【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。
5章 社内恋愛がご法度というのは、いまどき人権問題だと思うのですが
彼から「ごめん、話がある」と言われたのは、あずみが彼にお願いして自室の押し入れの襖を外してもらった後、繰り返されたキスから危うい雰囲気へとなりかけたのを、なんとかかわした時だった。
創太郎はあずみをぎゅっと抱きしめて髪の毛に顔をうずめている。
ずいぶん改まった言い方をされたので、彼の腕の中にすっぽりおさまりながらも「なんの話だろう」と身がまえてしまう。彼が話すと首すじの肌に声の振動が直接伝わるのもあいまって、あずみは落ち着かない気持ちになった。
「話って、なに?」
「うちの会社のことなんだけど」
「うん」
あずみが頷くと、創太郎がため息をついた。自分の中でどうしても腑に落ちないことを、仕方なく相手に説かなければならない時のような、気乗りのしなさを彼から感じる。
「…今どき珍しい慣習があって」
「慣習?」
「社内恋愛はご法度、バレたら転勤ていう…」
「えぇっ?なにそれ?」
あずみは思わず創太郎の体を離し、彼の目を見た。
端的な言葉だったけれど、意味はすぐに察せられた。
つまりはあずみと創太郎のような、社員どうしでお付き合いしているカップルはその関係が露見した場合、どちらか一方もしくは両方がそれぞれ別の勤務地に転勤になるということだろう。
人権意識の高まっているこのご時世に、慣習とはいえそんなことがあり得るのだろうか。
開いた口がふさがらないとはこのことだった。
創太郎はあずみの強い困惑ぶりを想定していたようで、さもありなんといった様子でうなずいている。
「ウソみたいな話だけど、意に染まない転勤をさせられた人は実際にいるらしい。場合によっては降格もあるとか」
転勤もそうだが、降格とはまた理不尽な話だ。いくら会社の方針に反した行動をしていたとはいえ、描いていたキャリアデザインを変更させられるのは当人たちにとって納得のいかない出来事だったはずだ。
「それ、労働基準監督署にかけこまれたりSNSで拡散されたら会社としてまずいことになるよね?今まで転勤させられた人はそういう告発みたいなことはしなかったのかな」
「ないみたいだね。うちは大きな会社で外部組織とはいえ法務部もあるし、正面切って戦おうと思う人は少ないのかもしれない。あとは転勤といっても大阪とか東京とかの大きめの都市にある支社らしいから、遠距離恋愛になる以外は不満がないとかも考えられるね」
創太郎は言葉を切り、あずみの顔にかかっていた髪の毛を指ですくうと耳の後ろに撫でつけた。
「…俺は、会社都合の遠距離恋愛は嫌だな。誰かの意思で離されたり生活を壊されたりしたくない」
あずみは思わず彼の顔を見た。その瞳はほんのわずかに揺れている。
過去に母親から受けた心の傷はまだきっと彼の中に残っていて、こういう理不尽な話題について話すたび、古傷のように痛むのだろうと思った。
あずみは少し迷ってから、恥ずかしさをこらえて創太郎の胸に顔をぴったりくっつけ、目を閉じた。こうすることでほんのわずかでも、彼の傷が癒えたら良いと思う。
「人事部に新田さんていう統括部長の人がいるんだけど、その人が主導してるらしい。だから、お互いに気をつけるに越したことはないと思って。入社したての篠原さんの立場もあるし、ご法度のことがなくても触れ回るつもりはなかったけど」
ふと、疑問に思ったことがあった。
「結婚する場合はどうなるの?」
「その場合、どちらかが仕事を辞めることになると思う。夫婦で働いてるっていう人は見たことがない」
「そっか、そうなんだ…」
彼とは結婚を前提にしたお付き合いなので、いずれはもちろん結婚したいという気持ちがある。
あずみがこの会社に転職したのはやりたい仕事があったからで、それを辞めなければいけないというのは今はまだ、考えたくはなかった。
明日は初出社だというのに、暗雲立ち込めるというのはこのことかと思うような話だったけれど、不思議と不安な気持ちは大きくなかった。
その理由が彼に抱きしめられていて、温かい肌を間近に感じているせいなのかどうかはわからなかったけれど、とにかく。
仕事を頑張ること。始まったばかりの彼との暮らしを守ること。
それだけを考えて、生活していくしかないと思った。
創太郎はあずみをぎゅっと抱きしめて髪の毛に顔をうずめている。
ずいぶん改まった言い方をされたので、彼の腕の中にすっぽりおさまりながらも「なんの話だろう」と身がまえてしまう。彼が話すと首すじの肌に声の振動が直接伝わるのもあいまって、あずみは落ち着かない気持ちになった。
「話って、なに?」
「うちの会社のことなんだけど」
「うん」
あずみが頷くと、創太郎がため息をついた。自分の中でどうしても腑に落ちないことを、仕方なく相手に説かなければならない時のような、気乗りのしなさを彼から感じる。
「…今どき珍しい慣習があって」
「慣習?」
「社内恋愛はご法度、バレたら転勤ていう…」
「えぇっ?なにそれ?」
あずみは思わず創太郎の体を離し、彼の目を見た。
端的な言葉だったけれど、意味はすぐに察せられた。
つまりはあずみと創太郎のような、社員どうしでお付き合いしているカップルはその関係が露見した場合、どちらか一方もしくは両方がそれぞれ別の勤務地に転勤になるということだろう。
人権意識の高まっているこのご時世に、慣習とはいえそんなことがあり得るのだろうか。
開いた口がふさがらないとはこのことだった。
創太郎はあずみの強い困惑ぶりを想定していたようで、さもありなんといった様子でうなずいている。
「ウソみたいな話だけど、意に染まない転勤をさせられた人は実際にいるらしい。場合によっては降格もあるとか」
転勤もそうだが、降格とはまた理不尽な話だ。いくら会社の方針に反した行動をしていたとはいえ、描いていたキャリアデザインを変更させられるのは当人たちにとって納得のいかない出来事だったはずだ。
「それ、労働基準監督署にかけこまれたりSNSで拡散されたら会社としてまずいことになるよね?今まで転勤させられた人はそういう告発みたいなことはしなかったのかな」
「ないみたいだね。うちは大きな会社で外部組織とはいえ法務部もあるし、正面切って戦おうと思う人は少ないのかもしれない。あとは転勤といっても大阪とか東京とかの大きめの都市にある支社らしいから、遠距離恋愛になる以外は不満がないとかも考えられるね」
創太郎は言葉を切り、あずみの顔にかかっていた髪の毛を指ですくうと耳の後ろに撫でつけた。
「…俺は、会社都合の遠距離恋愛は嫌だな。誰かの意思で離されたり生活を壊されたりしたくない」
あずみは思わず彼の顔を見た。その瞳はほんのわずかに揺れている。
過去に母親から受けた心の傷はまだきっと彼の中に残っていて、こういう理不尽な話題について話すたび、古傷のように痛むのだろうと思った。
あずみは少し迷ってから、恥ずかしさをこらえて創太郎の胸に顔をぴったりくっつけ、目を閉じた。こうすることでほんのわずかでも、彼の傷が癒えたら良いと思う。
「人事部に新田さんていう統括部長の人がいるんだけど、その人が主導してるらしい。だから、お互いに気をつけるに越したことはないと思って。入社したての篠原さんの立場もあるし、ご法度のことがなくても触れ回るつもりはなかったけど」
ふと、疑問に思ったことがあった。
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「その場合、どちらかが仕事を辞めることになると思う。夫婦で働いてるっていう人は見たことがない」
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