どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第二章 ばいばい花マル、よくできました 5

「うん。社長が回復したら、課長と三人で快気祝いと一緒に門出を祝う送別会を開くことになったの。
 それでね、私の転職先も社長が見つけてくれて、課長と一緒に同じところに転職できるらしいんだ。なんかすごくない?」

「へえー。それはすごいね! 就職活動しなくて済むんだ?」

「そうなんだよぉ。
 ほんとにね、社長ったら自分だって大変なのに、私の心配までしてくれて。あのビルを売る条件として、私と課長の転職先を提供することって言ってくれたんだって。ありがたいことだよ」

「優しい人だね、社長さん」

 どちらからともなく、ふたりは壁に掛けてあるフォトフレームを見た。

 沢山の写真がところ狭しと貼られている中で、ひときわ大きな写真は紫織が入社した年の社員旅行の写真だった。

 皆が肩を寄せ合うようにしてとても楽しそうに笑っている。

 最近は随分と痩せてしまった社長も、当時はこんなに恰幅もよくて元気だったんだなぁと笑い声と共に思い出し、つい瞳に涙が滲んでしまう。

 その様子を見ていた美由紀もまた、胸が熱くなった。

 正社員として『花マル商事』に就職できるまで、紫織がどれほど苦労をしたのか。
 そして働き始めた彼女が、どれだけ頑張って来たか、美由紀はずっと近くで見てきた。

 辛くても愚痴も言わずに、紫織はアルバイトを続けながら面接に通い続け、『花マル商事』で働き始めてからは、夜遅くまでマニュアル片手に苦手だったパソコンに向かっていた。
 そんなひとつひとつが思い出されて、美由紀の心も切なくなる。

「なくなるのは残念だね。いい人たちに恵まれていたのに」

 声を出せない代わりに、紫織はうんと頷いた。
 出来ることならずっと定年を迎えるまで長く『花マル商事』で働いていたかった。

 お給料は高くはなかったし、ビルはおんぼろで華やいだ職場ではなかったけれど、大切な心の拠り所だったのである。

 仕事に慣れるまでは間違いばかりでよく叱られた。お客さんに怒鳴られたことも、出来ない自分が情けなくて、こっそりトイレで泣いたこともある。

 でも楽しかったことは、辛い思い出の何十倍もあった。

 大きな仕事が終わると森田社長がデリバリーのピザを頼み、『お疲れさん!』とビールで乾杯。うららかな春は郊外でバーベキューに、夏はビヤホール。
 秋は温泉へ社員旅行、冬は忘年会。

 みんな仲が良くて家族のようだった。

 しみじみとそんなことを思いながら、紫織はポツリとつぶやいた。

「幸せだったなぁ」

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