【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。

梅川いろは

きみのしらない僕の話 5

「お父さんの単身赴任先に引っ越しましょう。調べたらね、偏差値の高い男子中があるの。創太郎の成績ならたぶん大丈夫。中高一貫だから、高校もそこに通えばいいし。このマンションは引き払うか、人に貸すわ」

「…ちょ、ちょっと待ってよ」

 検討しているとかではなく、もう決まったことのように話す母に、創太郎は困惑する。

「…そんな急に言われても…なんでだよ」

「なんでって、家族はみんな一緒に暮らすのが良いに決まってるじゃない。お父さんは創太郎を落ち着いた環境で、って言っていたけど、お母さんはずっとそれは違うって思ってたの」

 父が単身赴任を決めたのは創太郎のためでも、母のためでもある。

 環境が変われば、おそらく母は今よりも情緒不安定になる。そうなると一番つらい思いをするのは創太郎だから、少しでも落ち着いたところに長く住み続けられるようにとこのマンションを買ったのだ。

「とにかく、もう決めたことだから。学校には問い合わせないことにするけど、月曜からはその子のこと無視しなさい」

 絶句した。もうあずみと話すなというのは無理な話だ。 

 抗議しようと口を開きかけた創太郎を牽制けんせいするように母は続けた。

「まだその子と付き合うつもりなら、お母さん黙ってないからね。ちょっと調べたら本人のことはもちろん、親御さんのこともわかるだろうし。親御さんの勤め先に連絡しようか?」

 創太郎はもう何も言えなかった。

「もうその子とは一言も話す必要ないからね。お母さんのカルチャースクールにね、創太郎の中学の同じ学年に娘さんがいる人がいて、お友達になったから」

 どこまで本気なのかはわからなかったが、監視をつけると言っているのだろう。とにかくすぐに関係を絶たなければ、あずみの家族にまで嫌がらせをするということだ。

「創太郎は男の子だし、まだ早いと思ってたけど、明日契約してくるから、今度からは携帯電話を持ちなさい。創太郎がきちんとしているか、お母さんが電話をかけて確認するから」
 
 怒りと絶望でどうにかなりそうだった。明らかにおかしなことを正論のようにまくしたてる母親に。こんな事態を招いて、あずみを危険にさらした自分自身に。

 創太郎は席を立ち、無言でリビングを後にした。

 母はふんと鼻を鳴らし、おとなしく創太郎を見送った。創太郎が自分の言ったとおりにするしかないことを見抜いている。




 創太郎は真っ暗な部屋の中で、肌寒さを感じて目を覚ました。いつの間にか夜の遅い時間帯になり、開いた窓から風が吹き込んでカーテンを揺らしている。

 洗面所に行き、顔を洗って歯をみがくと、布団に潜り込んで丸くなる。

 彼女を人質に取られたようなものだった。

 目が冴えて、眠れない。思考がぐるぐる巡った。あずみのこと。転校。離れなければならない。どうしてこんなことに。どうしたら。

 その夜はほとんど眠れず、気がつけばいつの間にか朝になっていた。



 
 玄関を出て空を見上げる。今日はよく晴れていて、空がだんだん夏の色になってきているのが感じられた。
 
 一週間の始まりが快晴で嬉しい。
 
 あずみが朝教室に着くと、陽菜はもう席にいてスクールバッグから教科書やノートを取り出していた。

「おはよう陽菜」

「おはよー。本買えた?」

「買えたよ。人気の本は電話して、取り置きしておいてもらったし」

「そお、良かったね。本は和玖君が持ってきてくれるんだっけ?」

「うん。朝のうちに図書準備室に運んでおいてくれるって」

「へー、まだHRまで時間あるし、ちょっとあたしも見ておこうかな。下級生に選書(せんしょ)の内容聞かれてわからなかったら、委員長として恥ずいし」

 図書準備室に着くと和玖君が来ていて、こちらを振り返った。あずみと合った視線はすぐにらされて、長机に置かれた本の上に移った。

(あれ、体調良くないのかな)

 和玖君に目を逸らされることは珍しくないのでそんなに気にならなかったけれど、ちらりと見えた彼の目の下にはうっすらとクマがあるように見えた。顔色も良くない気がする。

 それも気になったのは一瞬で、あずみは昨日彼の部屋であったことを思い出して顔が熱くなった。

「和玖君おはよー」

「おはよう」

 陽菜は元気に、あずみはいつも通りを心がけて声をかけた。

「…おはよう」

 少し間を置いて、和玖君から挨拶が返ってくる。やっぱり、元気がない。声がわずかに掠れている。

「おー、『マーダーズ・ジャングル』の小説版だ。『花空日和』もある。ネットで人気のやつだよね」

「そうそう、今中高生の間で話題って聞いて、選んでみたんだ」

「あたしでも知ってるのばっかりだし、これなら皆にウケそう。今までの三年が選書した本って、自分たちが読みたい本優先ぽかったもんね」

 本を確認している陽菜の言葉にあいづちを打ちながら、あずみはそっと和玖君の様子をうかがった。

 和玖君は二人の会話には入らず、「ごめん、俺急ぐから鍵お願いしていいかな」と言って足早に図書室を出て行ってしまった。

「和玖君、どうしたんだろね?」

 陽菜がきょとんとしていた。

「うん…体調悪いのかな」

 なんだか悪い予感がする。
 
 
 
 違和感を感じた日から、数日が過ぎた。和玖君はあれから一言も口をきいてくれないし、一緒に帰ることもなくなった。

 彼の態度があずみの勘違いや偶然ではないことは、もうわかっていた。

 理由がわからないあずみは、ただ困惑するしかない。

 話し合えるのなら話し合ってまた元通りになりたいのに、はっきりと避けられている。そこまで徹底されると、ああ、自分は彼に嫌われたのだという考えが頭によぎって、何も出来なくなった。

 そうしているうちに二週間くらいが経って和玖君が学校に来なくなり、転校したのだと聞いた。
陽菜がどこかから聞いてきた話によると、関西の方へ引っ越したらしい。
 
 関西というと、和玖君のお父さんが単身赴任で行っているところだ。

 嫌いになったとはいえ、どうして自分には何も話してくれなかったのだろう。「大事にする」と約束したのに。

 もう少し大人になったら、もっと近づきたいって言っていたのに。自分もそうなりたいと答えたのに。
 
 突然の別れはあずみの心を凍りつかせたまま、暗い梅雨の日々が続いた。

 梅雨が明けた後は陽菜と夏期講習に通い、志望校を選定したり模試を受けたり受験勉強に集中しなければならなくなって、忙しくしているうちにあずみの中学校生活は終わった。
 



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