【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。
八月のいちばん長い日 2
私事。土曜日。街中に。
話が見えないなと考えたのは数舜のあいだで、すぐに思い至った。
その日は創太郎のおばあさんのところへ行き、百貨店で買い物をして帰ったのだ。
心臓が早鐘を打つ。喉がひりついて、息が苦しくなった。もしかして、見られていた?それを今から追及する?
「篠原さん、顔色悪くないですか?大丈夫?」
涼やかな声で寺本さんがあずみを気づかった。今日初めて合った目は笑っていて、あずみの動揺を楽しんでいるのがわかる。
救いだったのは、創太郎が動じることなく無線のキーボードをたたいて議事録をとっていることだった。さすがとしか言いようのない落ち着きぶりだ。
上杉さんが続ける。
「篠原さんと和玖さん、一緒にいましたよね?二人で何やってたんですか?画像もありますけど」
言い終えて、あずみをじろりとにらむ。
(どうしよう…私が否定したほうがいいよね)
「そ…」
「一緒に買い物して家に帰るところでしたが、何か問題が?」
口を開きかけたあずみより早く、創太郎が言った。
その声は凪のように落ち着いていて、なんの動揺も感じさせなかった。
まるで悪びれず堂々としている創太郎の反応が予想外だったのか、上杉さんはわずかに肩を揺らした。
それでも負けじと言う。
「いやでもっ、その一緒にいるというのが問題じゃないですか?」
「…うちの会社って、社内恋愛はNGでしたよね?」
寺本さんが上杉さんの後を引き継ぐようにして、きっぱりと言った。
「まぁ社則にはないみたいですけど、ばれたらどっちかが転勤とかって聞きましたよ」
納得が行かない。
隠れて社内恋愛をしていたことは認める。でもそれがこの人たちにとってなんだというのだろう。
たしかに自分たちは社員同士でお付き合いをしていて、しかも上司と部下の関係だ。
でもそのことで仕事に支障をきたしたり、だれかに迷惑をかけたことがあっただろうか?
もしあずみが寺本さんや上杉さんの立場であれば、よっぽどチーム内の仕事に影響が出ないかぎり、わざわざ打ち合わせの場を設けて相手を糾弾するようなことは絶対にしないだろうと思う。
そんなことで相手を責め立てても意味がないし、仕事をしていた方がずっとずっと生産的だからだ。
ただ、それでも。
どちらかが転勤になるというのは、今のあずみにとっては恐怖でしかなかった。
あの自然に囲まれた、古くやさしさの詰まった家で思いがけず再会して、お付き合いすることになって。
私は彼とあの家で、穏やかな生活を続けていきたい。
「いまこの会社で、和玖さんと篠原さんの関係を知っているのは私と上杉さんだけです。ただし」
寺本さんはたっぷりと間をとると、勝ち誇ったように言葉をつづけた。
「この場でのお二人の態度しだいでは、上に報告させていただこうと思っています」
上杉さんが同調するように鼻を鳴らす。
「そもそも社会人として、転職したばかりで社内恋愛とかどうかと思うよね。仕事ってさ、そういうもんじゃないでしょ?同じチームでチャラチャラされたらこっちが困るんだけど。ただでさえ忙しいのに」
言い返したいけれど、喉の奥が緊張でつかえたようになってしまって、言葉が出てこない。
そっと彼の様子をうかがうと、すぐになにかを発言するつもりはないのか口を開く様子はなく、上杉さんが発するもはや悪罵に近い言葉を冷静な顔で聞いていた。
でも、すごく怒っている。それがあずみにはわかった。
上杉さんの言うことには意味や根拠はなく、ただあずみを攻撃したいだけだというのが伝わってくる。
彼女はおそらくどこの会社にもいる、「文句をいうことで仕事をした気になってしまう人」なのだと思う。それはなんとなくわかりつつも、何も言い返せずにいるうちにこちらにも非があるような気になってきた。
私が辞めればいいのかな…という考えが頭をよぎる。
もともと興味があったマーケティングの仕事は予想していた以上に奥深く、やりがいがあった。
最近では創太郎と二人でお酒を飲んだ時に、仕事の話で盛り上がることも少なくない。
近年、世の中の衛生観念に劇的な変化があって、消費者の行動が大きく変容した。その動きは今でも続いている。
化学素材の需要にも大きな波が起きていて、まだ化学業界は変化のただなかにあった。
公衆衛生に関する理解度や、SNSに流れているさまざまな生の消費者の意見を探る能力、それに対する親和性は、この会社ではまず間違いなく、若くて広い視野をもつ創太郎が一番高い。
そこに他業種でのキャリアがあるあずみが加わり、経験の長い西尾さんの力を借りることで、これまでにない価値観から消費者行動を分析し、最終的には会社としての業績に結び付けることが出来れば、と彼は言っていたけれど。
話が見えないなと考えたのは数舜のあいだで、すぐに思い至った。
その日は創太郎のおばあさんのところへ行き、百貨店で買い物をして帰ったのだ。
心臓が早鐘を打つ。喉がひりついて、息が苦しくなった。もしかして、見られていた?それを今から追及する?
「篠原さん、顔色悪くないですか?大丈夫?」
涼やかな声で寺本さんがあずみを気づかった。今日初めて合った目は笑っていて、あずみの動揺を楽しんでいるのがわかる。
救いだったのは、創太郎が動じることなく無線のキーボードをたたいて議事録をとっていることだった。さすがとしか言いようのない落ち着きぶりだ。
上杉さんが続ける。
「篠原さんと和玖さん、一緒にいましたよね?二人で何やってたんですか?画像もありますけど」
言い終えて、あずみをじろりとにらむ。
(どうしよう…私が否定したほうがいいよね)
「そ…」
「一緒に買い物して家に帰るところでしたが、何か問題が?」
口を開きかけたあずみより早く、創太郎が言った。
その声は凪のように落ち着いていて、なんの動揺も感じさせなかった。
まるで悪びれず堂々としている創太郎の反応が予想外だったのか、上杉さんはわずかに肩を揺らした。
それでも負けじと言う。
「いやでもっ、その一緒にいるというのが問題じゃないですか?」
「…うちの会社って、社内恋愛はNGでしたよね?」
寺本さんが上杉さんの後を引き継ぐようにして、きっぱりと言った。
「まぁ社則にはないみたいですけど、ばれたらどっちかが転勤とかって聞きましたよ」
納得が行かない。
隠れて社内恋愛をしていたことは認める。でもそれがこの人たちにとってなんだというのだろう。
たしかに自分たちは社員同士でお付き合いをしていて、しかも上司と部下の関係だ。
でもそのことで仕事に支障をきたしたり、だれかに迷惑をかけたことがあっただろうか?
もしあずみが寺本さんや上杉さんの立場であれば、よっぽどチーム内の仕事に影響が出ないかぎり、わざわざ打ち合わせの場を設けて相手を糾弾するようなことは絶対にしないだろうと思う。
そんなことで相手を責め立てても意味がないし、仕事をしていた方がずっとずっと生産的だからだ。
ただ、それでも。
どちらかが転勤になるというのは、今のあずみにとっては恐怖でしかなかった。
あの自然に囲まれた、古くやさしさの詰まった家で思いがけず再会して、お付き合いすることになって。
私は彼とあの家で、穏やかな生活を続けていきたい。
「いまこの会社で、和玖さんと篠原さんの関係を知っているのは私と上杉さんだけです。ただし」
寺本さんはたっぷりと間をとると、勝ち誇ったように言葉をつづけた。
「この場でのお二人の態度しだいでは、上に報告させていただこうと思っています」
上杉さんが同調するように鼻を鳴らす。
「そもそも社会人として、転職したばかりで社内恋愛とかどうかと思うよね。仕事ってさ、そういうもんじゃないでしょ?同じチームでチャラチャラされたらこっちが困るんだけど。ただでさえ忙しいのに」
言い返したいけれど、喉の奥が緊張でつかえたようになってしまって、言葉が出てこない。
そっと彼の様子をうかがうと、すぐになにかを発言するつもりはないのか口を開く様子はなく、上杉さんが発するもはや悪罵に近い言葉を冷静な顔で聞いていた。
でも、すごく怒っている。それがあずみにはわかった。
上杉さんの言うことには意味や根拠はなく、ただあずみを攻撃したいだけだというのが伝わってくる。
彼女はおそらくどこの会社にもいる、「文句をいうことで仕事をした気になってしまう人」なのだと思う。それはなんとなくわかりつつも、何も言い返せずにいるうちにこちらにも非があるような気になってきた。
私が辞めればいいのかな…という考えが頭をよぎる。
もともと興味があったマーケティングの仕事は予想していた以上に奥深く、やりがいがあった。
最近では創太郎と二人でお酒を飲んだ時に、仕事の話で盛り上がることも少なくない。
近年、世の中の衛生観念に劇的な変化があって、消費者の行動が大きく変容した。その動きは今でも続いている。
化学素材の需要にも大きな波が起きていて、まだ化学業界は変化のただなかにあった。
公衆衛生に関する理解度や、SNSに流れているさまざまな生の消費者の意見を探る能力、それに対する親和性は、この会社ではまず間違いなく、若くて広い視野をもつ創太郎が一番高い。
そこに他業種でのキャリアがあるあずみが加わり、経験の長い西尾さんの力を借りることで、これまでにない価値観から消費者行動を分析し、最終的には会社としての業績に結び付けることが出来れば、と彼は言っていたけれど。
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