【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。
伝説の先輩
さして広くもないイベントスペースには100人くらいの学生たちがひしめき合っていて、ろくに分煙もされていないうえに、換気もよくなかったからなのか、空気が薄く煙っていました。
なんかレーザー光線みたいな光が音楽に合わせて照射されてたんですけど、光るたびに会場の汚れた空気が照らされてもやもやしてるのが見えて、あー、やっぱり煙ってるなーって。
それを見てると、スピーカーから流れる音楽の、ベースの重低音がやけに腹に響きました。
時折、歓声と女の子の愉し気な笑い声があちこちから湧くように聞こえてきたのをすごく覚えています。
みんな、全身で楽しんでるように見えました。
というか、ぼくたち、わたしたちはすっごく楽しんでます!って全身でアピールしてましたね。
若さってやつです。
そのイベントは幹部の一人の誕生パーティーだったんです。その人はいわゆる「上級国民」の息子で、とにかく派手なことが大好きな人でした。
改めて考えてみれば、自分はこういう場は、
「こういう場は、嫌いだったとかですか?」
「いえ、大好きだったな~☆彡って思って。とにかくテンションが上がりましたね」
「……」
ヤマノ化成の秋祭りの実行委員会は祭り当日までのあいだ、とある会議室を貸し切って事務局とし、各部署から選出された実行委員たちは、そこで打ち合わせや各種の準備作業を行っていた。
その日の打ち合わせは14:30からで、あずみは10分前に着いた。
先に営業部の蛯名君という若手の社員が来ていて、なんとなく雑談する空気になったのだった。
蛯名君はあずみや創太郎の一個下の年齢で、入社してすぐに東京支社に勤務し、あずみとそう変わらない時期に転勤でこの本社へやってきたらしい。
眼鏡をかけていて実直そうな外見をしているけれど、口を開くと思いのほか軽い口調で話すので、少し面食らう。
その軽薄さが不快に感じないのは、彼の言葉の端々に教養や品の良さがにじむからだろうな、とあずみは考察した。
こういう人はたぶん営業に向いているし、顧客のウケも良さそうだ。
「イベントの準備って、大学出て以来だから懐かしくて楽しい」とあずみが言うと、彼は『こういうのとはちょっと違いますけど、学生のときイベサーに一時期いたんでわかります』と答えた。
そういえば創太郎も一時期イベントサークルに入っていたと言っていたな、と思い出して興味が湧き、『イベントサークルって関わったことがないけど、実際どんなことをするの?』とあずみが蛯名君に訊ねたのは、当然といえば当然の流れで、そこから冒頭の話につながったのだった。
イベントの様子をちらっと聞いた限りでは、なんだか派手で怖いイメージしか持てないけれど。
彼も、同じようなイベントに出入りしていたのだろうか。
「そこにちょっと変わった人がいたんです」
「変わった人?」
「はい。その人、メンノンのモデルが出来るくらいかっこ良くて、しかも成績も優秀で……まぁ、有名でした。女子からの人気がすごすぎて“伝説くん”なんて呼ばれてましたね。サークルに伝わる“一度のイベントで告白された回数”をぶち抜いたとかなんとか」
「ふぅん……」
メンノンのモデルが務まりそうなかっこ良い人といえば、あずみにも心当たりがある。
そのかっこ良い人はいま、営業部長から「極めて漠然とした、口頭の指示」で依頼された新しい資料フォーマットの作成と、「ころころ変わるフィードバック」に頭を悩ませている。
「それで、その人のどこが変わってたの?」
「なんというか、目が死んでて。全身で気配を消してました」
「えっ?目が死んでたってどういうことですか?」
「とにかくつまんなさそうというか、だらっと座ったままずっと動かなかったです。でも目線は動かしてて、会場をゆるく睨むように見渡す感じで。なんとなく気になったんで話しかけたら、わりと普通と言うか、全然いい人なんですけど、まぁ覇気がなくて」
「へぇ……」
「当時は俺も若かったんで、不思議で仕方がなかったです。顔が良くて、スタイルもよくて、性格もよくて、金がないわけじゃなさそうだし、なにがそんなにつまらないんだろって」
蛯名君は淡々と語ったけれど。
正直あずみとしては、どうして自分を相手に彼がそんな話をするのかが、いまいちよくわからなかった。
それでもなんとなく続きというか、“伝説くん”のことが気になって、あいづちを打つ。
「その先輩は何か、悩んでいたとか?」
「まぁ、たぶん。外からは完璧に見えても、心の内に抱えているものはわからないってことですね」
「うん…なるほどね」
「その先輩と俺、けっこうウマが合って、たまに会うたび話したりしてたんですけど、そのうち気がついたんです。先輩は“欠けた何か”を探してるんだって。でもそれからすぐ先輩がサークルやめて、連絡先も知らなかったんでそれっきりになって」
「そっか……」
「実は、その先輩に再会したんです、7月に。そしたら見違えるように元気になってて。最初は気づかなかったくらいでした」
「そうなんだ?問題が解決したのかな。探し物が見つかったとかでしょうか?」
「だと思います」
蛯名君がなぜか、あずみの目を見てニヤリとしたので、困惑してしまう。
その時、会議室のドアが続けざまに2回ノックされ、硬い音が響いた。
「はい」
返事をしつつ立ち上がり、ドアを開けると、立っていたのは創太郎だった。
「篠原さんごめん、今朝話してた予算進捗のデータって共有のどこにあるかな。急に必要になって」
「はい。えっと、第1チームフォルダの……」
あずみがデータの保管場所を告げると、創太郎は「ありがとう」と言い、おもむろに会議室の中に視線を移した。
「お疲れ様です」
蛯名君が明るい声で挨拶する。
創太郎は蛯名君をみとめると、口の端をわずかに上げた。
「お疲れ」
手短に言い、「じゃあ後で」とその場を後にするのを、あずみはあっけに取られながら見送った。
──二人って、知り合いなのかな。親し気だったけど。
「今はもうほんと、完璧に見えます。正確には、ある人と一緒にいる時は、とくに」
「あの、それって」
結局何の話ですか?とあずみが聞こうとした時だった。
「お疲れ様でーす。すみません、遅れちゃって」
「今日は単純作業しかないんで、ぱぱっと済ませちゃいますか」
数人の実行委員たちがわいわいしながら入ってきて、話はそれっきりになる。
「今日はヤマノぼうやの中身も決めないとねー、希望者が多ければくじびきで!」
「あ、僕やりたいです」
蛯名君が手を挙げた。
「背高いと怖いからダメ。首が見えるし」
「まじですか」
“先輩”の話の顛末をもう少し詳しく聞きたかったような気もするけれど、まぁいいか…と思い直した。
「すみません、私やりたいです。ヤマノぼうやの中身」
個人の思い出話にたまたま出てきただけの、顔も名前も知らない青年の幸せな人生を願いながら、あずみは手を挙げたのだった。
なんかレーザー光線みたいな光が音楽に合わせて照射されてたんですけど、光るたびに会場の汚れた空気が照らされてもやもやしてるのが見えて、あー、やっぱり煙ってるなーって。
それを見てると、スピーカーから流れる音楽の、ベースの重低音がやけに腹に響きました。
時折、歓声と女の子の愉し気な笑い声があちこちから湧くように聞こえてきたのをすごく覚えています。
みんな、全身で楽しんでるように見えました。
というか、ぼくたち、わたしたちはすっごく楽しんでます!って全身でアピールしてましたね。
若さってやつです。
そのイベントは幹部の一人の誕生パーティーだったんです。その人はいわゆる「上級国民」の息子で、とにかく派手なことが大好きな人でした。
改めて考えてみれば、自分はこういう場は、
「こういう場は、嫌いだったとかですか?」
「いえ、大好きだったな~☆彡って思って。とにかくテンションが上がりましたね」
「……」
ヤマノ化成の秋祭りの実行委員会は祭り当日までのあいだ、とある会議室を貸し切って事務局とし、各部署から選出された実行委員たちは、そこで打ち合わせや各種の準備作業を行っていた。
その日の打ち合わせは14:30からで、あずみは10分前に着いた。
先に営業部の蛯名君という若手の社員が来ていて、なんとなく雑談する空気になったのだった。
蛯名君はあずみや創太郎の一個下の年齢で、入社してすぐに東京支社に勤務し、あずみとそう変わらない時期に転勤でこの本社へやってきたらしい。
眼鏡をかけていて実直そうな外見をしているけれど、口を開くと思いのほか軽い口調で話すので、少し面食らう。
その軽薄さが不快に感じないのは、彼の言葉の端々に教養や品の良さがにじむからだろうな、とあずみは考察した。
こういう人はたぶん営業に向いているし、顧客のウケも良さそうだ。
「イベントの準備って、大学出て以来だから懐かしくて楽しい」とあずみが言うと、彼は『こういうのとはちょっと違いますけど、学生のときイベサーに一時期いたんでわかります』と答えた。
そういえば創太郎も一時期イベントサークルに入っていたと言っていたな、と思い出して興味が湧き、『イベントサークルって関わったことがないけど、実際どんなことをするの?』とあずみが蛯名君に訊ねたのは、当然といえば当然の流れで、そこから冒頭の話につながったのだった。
イベントの様子をちらっと聞いた限りでは、なんだか派手で怖いイメージしか持てないけれど。
彼も、同じようなイベントに出入りしていたのだろうか。
「そこにちょっと変わった人がいたんです」
「変わった人?」
「はい。その人、メンノンのモデルが出来るくらいかっこ良くて、しかも成績も優秀で……まぁ、有名でした。女子からの人気がすごすぎて“伝説くん”なんて呼ばれてましたね。サークルに伝わる“一度のイベントで告白された回数”をぶち抜いたとかなんとか」
「ふぅん……」
メンノンのモデルが務まりそうなかっこ良い人といえば、あずみにも心当たりがある。
そのかっこ良い人はいま、営業部長から「極めて漠然とした、口頭の指示」で依頼された新しい資料フォーマットの作成と、「ころころ変わるフィードバック」に頭を悩ませている。
「それで、その人のどこが変わってたの?」
「なんというか、目が死んでて。全身で気配を消してました」
「えっ?目が死んでたってどういうことですか?」
「とにかくつまんなさそうというか、だらっと座ったままずっと動かなかったです。でも目線は動かしてて、会場をゆるく睨むように見渡す感じで。なんとなく気になったんで話しかけたら、わりと普通と言うか、全然いい人なんですけど、まぁ覇気がなくて」
「へぇ……」
「当時は俺も若かったんで、不思議で仕方がなかったです。顔が良くて、スタイルもよくて、性格もよくて、金がないわけじゃなさそうだし、なにがそんなにつまらないんだろって」
蛯名君は淡々と語ったけれど。
正直あずみとしては、どうして自分を相手に彼がそんな話をするのかが、いまいちよくわからなかった。
それでもなんとなく続きというか、“伝説くん”のことが気になって、あいづちを打つ。
「その先輩は何か、悩んでいたとか?」
「まぁ、たぶん。外からは完璧に見えても、心の内に抱えているものはわからないってことですね」
「うん…なるほどね」
「その先輩と俺、けっこうウマが合って、たまに会うたび話したりしてたんですけど、そのうち気がついたんです。先輩は“欠けた何か”を探してるんだって。でもそれからすぐ先輩がサークルやめて、連絡先も知らなかったんでそれっきりになって」
「そっか……」
「実は、その先輩に再会したんです、7月に。そしたら見違えるように元気になってて。最初は気づかなかったくらいでした」
「そうなんだ?問題が解決したのかな。探し物が見つかったとかでしょうか?」
「だと思います」
蛯名君がなぜか、あずみの目を見てニヤリとしたので、困惑してしまう。
その時、会議室のドアが続けざまに2回ノックされ、硬い音が響いた。
「はい」
返事をしつつ立ち上がり、ドアを開けると、立っていたのは創太郎だった。
「篠原さんごめん、今朝話してた予算進捗のデータって共有のどこにあるかな。急に必要になって」
「はい。えっと、第1チームフォルダの……」
あずみがデータの保管場所を告げると、創太郎は「ありがとう」と言い、おもむろに会議室の中に視線を移した。
「お疲れ様です」
蛯名君が明るい声で挨拶する。
創太郎は蛯名君をみとめると、口の端をわずかに上げた。
「お疲れ」
手短に言い、「じゃあ後で」とその場を後にするのを、あずみはあっけに取られながら見送った。
──二人って、知り合いなのかな。親し気だったけど。
「今はもうほんと、完璧に見えます。正確には、ある人と一緒にいる時は、とくに」
「あの、それって」
結局何の話ですか?とあずみが聞こうとした時だった。
「お疲れ様でーす。すみません、遅れちゃって」
「今日は単純作業しかないんで、ぱぱっと済ませちゃいますか」
数人の実行委員たちがわいわいしながら入ってきて、話はそれっきりになる。
「今日はヤマノぼうやの中身も決めないとねー、希望者が多ければくじびきで!」
「あ、僕やりたいです」
蛯名君が手を挙げた。
「背高いと怖いからダメ。首が見えるし」
「まじですか」
“先輩”の話の顛末をもう少し詳しく聞きたかったような気もするけれど、まぁいいか…と思い直した。
「すみません、私やりたいです。ヤマノぼうやの中身」
個人の思い出話にたまたま出てきただけの、顔も名前も知らない青年の幸せな人生を願いながら、あずみは手を挙げたのだった。
コメント
梅川いろは
こうとう ゆたか様
一気読みしていただいたとのこと、とても嬉しい気持ちになりました…!
名前呼びの件、彼が彼女を「あずみ」と呼ぶ時は、それが合図(笑)になっていくと思われます。
この度は作品を読んでくださりありがとうございました。
誤字を教えてくださったのも助かりました。重ねてお礼を申し上げます。
こうとう ゆたか
一気に読破しました。いつまでも名字呼びなので、名前呼び(最中はしてるのか?燃える!)してるとこ読みたいです(笑)