【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。

梅川いろは

おはようとおやすみの間のこと 5

「いや、そのバイトは大学の先輩に紹介されて。見返りにその先輩が幹部をやってたイベントサークルに入らされて、それはちょっと面倒だったけど」

「面倒?イベントサークルが?」

「…その話はまた今度ね。それより何か食べよう」

 もっと彼の学生時代の話を聞きたかったし、何よりはぐらかされた気もするけれど、たしかにお腹がすいてきた。鉄板でじゅうじゅう焼かれている焼きそばのソースの香りが、さっきからかなり気になっても、いる。

 焼きそば、たこ焼き、枝豆といったこういう時の定番メニューと、氷水でキンキンに冷やされていたラムネを2本買い込み、空いている飲食スペースに座った。

 二人でいただきますを言い、あずみは焼きそばのパックを開いた。ソースと紅しょうが、青のりの香りの混ざった湯気がふわっと立ち昇る。

 ひと口ぶんを箸でつかんで、口に運ぶ。濃いめのソース味が美味しい。創太郎が栓を開けてくれたラムネをきゅっと流し込むと、ビールを飲んだ時のそれと遜色ない高揚感を感じた。

「美味しいね」

 あずみが言うと、創太郎が目を細めて笑った。

「美味しいものを食べると、篠原さんはいつも困り顔になるね?」

「えっ、そうかな?でもたしかに、眉間に力が入っちゃうかもしれない…」

 この間指摘された鼻歌といい、自分で意識していない時の行動が恥ずかし過ぎる。これからはもっと緊張感を持って、彼に似合う凛とした大人の女性にならなくては…とあずみはひそかに決意した。


「あれっ、もしかしてわっくん?」

 テンションの高い声をかけてきたのは、自分たちと同世代くらいの青年だった。同じ年頃に見える数人の男女を引き連れていて、皆、興味津々といった様子でこちらを見てくる。

「なに、知り合い?ちょーイケメンなんですけど」

 数人のうちの一人の女性がはしゃいだ声をあげた。他の男性は値踏みするような露骨な目線をこちらに向けてくるので、あずみは落ち着かない気持ちになった。

「中学のころさ、ってあれ?高校の時だっけな?夏休みやら冬休みの時にこっちに来てた、わっくんだよね?」

「…こんばんは。滝口君、久しぶり」

 滝口君と呼ばれた青年は感激したのか、急に大きな声をあげた。

「おーっ!!覚えてくれてた!!」

 声量の変化についていけず、あずみは肩をびくりとさせた。皆お酒を飲んでいるらしく、ビールのにおいがする。

「えー、タキ、紹介して!てか、良かったらみんなで一緒にまわりません??この後海にも行くんですよー」

 創太郎のことをイケメンと評した女性が、やはり高めのテンションで言う。「一緒にまわりません??」を言う時にはこちらを見てきたけれど、視線は合わなかった。

「申し訳ないけど、そろそろ帰るところだったので」

 創太郎がやんわりと、それでいて相手のつけいる隙のない言葉と声音で言った。女性が押し黙る。

「ちょー待って、わっくん!SNSのID教えて。フォローして俺、連絡するし」

「ゴメン、SNSあまりやってないんだよね」

「そっかー、でも今度遊ぼう!俺ら今アウトドアにはまってて、キャンプとかバーベキューとかけっこう行くんだ。彼女さんも一緒に、ね」

 ね、と言いながらこちらに向けられた顔は紅潮していて、かなりお酒が回っているように見えた。どう答えるか迷って、あずみはあいまいに笑う。

「タキ、先行くよー」

 潮時と判断したのか、数人のうちの一人が離れていく。皆つられたように歩き出した。

「え、行くの?じゃあ、わっくんごめんね、なんか邪魔しちゃって。またねー」

 タキと呼ばれた彼が言い、先に行ってしまった友人達を追った。一緒にまわろう、と言った女性はまだ創太郎のことが気になるのか何度かこちら振り返ったけれど、やがてお祭りを楽しむ人たちに紛れて見えなくなった。

「なんか、ゴメンね。昔の知り合いで、悪い奴じゃないんだけど」

 創太郎がぽつりと言う。

「え、ううん。私は全然」

「でもそろそろ帰ろうか。買ってきたものも冷めちゃったし、家で温め直してゆっくり食べよう」

 たしかに、まだまだお祭りを楽しむぞ!という気持ちにはならなかった。さっきの人たちにまた会ったらちょっと嫌だなと思うのもある。

 境内を出て、人気の少なくなってきたところで手をつなぎ、水田に挟まれた国道を歩いた。

「足、痛くない?大丈夫?」

 創太郎が言った。

「うん、大丈夫。痛くないよ」

 それからなんとなくお互い無言になり、藍色の広い空の下をもくもくと歩いた。山の向こうには、一番星がくっきりと見える。

 ふと、こっちに来てからきちんと夜空を見上げたことがなかったなとあずみは思った。この辺りは人家や商業施設が多くないから、もっと暗くなればきっと綺麗な星空を見ることが出来るだろう。


 下駄がアスファルトに当たる音に、虫の声や、まだかすかに聞こえる祭囃子が重なると、理由はわからないけれどひどく懐かしくて泣きそうな気持ちになった。

 ここは自分の生まれ育った故郷ではないし、まだ暮らし始めて一年も経っていないけれど、自分の中でとても大切な場所になっているのだとあずみは思った。






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