どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第三章 そんな偶然ならいらない 8

 これでも飲みに行けばまだまだナンパもされるし、『花マル商事』では出入りの業者には美人だね~紫織ちゃん! なんて声も掛けられたのだ。

 だいたい、え?
 なんですって?!
 俺が社長だから来たのか? はっ?!

 ショックが怒りに変わり、震える指先は入力を間違えたり変換を間違えたり、打っては消しを繰り返し、最後は叩きつけるようにして送信ボタンをクリックした。

『あなたが社長だなんて、全然知らなかった。
 随分立派になったのね。   藤村』

 仮にも相手は雇い主の社長。
 自分ももう少しで三十歳になる、いい大人女子だ。
 どんなに悔しくても、馬鹿にしないで!とは送れない。

 血が出そうなほど唇を噛んで画面を睨んでいると、ポンとまた軽い音が鳴った。

『で、どうするんだ? 本気でここで働くつもりか?
不動産屋と約束した手前、俺からはこれ以上は言えない。
自分から上手い理由つけて辞めてくれると助かる。  鏡原』


 ――淡い初恋だった。

 もう二度と恋なんかできなくなるほど、心から好きだった。

 優しい恋人は、こんな酷いことを言う人じゃなかった。

 変わったのはあなたじゃないの?

 百年の恋も冷めるというのは、こういうことを言うのだろう。
 紫織の心の奥で誰にも知られずに燃えていたはずの密やかな炎は、冷や水を滝のように浴びせかけられたように、跡形もなく消えた。

『私がここに居てはいけませんか?
   藤村』

『まじでいるつもり?
 落ちぶれたもんだな   鏡原』

 バシッ!
 思わずノートパソコンを叩いていた。

「どうした紫織?」
 音に驚いたのだろう。
 隣のパーテーションから室井課長が顔を出す。

「あ、あはは。いえいえ、虫です。なんか虫がいて、あはは」
「そっか」
 課長が顔を隠したところで紫織は返事を書いた。

『私はや・め・ま・せ・ん  藤村』

 ――そうですとも。絶対に、絶対に辞めるもんですか。

 これは女の意地だ。
 そんな簡単に負けてはいられない。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品