【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。

梅川いろは

おはようとおやすみの間のこと 3 

 せっかくなので、お祭りには二人とも浴衣を着ていくことにした。

 浴衣を着るのは何年ぶりだろう。高校生の時に祖母が買ってくれた、白地に金魚と水の波紋の柄の入った浴衣と、桃色の斑点を散らした淡い黒地の帯、肌着や帯板など、着付けに必要な道具は、幸いにもこちらへ持ってきていた。

 スマホで着付け動画を何回も繰り返し再生して、なんとか自分一人でもそれらしく着ることが出来たものの、おはしょりと帯が綺麗に出来なくて焦っているうちに、ずいぶん汗をかいてしまった。

 ゆずの香りのする汗拭きシートを使い、襟元や袖口から手の入る範囲を拭き清める。社会人になるまでに浴衣くらい着られるようになっておけばよかったなぁ、とあずみは今更ながらに後悔した。

 鏡台の前に座り、衿を整えて、髪の毛をギブソンタックの形にセットする。髪飾りがなかったので少し寂しげではあるけれど、とりあえずはこれで完成だ。

「変ではない、はず…」

 よし、とあずみはつぶやいた。

 それにしても、自分は今、久しぶりに緊張している。胸に手を当てて深呼吸をし、少しでも気持ちを落ち着かせようとしてはいるものの、そわそわした気分はどうにもならなかった。

 彼の浴衣姿を見られるのはとても楽しみだけれど、自分の浴衣姿を見られるのはとんでもなく恥ずかしい。ついでに言えば、あずみのことを既に創太郎の結婚相手として認識しているらしいご近所の人たちのことも、顔を合わせたらなんと言われるかを想像すると緊張してしまう。

 ハンカチとティッシュ、スマホ、ミニ財布、会社でも使っているハンディの消毒ジェルを籠巾着かごきんちゃくに入れて左手にげ、あずみはリビングに向かった。

 ソファに背筋を伸ばして座っていると、「お待たせ」と創太郎が入ってきた。

 濃い藍色に薄く縞模様の入った浴衣に献上柄けんじょうがら角帯かくおびを締めた姿の彼を見て、あずみは小さくため息をついた。

 控えめに言っても「素晴らしい」という感想しか出てこない。自分なんかが隣を歩いても大丈夫なのだろうかと思ってしまうくらいだった。

 細身で背が高く、肩幅もしっかりある彼は何を着ても本当によく似合う。

 そんなことを考えながら彼の姿をぼうっと見つめていると、彼もあずみのことを観察するかのような目つきで見ていることに気がついて、あずみは焦った。

「な、なにか変、かな」

「…おはしょり、ちょっと膨らんでる」

「えっ」

「立ってもらっていい?」

「う、うん」

 不安な気持ちになりながら立ち上がると、彼がいきなり正面に来た。

「手を広げて」

そう言っておはしょりに触れ、あずみのお腹のあたりを強い力でぐいぐいやり始める。

(これは…恥ずかしすぎる…!)

 ほとんど息のかかるような距離に彼の顔があって、あずみはものすごく落ち着かない気持ちになった。スキンシップを取る時以外で、こんなに近い距離に彼を感じたのは初めてかもしれない。

 いつも彼が使っているヘアワックスの、シトラスの香りがした。

 彼の手が前から徐々に後ろに回る。うまくいかない箇所があったのか、創太郎はあずみの背後に回った。何をどうされているのかもよくわからないまま、ぐいぐいされる度に揺れながら大人しくかかしのように手を広げて突っ立っていると、「これでたぶん、大丈夫だと思う」と声がかかった。

「あ…」

 ふわりと後ろから抱き寄せられ、うなじに温かい唇の当たる感触があった。横から手がするりと入ってこようとするのを、何とか食い止める。

「だめ…着崩れちゃう」

「綺麗に着付けてあげるから大丈夫」

 彼はこともなげに言うと、あずみの首筋に唇を這わせた。

「髪も崩れるし、本当にだめ。遅くなっちゃうよ」

 あずみのやや本気の拒絶を創太郎は素直にくみ取った。それでも未練がましくあずみの手首を取って内側の柔らかいところに唇を這わせ、強く吸う。

「ぅ…っ」

 強い刺激に、唇から声にならない声が出たところを彼の唇でふさがれた。舌が押し入ってきて、逃げ腰のこちらの舌を捕らえるかのように絡みついてくる。頭が真っ白になって、何も考えられなくなってしまう。

 気がつけばリビングには、いやらしい水音が響いていた。
「んっ…ふっ…」

 だんだん息が荒くなって腰に力が入らなくなってきたところで、これ以上は本当にまずい、と感じて彼の体を引き離した。

 引きはがされた形の創太郎があずみの顔を見て、わずかに眉根を寄せている。

「…だめって言っておいて、そんな顔するのってひどくない?」

「…」

 あずみは無言で右手のこぶしをぎゅっと握りしめると、彼の肩口をどすっ、と突いた。





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