【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。

梅川いろは

秘密の恋のたどる道 4

 朝家を出てから自分の席に着くまで、他の社員が自分と創太郎のことを知っているのではないかと思って緊張していたけれど、社内は特にいつもと変わった様子はなかった。

 顔を合わせた人は皆挨拶をしてくれるし、探るような目つきなどもない。

「おはようございます」

「あ、おはよう」

 チーム内で今日は一番早く席に着いていた西尾さんも、何事もなかったかのように挨拶してくれる。

 あずみは椅子に座り、PCの電源を入れた。

「早いんですね。もう始めてるんですか?」

「うん、昨日終わらなくてね。持ち越したのを片付けようと思って」

 PCの画面を見ながらのんびりと言い、西尾さんは椅子ごとくるりとあずみの方を向いた。「大丈夫だからね」

 もちろん、何のことを言われているかはすぐにわかった。

「…はい」

「今日は私から午前中に打ち合わせを提案するつもり」

「え、そうなんですか」

「うん。いろいろと報告したいことがあってね。共有スケジュール見た感じ、和玖君は大丈夫そうだけど篠原さんは都合つくかな?」

 西尾さんが報告。なんだろう。

「私も問題ありません」

「良かった。寺本さんと上杉さんは確認しなくても忙しいはずないから、先に会議室おさえちゃおうかな」

 かなり辛らつなことをさらりとした声音で言って、西尾さんは会議室の予約フォームを開いている。

 ログインしてタイムカードを押していると、創太郎が来た。

「あ、和玖君おはよう。今日10時から打ち合わせって可能?一応スケジュールは見たんだけど」

「おはようございます。僕はだいじょうぶです」

「じゃあもう予約しちゃうね」

「はい。お願いします」

 創太郎がちらりとあずみを見る。目が合うと彼は口の端をわずかに上げて、そのままPCに視線を移した。

 あずみはどきりとした。今までは会社でこんな風に視線を寄こすことはなかったのに。

「…おはようございまーす」

 憮然とした声で現れたのは上杉さんだった。心なしか、いつものような覇気が感じられない。強気な彼女には珍しく、どことなく落ち着かない様子で席に着いた。

 創太郎がみんなに告げる。

「今日寺本さんは体調不良でお休みするそうです。フォローは僕がしますが、イレギュラーなことがあればみなさんにも何かお願いすることがあるかもしれません」

「はい」

 あずみと西尾さんが返事をしたけれど、上杉さんは何も言わなかった。

 もしかするといつも上杉さんが強気な姿勢でものごとを言うのは寺本さんの存在あってのことで、いま目の前に座っている彼女が本当の姿なのかもしれない。

 あずみはぼんやりとそう考えた。
 
 10時近くまで仕事を進め、寺本さんを除いた4人で昨日と同じ会議室に入る。

 除菌などの準備は事前に西尾さんが済ませておいてくれたようだった。

「では、始めましょうか」

 創太郎が言い、メンバーを見渡すと西尾さんが手を挙げた。

「あ、ちょっと待ってもらっていい?今来ると思うから」

 今来る、とは誰のことを言っているのだろう。

 壁にかかった武骨な時計の針がきっかり10時を指ししめした時、会議室のドアがノックされた。
間を置かずに40代くらいの男性が入ってくる。

 真っすぐにのびた背すじ。視線を向けられたら、たいていの人が委縮してしまいそうな鋭い眼光。

 現れたのは新田統括部長だった。

「社内恋愛はご法度、ばれたら転勤」を主導しているという人物だ。

 その人がなぜここに?

 呆気に取られたのは創太郎も同じだったようで、目を丸くしている。

 新田部長は創太郎の席から少し離れた位置に無言で座り、意外なことに会釈をした。

 それを見届けて、西尾さんが口を開く。

「えーと、いきなりでごめんなさいね。私の内縁の夫の新田さんです」

 内縁ということは、いわずもがな事実婚ということだ。

 西尾さんにパートナーがいるらしいというのは、左手の薬指にはめられた華奢なリングから察してはいたけれど、その相手が新田部長だったなんて。

 ということは。

「あのね、社内恋愛はご法度っていうのはデマ…ってわけでもないんだけど、ほとんど単なる噂にすぎないの」

 それを聞いて、会議室の中が静まり返った。

 人ひとりが入ってきたことで室温がわずかに上がったのを察知したのか、エアコンが重くるしい駆動音とともに冷風を吐き出した。



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