉服屋ですけどね」

 着物の着付けは自分で出来る。
 それは紫織が呉服屋の娘であることの名残のようなものだった。

「着物かぁ、うーん。それは楽しみだな」

「惚れないでくださいよ」
 クスクスと笑い合った。

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