恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

朝の挨拶が足りない

澄んだ朝の空気に、落ち着くいい匂い。

体に少し倦怠感はあるが、憂鬱になるほどではない。

詩陽ははふっと欠伸をして、目を開けた。

白い天井が目に入り、手元を見れば、アクアブルーのシーツに覆われた掛布団が見える。

「ん?」

詩陽のベッドでアクアブルーのシーツを見たことはない。

新作だろうかと考えたのは一瞬こと。

「おはよう」

すぐ真横から聞こえた低く掠れた声に、詩陽の心臓は転がり出るところだった。

「おおおおお」

恐る恐る横を見ると、目をとろんとさせて気怠そうな顔をした伶弥が寝ていた。

仕事では軽く上げている前髪が、今はさらさらと目にかかっていて、少しアンニュイな雰囲気が漂っている。

「よく眠れたかしら?」

「は、はい」

どうしてこんなことに、と考え、次第に昨夜の出来事が蘇ってきた。

夢だったと思いたくても、隣に伶弥が寝ている今は不可能だ。

ドクドクと騒ぎ始めた心臓の音が、伶弥に聞こえてしまう気がして、詩陽は伶弥に背を向ける形で横を向いた。

そうして目に飛び込んできたのは、伶弥の腕。

それは後ろにいるはずの伶弥のものだ。

「あれ?」

状況が読めずに目を瞬かせていると、その腕が動いて、きゅっと肩を抱いた。

後ろからは反対の腕が回ってきて、体に巻き付き、詩陽の小さな体を引き寄せる。

そうして、あっという間に抱き締められる体勢になってしまった。

伶弥の熱い吐息が首筋にかかり、背筋を得体のしれないものが這って、ぞくりと震える。

昨夜のことだけでも、どう処理すればいいのかがわからないのに、朝まで一緒に寝ていたことも、今、抱き締められていることも、理解が追いつかなくて、頭がおかしくなりそうだ。

「腕枕はいかがでした?」

「あああああ」

これ以上、現実を突きつけないでもらいたい。

クスクスと笑っている伶弥を殴りたいのに、しっかり抱き締められているせいで、身動きが取れない。

詩陽は隠れようとして顔を埋めたが、あろうことか、そこは伶弥の前腕だった。

細いけれど、意外と筋張っていて男らしい。

そんなことに気付き、詩陽は胸の高鳴りを感じてしまった。

伶弥を男性だと意識してしまったら、これからどうやって一緒に過ごしていけばいいのか、わからなくなる。

「あら」

「もう嫌ぁぁぁ」

「ふふ、可愛い」

伶弥は笑いながら、半泣きになっている詩陽の髪に軽いキスをする。

「あっ、お風呂に入ってないのに……!」

「いい匂いよ」

「変態!」

遂に、大笑いし始めた伶弥の腕を無理やりこじ開けると、思いの外、あっさり力を緩めてもらえた。

慌てて抜け出し、勢いのまま伶弥の部屋から転がり出ると、そのまま走って、洗面所へと駆け込んだ。

大した距離を走ったわけでもないのに、ものすごく呼吸が乱れている。

胸が苦しくて、胸元をぎゅっと握った。

何度か深呼吸をして、少しずつ冷静さを取り戻すように意識する。

それから、ようやく肩の力が抜けて、視線を上げることができた。

ふと鏡に映った自分を見る。

そうして、詩陽は声を上げそうになり、慌てて口を塞いだ。

未だにほんのり赤いのは仕方がない。

だが、鏡の中の詩陽は見たことのない顔をしていたのだ。
 
その表情を見て、思い当たるのは学生時代に好きな人の話をする女子たちだ。

楽しく話している時とも、好きなことについて話している時とも違う。

どことなくふわふわしていて、ただ想うだけで幸せだと言っているような目。

溢れる想いを留めきれなくなったように緩む口元。

紅潮した頬は可愛らしくも美しくもあった。

「ありえない!」

詩陽は叫び、パンッと頬を叩く。

「……痛い」

その衝撃で涙目になったものの、先程の表情は消えてくれたことにホッとして胸を撫で下ろす。

どうしてこんなにも焦ってしまうのか、自分でも理解できない。

見慣れないからなのかもしれないし、伶弥に恋しているかのような自分を認めたくないだけかもしれない。

「もう、シャワーを浴びよう……朝から疲れた」

二日酔いは避けられたが、これならそちらの方がマシだ。

詩陽は緩慢な動きで服を脱ぎ、シャワーを体に当て始めた。

ボディーソープを泡立てて、前触れなく、胸がきゅんと締め付けらる。

普段は気にもしていなかった伶弥の匂いと同じボディーソープに、勝手に心臓が反応したのだ。

芋づる式に蘇ったのは、繰り返されたキス。

生まれて初めてのキスは体も心も痺れさせ、抵抗の意思など、あっさりと掻き消してしまった。

「どうして、受け入れてるのよ……!」

今更ながら、気付いた。

抵抗することも、疑問を抱くこともなく、ただ素直に唇を受け入れていた。

それどころか、気持ちいいと感じるなんて、実は淫乱なのでは、とさえ思ってしまう。

それにしても、気持ちを伝えてくれた時の伶弥の声は真剣だった。

オネエ言葉でふざけるように言ってきた時とは、明らかに違う。

それは確かに感じたのだから、伶弥の本気の想いは詩陽に確実に届いたということだ。

詩陽はそれから無心でシャワーを終えた。

もうこうなったら、難しく考えるのはやめようと開き直る。

恋愛なんてしたことがないのだから、未知のものについて、一人で悩んでも解決などしない。

詩陽は一人頷き、意気揚々と洗面所を出た。

「すっきりした?」

まさか出てすぐに伶弥がいるとは思わず、詩陽は頭が火山のように爆発しそうになった。

せっかくシャワーを浴びてすっきりしたのに、じわっと汗が滲んでくる。

「ここで何を……!」

詩陽は自分の体を抱き締め、警戒を露わにする。

まさか待ち伏せしていたのだろうか。

「新聞を取ってきたのよ」

伶弥は詩陽の言葉にきょとんとしたが、すぐに笑顔になり、手に持っていた新聞を詩陽に見せる。

「新聞……」

伶弥の手にあるのは、確かに今日の朝刊だ。

服装もパジャマから普段着になっているから、エントランスホールにある郵便受けに取りに行ったことは嘘ではないのだろう。

自分のことを待ち伏せしていたと考えるなんて、なんてじ意識過剰なのか。

「待つくらいなら、一緒に入るわ」

「いっ!?」

伶弥はクスクスと笑い、詩陽の頭をぽんと撫でる。

「また妙な冗談を!」

伶弥を変態だと認識していなかったが、改めたが良いかもしれない。

「本気だけどね」

伶弥の呟きはあまりに小さく、その上、顔を背けたせいで聞き取ることはできなかった。

「そういえば、言葉遣いがオネエに戻ってる」

話を変えたかった詩陽は、何かを考えるように腕を組んで溜息を履いている伶弥を覗き込む。

確か、昨夜は普通の男言葉だったはずだ。

てっきりオネエ言葉はやめたのか思っていたが。

「なんだかんだで、この話し方も嫌いじゃないのよ。詩陽も気が楽でしょう?」

そう言って、伶弥は首を傾げて、詩陽に笑いかける。

「……うん、まあ、そうかな?」

男言葉が怖いと思わなかったから、本当は問題ないのかもしれない。

だが、別の意味で気が楽ではない。

今まで伶弥に感じたことのないドキドキが詩陽を襲うから、思考力が大きく損なわれ、大問題である。

「詩陽がお望みなら、いくらでも男になってやるけど?」

不意に腰を屈めた伶弥は、詩陽の耳元に口を寄せ、低い声で囁いた。

その瞬間、大きな鐘が体内で響いたように心臓が鳴り、体中が熱くなった。

攻撃の前線にいた耳は熱さと痺れでどうにかなりそうだ。

「りょ、伶弥」

「ああ、そうか」

伶弥は一人で納得するように呟くと、詩陽の耳をパクリと食んだ。

「やっ、な、なにを……!」

「朝の挨拶が足りなかった」

「足りてる足りてる!」

詩陽は耳を隠して叫んだが、伶弥は詩陽の体を抱き寄せ、顔中にキスを降らし始めた。

わざとリップ音と立て、伶弥は詩陽を赤く染めていく。

くすぐったくて、、詩陽が肩を竦めると、それを宥めるように背中を撫でられた。

詩陽を落ち着かせるはずの手のはずなのに、今ばかりは逆効果のようだ。

伶弥の胸を押すとした瞬間、伶弥に唇を奪われていた。

上唇と下唇を交互に食み、時折、舌が滑る。

詩陽の呼吸が乱れ始め、熱い吐息が伶弥の咥内に吸い込まれていく。

唇が痺れ始めた頃にようやく解放されたが、気を抜く間もなく、詩陽の体は抱き上げられてしまった。

「もう、伶弥!」

「もっとする? それともご飯にする?」

「ご飯一択で!」

横抱きにされた詩陽が叫ぶと、伶弥は可笑しそうに笑い、詩陽をダイニングへと運んだ。

ダイニングテーブルにはすでの朝食準備が整っており、詩陽の鼻先をいい匂いが掠める。

ぐうっと音が鳴って、詩陽は咄嗟に腹を押さえた。

「詩陽はお腹の音まで可愛い」

「お腹の音に可愛いとはないから!」

頬を赤らめた伶弥の肩に拳をぶつける。

体勢が悪いせいで大した威力は無かったが、伶弥は笑いながら、詩陽を椅子に座らせてくれた。

「今日はどこか行きましょうか」

向かいに座った伶弥が詩陽のサラダにドレッシングをかけて、にこりと笑った。

ずっと忙しくてまともな休日を過ごしていなかったため、休日らしい休日は久しぶりだ。

「そうだね。見たい映画がもうすぐ終わりそうだから、観に行きたいな」

「いいわよ。映画館デートね!」

「デッ」

二人で出かけることはよくあるのに、デートだと言われると、変に意識してしまう。

「この前買った服を着て行きましょう!」

詩陽の過剰な反応に、伶弥は小さく笑ったものの、流すことにしたらしい。

先日、伶弥が買ってくれたワンピースをご所望のようだが、思い通りになるのは面白くない。

今日は絶対にパンツにしてやろうと強く思った詩陽であった。



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