恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

宣戦布告

詩陽はソファーに座り、ぼんやりと時計を眺めた。

夜も更けて、いつもなら、寝る時間になっている。

それなのに、伶弥はまだ帰ってきておらず、夕飯も団欒の時間も、ずっと一人だった。

仕事で伶弥の方が遅くなることはあるのだから、今日だって、珍しいことではない。

ないはずなのに、嫌な予感が頭を過って、どうしても落ち着くことができない。

それも、今日、心葉から嫌な話を聞いてしまったせいでもある。

どうやら、藍沢は社長の関係者のようで、社会勉強のために仕事に来ているらしい。

そこまではいいのだが、伶弥を気に入り、結婚相手にという話が持ち上がっているというのだ。

藍沢が配属されて三週間ほどが経ち、藍沢は伶弥とだけでなく、周囲の人とも打ち解けてきた。

そこに詩陽は上手く入れていない。

人間関係を円滑にするために行動することは、詩陽にとって難しいことでないはずなのに、藍沢に対しては、どうしても二の足を踏んでしまう。

これではいけないと思い、詩陽は何度も輪に入ろうとしたし、伶弥の想いや考えを聞こうとした。

そう思っていても、二人が話をしている姿を見てしまうと、聞く勇気がなくなってしまう。

今日に至っては帰ってきてもいないのだから、聞きようがないのだが。

今日だって、仕事で遅くなると聞いたが、もしかしたら、そこに藍沢もいるかもしれない。

デスクに座らされて、キスされたあの場所で、今度は藍沢にキスしているかもしれない。

ありえないと思っているのに、想像だけがどんどん膨らんでいって、遂には先程、伶弥と藍沢はホテルに入って行った。

このまま帰って来なかったら、それも想像上の話だけではなくなるかもしれない。

詩陽ははぁっと息を吐き、ソファーの上に寝転び、小さく丸くなった。

「でも、私が、何か言える立場じゃないか……」

告白の返事もしていないし、伶弥に女の子らしく甘えるなんて高度な真似もできない。

自分から抱き着くことも、ましてやキスすることも、到底できるとは思えない。

こんな可愛げのない女だから、呆れられても文句は言えないなと思う。

詩陽は不意に込み上げてきた涙を、深呼吸して飲み込んだ。

「泣く権利すらないのに」

今日こそは帰って来るのを待って、話をしよう。

どう話をすればいいかはわからないが、このままでいいわけがない。

もし、最悪な状況になり、伶弥と藍沢に進展があるようなら、詩陽はここを出て行かなければならない。

いろいろと考えることが多すぎて、もうパンク寸前だ。

詩陽は目を閉じ、伶弥の顔を浮かべた。

最近、ゆっくり話ができていないし、優しい笑顔を見ながら、美味しいご飯を食べることもできていない。

「恋しい……」

思わず出てきた言葉に驚き、口を手で塞ぐ。

あまりに照れくさくて、足をばたつかせが、ソファーがギシギシと鳴るだけで、そこに「バカねぇ」と言って笑う伶弥の姿がない。

そうして、詩陽が気付いた時には、窓から朝日が差し込む時間になっていた。




「ねぇ、来栖主任、昨日と同じ服じゃない?」

トイレの鏡の前で化粧を直していた一人が、弾んだ声で楽しそうに言い放った。

個室にいた詩陽は鍵に伸ばしていた手を引っ込める。

「やっぱり!?  私もそう思ってたんだよ。やばくない? やっぱり藍沢さんとかな」

「確かに、美男美女でお似合いだよね。あの鬼と付き合うのは考えられないけど!」

「でも、藍沢には優しいよね。特別な人だけは優しいとか?」

やだ、ウケる、と盛り上がりを見せる二人に対し、詩陽の体温はどんどん下ってきている。

昨夜、伶弥は帰って来なかった。

一緒に暮らし始めて、帰らなかったのは初めてだ。

しかも、連絡もなかった。

詩陽は心配で一度だけメールを送ったが、それに対する返信もなく、怖くなった詩陽はそれ以上、連絡することができなくなった。

「でもさ、藍沢さんって、お偉いさんの娘なんでしょ? それなら、来栖主任もただ好きで選んだんじゃなくて、出世欲から付き合っているのかもよ」

「うわ、主任ならありえる! 本当、何を考えているのか、さっぱりわからないもんね」

詩陽は唇を噛み締め、ダンッと扉を殴った。

二つの悲鳴が聞こえ、慌てて出て行く足音が遠ざかっていく。

詩陽はその場で何度も地団太を踏んだ。

藍沢と伶弥がどうなっているのか、わからない。

もし、噂が本当ならショックだが、何よりも腹が立ったのは、伶弥が酷い誤解されていることだった。

「本当の伶弥を知らないくせに!」

悔しくて、悲しくて、もどかしい。

でも、飛び出して、正々堂々と文句を言えなかった自分にも幻滅した。

仕事に戻ろうと、廊下をトボトボと歩いていると、正面から当の二人が歩いてくるのが見えた。

頬を染めて、嬉しそうに何かを話している藍沢と、それにささやかな相槌を打つ伶弥。

伶弥の態度は他の人と変わらないように見えるが、それでも、藍沢に耳打ちをされる度に、腰を屈める姿に胸が痛む。

詩陽は一度立ち止まってしまったものの、思い切って前に進む。

そして、すれ違う瞬間、伶弥と目が合った。

「あ」

詩陽は話しかけてみようと勇気を出してみたが、伶弥に目を逸らされて、言葉は続かなかった。

気まずそうにも見える伶弥の様子に、詩陽は胸の痛みを堪えきれなくなり、その場を走り去った。

逃げるようで情けないが、あのままあそこにいたら、何を言うかわかったものじゃない。

下手したら、二人を怒鳴りつけてしまうかもしれない。

詩陽は憂鬱な気持ちのまま自席のつき、無理やり仕事に没頭することにした。




「あ、小鳥さん。お疲れさまです」

詩陽がいつも以上の疲労感を感じながら、会社のエントランスを抜けようとした時、後ろからハイヒールの音が聞こえて、呼び止められた。

しぶしぶ振り向くと、今、一番会いたくない藍沢が笑顔で立っていた。

可憐な笑顔が眩しいと思うと同時に、憎らしくも思えてくる。

「藍沢さんもお疲れさま」

「小鳥さん、この後、予定はありますか? よかったら、飲みに行きませんか?」

大して話したこともなかったのに、突然誘われて、詩陽は面食らった。

藍沢は裏がありそうには見えない純粋な目で、詩陽を見つめてくる。

悪い話は聞かないし、伶弥とのことがあるせいで、詩陽が勘繰り過ぎなのだ。

詩陽はあまり飲みに行くのが好きではない。

ストーカー事件が解決したと言っても、簡単に男性恐怖症が治るわけでなく、夜の街に溢れる男性の存在は未だに怖いのだ。

でも、と藍沢を見つめ返す。

やはり逃げてばかりではいけない。

伶弥からも藍沢からも、男性からも。

「いいよ」

「嬉しいです! ずっと小鳥さんと話してみたかったので」

無邪気にはしゃぐ藍沢を見ていると、まだ何かわかったわけでもないのに、いろいろと考え過ぎなのではと反省したくなる。

詩陽は苦笑し、この機会に藍沢を知る努力をすることを心に誓った。

絶対に偏見の目で見ないのだということも。

それから、詩陽は藍沢と二人で創作居酒屋に行くことにした。

あまり店を知らない詩陽は藍沢にお任せしたのだが、年上としてリードしてあげられないことが悔しかった。

あまり年齢を理由に、悔しいと思ったり、優越感に浸ったりする方ではないのに、藍沢に対しては、なぜか年齢が引っかかってしまう。

年上としての余裕を見せたいのに、若くて羨ましいとも思う。

そんな矛盾をたくさん感じるのだ。

「小鳥さん?」

「あ、うん。ごめんね」

詩陽は向かいに座る藍沢に笑顔を見せ、メニューを開いた。




「小鳥さん、主任のことをどう思います?」

料理を食べ、程々のお酒を楽しみ、会話も無難にしてきた。

だから、この質問はあまりに唐突で、脈絡もない。

詩陽は思わず烏龍茶を吹き出すところだった。

セーブせずに酔っていたら、恐らく被害が出たはずだ。

「急に、何?」

詩陽は冷静を装いながらも、心拍の乱れで胸が苦しくなっている。

「皆に誤解されているのが、悔しくて」

藍沢はぷくっと頬を膨らませ、頬杖をついた。

同感だ。全く同じことを思っていた。

だが、素直に言葉が出てこなかったのは、どうして、短い期間に誤解されやすい伶弥のことを理解したように話すのか、引っかかったからだ。

「.......誤解もあるだろうね」

詩陽の曖昧な返事に、藍沢は身を乗り出し、眉間に皺を寄せた。

「やっぱり、小鳥さんはわかってくれると思ってました! 皆さん、主任のことを悪くしか言わないので」

「主任は仕事ができるだけじゃなくて、ああ見えて、部下のフォローをしっかりしているから。優しいところもあるのにね」

詩陽は最近、まともに会話をしていない伶弥を思浮かべ、きゅっと唇を噛んだ。

どうして、原因になっている相手とこんな話をしているのだろう。

藍沢は複雑な思いで話をしている詩陽には気付かないのが、パッと笑顔を弾けさせ、何度も頷く。

「かっこいいし、仕事もできて、こっそり気遣いもできて、それを鼻にかけることなく、平然としている。私の理想の人です!」

詩陽は残酷な不意打ちに、鈍器で頭部を殴られた気がした。

ズキズキと脈打つこめかみを押さえてくなったが、動揺していることを知られたくなくて、グッと堪える。

「そうなんだ」

そう返すのが精一杯だ。

自分から表情が抜け落ちたこともわかったが、どうにもならない。

表情筋が瞬殺された。

「詩陽さんは、どうなんですか? どんな人がタイプなんですか?」

詩陽から漏れ出る冷気を察してくれる気配のない藍沢をジッと見つめ、こっそり溜息を吐いた。

「優しくて、可愛くて、時々いじわるになる人」

オネエ言葉で甘やかしてくる伶弥も男性の言葉でいじわるに攻めてくる伶弥も、どちらも嫌いじゃない。

かっこいいけど、同じくらい、可愛いという言葉もよく似合う。

詩陽は藍沢が少しでも知らない部分を知っているのだと主張したくて、思わず口にしていた。

「お付き合いされているんですか?」

どいつもこいつも、どうしてデリケートな部分にずかずかと踏み込んでくるのだろうか。

一番聞きたいのは、詩陽である。

「さあ。私が聞きたい」

遂に不機嫌を隠すことなく、突き放すように言ってしまった。

詩陽は驚いたように目を大きくした藍沢に気付き、すぐに我に返った。

「何でもない。ごめんね、変なこと言って」

「私は大丈夫ですけど……小鳥さんは、彼のことがすごく好きなんですね」

「はい?」

「だって、なんだか、どんな彼も好きって言っているように聞こえました」

「えっ、そんな意味じゃないよ。全然、好きとかじゃなくて、一般論というか……」

自分でも全く説得力がないと思いつつ、詩陽は早口でまくし立てる。

「でも、負けませんけどね。そろそろ行きましょうか」

藍沢は真っ直ぐな目で詩陽を見据え、強さを感じさせる口調で宣言した。

詩陽は無意識に背筋を伸ばして、膝の上で両手を握り締める。

このために、詩陽は誘われたのかと、妙に納得できた。

可愛い顔をして、なんて大胆なんだろう。

先輩に向かって、いきなり宣戦布告とは、恐れ入る。

勝手に言っていればいいと思ったが、それよりも明確に思ったことがある

『誰が渡すか』

詩陽は心の中で叫び、たった二人の飲み会を終えた。


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