恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~
事件の顛末
詩陽が目を覚ますと、そこは病院だった。
味気ない白い壁に、クリーム色のカーテンが見え、体には白いシーツで覆われた布団がかかっている。
詩陽は勢いよく飛び起き、周囲を見回してみた。
足元の方には何人かの看護師と医師が行き来しているのが見える。
「あ、あの!」
大きな部屋にいることに気付き、声を出すことを躊躇ったものの、控えめな声で近くを通った看護師を呼び止めた。
「あ、よかった。気付かれたんですね。今、担当の医師を呼んできますから」
「は、はい」
いや、それよりも伶弥がどうなっているのか気になる。
颯爽と去ってしまった看護師から目を離し、自分の体を見下ろしてみる。
ひとまず、どこからも出血はしていないようだ。
ただ、両手に血が滲んでいた。
ドアを何度も叩いていた時に擦り傷ができたのだろう。
痛みはするが、大したことはない。
意識を失う前、詩陽は確かに刃物を見た。
夢だと思いたいが、そこまで記憶は曖昧になっていない。
ドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせようと、何度も深呼吸を繰り返した。
だが、不安が解消されるまでは、落ち着かせるのは無理のようだ。
「伶弥に何かあったら……」
いつもの伶弥なら、詩陽が気を失っていれば付き添っているだろう。
だが、今、伶弥の姿はない。
その意味を想像すると、良くないことばかりが浮かぶ。
詩陽は布団をぎゅっと握り、医師が来るのを待った。
「小鳥さん」
程なくして、現れた医師は若い女医だった。
男性じゃなかったことで、肩の力が抜ける。
「あ、あの、私と一緒に男性がいたと思うんですが」
「ああ」
そう言って、女医がチラッと後ろを見た。
「もしかして、伶弥に何かあったんですか!?」
「あちらのベッドで寝ていらっしゃるので、行ってあげてください」
医師の言葉を聞き、詩陽は自分の体の状態を聞くのも忘れて、ベッドから飛び降りた。
ここは大きな病院の救急外来のようだ。
ベッドがいくつも並んでおり、ところどころカーテンが敷かれているから、誰かが休んでいるのだろう。
時折、機械音や人の話し声も聞こえる。
詩陽は医師に教えられた場所に行き、静かにカーテンを開いた。
そこには、横になって目を閉じている伶弥がいた。
「やだ、伶弥! 死なないで!」
詩陽はベッドに突撃せんばかりの勢いで近づくと、ベッドに突っ伏した。
ゆさゆさと揺すりたくなったが、それで何かあってはいけないと、ギリギリのところで理性が働いたのだ。
意識がない程の怪我だったのだろうか。
詩陽は恐る恐る顔を上げ、上から覗き込んでみた。
いつもよりも顔色が悪い気がする。
前髪が目にかかっていて、暗く見えるし、硬く閉じられた目はもう開かないのかもしれない。
「ねえ、やだよ。私を一人にしないで。伶弥がいない毎日なんて、考えられないよ」
詩陽は布団の中から伶弥の手を探し出し、そっと握った。
そこに温もりを感じると、胸が締め付けられた。
伶弥の手を自分の額に当てて、祈った。
「バカね」
ふふっと笑い声も聞こえ、詩陽は反射的に顔を上げた。
そこには穏やかな笑みを浮かべ、目を細めている伶弥がいた。
「伶弥?」
「なあに?」
「生きてる?」
「生きてるわよ。当分、死ぬ予定もないわ」
詩陽の目から、大きな雫が零れ落ちた。
伶弥の手が伸びてきて、目元をそっと拭ってくれる。
優しくて、慎重な手つきは、これまでと何も変わった様子はない。
「本当?」
「ええ。詩陽を一人になんてしないから、そんなに泣かないで」
伶弥は眉尻を下げて、少し悲しそうな顔を見せた。
詩陽が泣いていることを悲しんでいるのだと気付き、詩陽はゴシゴシと目元を擦る。
「あ、こら。腫れちゃうから、擦らないで」
伶弥は詩陽の手首を掴んで動きを止めると、そのままきゅっと握り締めてきた。
するりと指が絡められ、誂えたように二人の手が重なった。
「詩陽は大丈夫?」
「うん、伶弥は?」
「私は脇腹を少し切っただけで、大したことないわ」
「大したことあるじゃない!」
「しーっ。本当よ。縫うほどの傷じゃないんだから。大袈裟に寝かされてるだけ」
伶弥の苦笑を疑い深く見ていた詩陽だったが、嘘をついているようには見えないことで、ようやくホッと胸を撫で下ろした。
それから、詩陽はあの後の顛末を聞いた。
伶弥は駆けつける際、警察にも連絡をしていた。
伶弥の方が早く着いてしまったが、詩陽が気を失って、すぐに到着したという。
甲斐がバタフライナイフで切りかかってきた時、伶弥は詩陽を庇いつつ、自分も避けていたお蔭で、かすり傷で済んだらしい。
運が良かったとも言っているが、本当にその通りなのだろう。
伶弥は明言しなかったが、あの時の伶弥は自分のことまで考えていなかったんじゃないかと思う。
詩陽だけを助けようとしていた。
だから、運が悪ければ、ナイフが伶弥に深く刺さっていたかもしれない。
詩陽は話を聞きながら、血の気が引いていくのがわかった。
寝ている伶弥を見た時よりも、鮮明に伶弥の死をイメージできてしまった。
失うことの恐ろしさを知り、詩陽は気持ちの種類なんて、どうでもよくなった。
そして、甲斐は駆けつけた警官に取り押さえられ、現行犯逮捕された。
まだ詳しいことはこれから捜査されるが、詩陽をストーキングしていたのは甲斐で間違いなさそうだとのことだ。
「ただいま」
「おかえり」
伶弥のマンションに帰り、詩陽はその言葉を噛み締めた。
もう言えないと思っていた言葉を言うことができ、それに伶弥が応えてくれる。
そんな当たり前のことが、当たり前じゃなくなることがあると知ってしまった。
詩陽は伶弥が両手を広げていることに気付き、ゆっくりその腕の中に入った。
ほんのり頬が熱くなり、心臓からは心地良い高鳴りを感じる。
「怖かったでしょう?」
心配そうな伶弥の声に、詩陽はこくりと頷き、硬い胸に顔を摺り寄せる。
「でも、伶弥が来てくれたから、もう怖くない」
「私のことが怖くなったりは」
「してないよ! 伶弥を怖いと思うなんて、一生ないから!」
それだけは胸を張って言える。
「体は辛くない?」
「疲れているけど、安心感のお蔭かな。結構元気だよ」
「そう……」
それっきり伶弥の言葉が続かなくなって、詩陽は胸から顔を離して、下から覗き込んだ。
「ん?」
伶弥の目元が赤んでおり、どこか恥ずかしそうにしている。
「ねえ、詩陽」
「うん、どうしたの?」
「どうしても、詩陽を抱きたい」
「えっ!?」
「今すぐ、詩陽を感じたい。ここに帰ってきたんだって」
「だだだ、だって、伶弥は怪我を」
「こんなかすり傷、痛くも痒くもないわ。だから、お願い」
詩陽は真剣な目で見つめられて、言葉で返事するよりも、期待するような鼓動が先に返事をしている。
「詩陽と一つになりたい」
耳元で囁かれ、胸がきゅんと締まった。
まだ体には昨夜の感覚が残っているせいか、先程から体が疼いて仕方がない。
それは、詩陽も求めている証でもある。
詩陽は意を決して、真っ赤な顔で頷いた。
その瞬間、体に浮遊感を感じ、短い悲鳴を上げた。
驚いて閉じてしまった目を開くと、目の前には伶弥の嬉しそうな顔があり、体は横抱きにされている。
「りょ、りょうや」
「ええ、たっぷり愛してあげる」
伶弥は怪我をしていることも忘れるほど、しっかりした足取りで、詩陽を伶弥の部屋まで運び、慎重な手つきでベッドに下ろした。
向かいに座った伶弥が、詩陽の額にキスをする。
それが始まりの合図だった。
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