恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

そして……


ムカムカ、ムカムカ。

そんな擬音を体現している詩陽のご機嫌は、これまでにないほど悪い。

昨夜の飲み会は、本当に最悪だった。

伶弥も伶弥だ。

これまで、散々好きだと言っていたくせに、肝心なところで、詩陽を放置する。

詩陽が耐えきれずに寝てしまってから、帰ってきたようだし、今朝はギリギリ顔を見た程度で、先に行ってしまった。

「どういうつもりだろう。まさか、本当に私のことが好きじゃなくなって、早く離れたいと思ってるのかな。藍沢さんと付き合うのに、邪魔になったとか。でも、なかなか言い出せなくて、私が出て行くのを待っているとか」

詩陽は会社の廊下を一人で歩きながら、ぶつぶつと呟く。

すれ違う人が変な顔で見てくるから、顔に不機嫌が出ているに違いない。

だけど、もう気持ちを抑えることができなくなっている。

それが、どんな気持ちなのか、自分でわからないから困っている。

藍沢には好きなんだと言われたが、ずっと課題のままになっている、好きの種類についてが解決できていない。

「伶弥と話せば、何かわかるかもしれないのに……」

避けられているせいで、それも叶わない。

「一体、どうしろっていうのよ!」

「ことりさん、どうしたんですか? 何か、ありました?」

前から心葉が来ていることに気付いていなかった詩陽は、パチリと目を瞬き、立ち止まった。

「ううん、何でも……」

今の悩みを隠そうとして、ここに相談できる人がいることに気付いた。

詩陽は心葉の腕を掴んだ。

「心葉ちゃん、お願い! 教えて欲しいことがあるの」

「は、はい。私でわかることなら」

「心葉ちゃんなら、わかると思う!」

というより、詩陽以外の恋愛経験者なら、あっさり答えを見つけられる気がする。

詩陽は非常階段まで心葉を連れて行き、人がいないことを確かめた。

少し声が響くため、興奮しそうになるのを抑え、小さな声で切り出す。

「好きって何!?」

「えっ!?」

言葉が圧倒的に足りなかった。

詩陽は顔が引き攣った心葉に謝り、一度深呼吸をする。

「友達としての好きと、恋愛としての好きの違いは何だと思う?」

「ああ、なるほど。よくある疑問ですね」

「よくあるんだね!」

自分だけではなかったのか、と胸を撫で下ろし、心葉からの言葉を、固唾を飲んで待つ。

「私は結局、はっきりした線ってないと思うんですよ」

「ないの……?」

まさかの解答なしらしい。

「でも、強いて言うなら、友達だったら、その人が誰と仲良くしていても平気だけど、恋愛の好きは、独占欲があると思います。もちろん、友達であっても独占欲を持つ人はいるかもしれないですけど」

「独占欲……」

「はい。自分だけの人でいて欲しい。自分を独占して欲しい。お互いが特別な存在でありたい」

詩陽はその言葉を、伶弥を思い浮かべながら聞いた。

そうしたら、すとんと自分の中に嵌るものがあった。

「やきもち?」

「そうですね。異性と仲良くしていたら、やきもちを焼きますよね。あれは、本当にムカムカする」

心葉が笑うのを見て、詩陽はこくこくと頷く。

確かに、ムカムカと腹が立って仕方がない。

「ことりさん、ちゃんと気持ちをぶつけてあげてくださいね」

心葉は、詩陽に思い当たることがあったのだと悟ったらしい。

にっこりと笑顔を見せ、詩陽の手を握った。

「お互いが同じ想いを持つなんて、奇跡なんですよ。恋愛にタイミングは大切です。絶対に後悔しないようにしてください。考えるよりも、心で動くんです!」

「先生!」

詩陽は心葉の手を強く握り返し、すっきりした表情で頷いた。

問題が解決したわけではないが、詩陽の中にあったモヤモヤは解決した。

手遅れかもしれないが、それでも、ようやく気付いた気持ちをぶつけないわけにはいかない。

いつも伶弥からの想いをたくさん受け取ってきたのだから、今度は詩陽が返す番だ。

詩陽は両手をグッと上げて、よしっと叫んだ。




詩陽が意気揚々と歩いていて、給湯室に差し掛かった時、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

詩陽は足を止め、声をかけようとしたが、すぐに動きを止める。

「もう我慢できない」

伶弥の切羽詰まった声に、詩陽の心臓が軋む。

我慢できないというのは、詩陽の存在のことだろうか。

「もう少し待ってください。せっかくここまで耐えて来たんですよね? だったら、もう少しで終わります」

終わる、というのは、詩陽との関係のことだろうか。

「藍沢が言うから、耐えてみたが、意味があるとは思えない。それだったら、ちゃんと話し合った方がいいんじゃないだろうか」

なるほど。伶弥は何かを、詩陽と話し合いたいというのか。

「来栖さん、私の気持ち、わかってますよね?」

「ああ、わかっているから」

藍沢の気持ちを伶弥はわかっているらしい。

それなら、詩陽の気持ちは?

悲しいとか虚しいとか、そんな弱弱しい感情よりも、詩陽の中で怒りと強い想いが膨れ上がった。

詩陽はバンッと乱暴に給湯室のドアを押し開け、腕組をして、立ち塞がる。

中には、伶弥と藍沢が向かい合って立っており、二人とも口を開けて固まっている。

「伶弥はバカなの!? ねぇ、どうして藍沢さんの気持ちはわかっているのに、私の気持ちはわからないの? 昔も今も、私には伶弥しかいないでしょうが! 伶弥だって、ずっと私のことが好きなんて言っていたのに、若い子が来たら、あっさり乗り換えるの? それくらい軽い想いだったの? 私は伶弥のもので、伶弥は私のものでしょう!」

怒鳴る詩陽を、二人は茫然と見ていたが、先に我に返ったのは藍沢だった。

「今更じゃないですか? 来栖さんがどんな想いで待っていたと思うんです? もう手遅れだとは思わないんですか?」

これまでの藍沢のイメージとは異なる挑戦的な笑みが、更に、詩陽に火をつける。

「手遅れ? だったら、なんなの? 私の気持ちを伝えるのは自由でしょう? 今更だろうが何だろうが、私は伶弥が好きなのよ! 絶対に貴女に渡さないから! 奪えるものなら、奪ってみなさいよ!」

詩陽はビシッと藍沢を指さし、睨みつけた。

突如訪れた静寂に、詩陽は怯みそうになったものの、足に力を入れて、気を引き締める。

この沈黙を破ったのは、それまで一言も話さなかった伶弥だった。

「詩陽! 詩陽詩陽! 今のは本当? 私のことが好きって言った? 私のこと、誰にも渡したくないって?」

伶弥は勢いよく詩陽を抱き締め、髪に顔を埋めて叫んだ。

「本当だよ! 私、やっと自覚した。かなり待たせたと思うけど、ちゃんと伶弥への気持ちを見つけた。もう不安にさせたりしないから。伶弥は安心して、私のことを好きでいればいいの」

「うん、うん! ありがとう。詩陽、大好き!」

伶弥は詩陽の肩を押すと、ちゅっと唇にキスをした。

久しぶりの温もりに、詩陽の胸がきゅんきゅんと鳴く。

その時、一つの咳払いが聞こえて、詩陽は反射的に伶弥の体を押した。

ぐへっと変な声が聞こえたが、顔を真っ赤にした詩陽には聞こえない。

「大変、結構なことですが、できれば二人きりの時にお願いします」

「ああああ藍沢さん、えっと、あの」

すっかり存在を忘れていた上、藍沢の気持ちを無視して、傷つけてしまった。

詩陽は申し訳なさから、頭を下げようとしたのに、それを遮ったのは他でもない、藍沢だった。

「謝る必要はありません。恐らく誤解していると思いますが、私が好きなのは来栖さんではありません」

「え?」

詩陽は理解できず、藍沢と伶弥を交互に見る。

伶弥は泣きそうな顔をしているし、藍沢は呆れた顔をしている。

「これは、作戦でした。小鳥さんの気持ちを確かめるための。そして、私のお見合いをなくすための」

「ん? どういうこと?」

詩陽はやはり理解できず、首を傾げる。

「来栖さんは、小鳥さんの気持ちがわからずに、悩んでいたんです。私はしたくもないお見合いをさせられそうになっていました。お互いの事情を知ったのは、本当に偶然だったんですけど、これは利害が一致しているなって思ったんです」

伶弥は気まずそうに、頭を掻いている。

少しくしゃくしゃになってしまったのを見て、あとから手櫛で直そう、と他事を考えた。

「私の存在で、小鳥さんがやきもちを焼いて、気持ちを言ってくれるように促し、私は来栖さんに恋人役を演じてもらって、お見合いを阻止するという作戦でした。私のお見合いは来栖さんのお蔭で、無事になくなって、あとはお二人の問題だけだったんです」

「恋人役……」

詩陽が呟いたのを聞き、伶弥は慌てて、詩陽の手を握り、視線を合わせた。

「振りをして、ご両親に会いに行ったけど、やましいことは何もしていないわ。信じて!」

詩陽は伶弥の真剣な目を見て、小さく溜息を吐いた。

「もしかして、家に帰らなかった日?」

「ええ。あの日、藍沢の家に行って、話をしたんだけど、飲まされて潰れちゃったの」

申し訳なさそうに眉を下げる伶弥を見て、詩陽はまた一つ溜息を吐いた。

「わかった。でも、私がどんなに傷付いたか、わかる?」

「ごめんなさい……この償いは一生かけてするわ」

そう言って、伶弥はぎゅっと詩陽を抱き締める。

「まあ、とりあえずは円満解決と言っていいかしら」

藍沢の声に呆れが滲んでいて、詩陽は伶弥の腕から抜けようともがいたが、今度は離す気がないようだ。

より強く抱き締められて、身動きが取れなくなってしまった。

「それにしても、来栖さんの本性がオネエだったなんて。でも、小鳥さんが好きなら、バイなんですか?」

「あああああっ」

詩陽の絶叫は給湯室を飛び出し、廊下に響き渡った。

「詩陽一筋だから、関係ないわ」

「伶弥、ダメ! 威厳が! イメージが!」

「そんなのどうでもいいわ」

「だって、伶弥は隠したかったでしょう? オネエ言葉も、私とのことも」

腕の中で顔を離し、下から伶弥を覗き込むと、伶弥はふっと笑って詩陽の頭を撫でた。

「詩陽が隠したいと思っているみたいだったから」

結局、伶弥の言動の根底には、常に詩陽がいて、詩陽が望むことを全て叶えようとする伶弥の想いで成り立っているのだ。

「後は、お二人でどうぞ」

「あっ、藍沢さん! あの、ありがとう」

振り回された気もするが、結果、想いを伝えることができたのだから、感謝の気持ちしかない。

「こちらこそ。来栖さんのオネエは、誰にも言わないので、心配しないでください。それが、私のお礼です」

じゃあ、と藍沢は手を振って、伶弥と詩陽の隣を抜けて、今日糖質から出て行ってしまった。

急に二人きりにされて、詩陽は羞恥心が爆発した。

もぞもぞと動いて脱出を図るが、やはり捕らえられたまま、抜け出すことはできない。

「詩陽、ありがとう。私は詩陽が大好きよ。私にとって、詩陽がすべてなの。詩陽にいない人生なんて、何の意味もない。詩陽が同じ想いじゃなくてもいいなんて、少し前は思っていたけど、やっぱり私は欲張りだった」

「私、伶弥がいないなんて考えられないよ。伶弥の好きだから。伶弥ほど、口にはできないかもしれない。でも、伶弥だけを想っていることを忘れないで」

「詩陽……」

自然と唇が引き寄せられ、しっとりと触れる。

今日のキスは熱くて、柔らかくて、甘い。

痺れるのは唇か、心か、体の芯か。

我に返った二人が真っ赤な顔をして仕事に戻ったのを、藍沢だけが笑ってみていた。


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