恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

特別な存在の幼馴染は、初恋か否か

イベント当日の朝。

冬が迫っていることを思わせる冷えた空気が詩陽の頬を擽り、カーテンの隙間から漏れる穏やかな陽光が目覚めを促した。

詩陽は布団の中で伸びをして、大きく息を吸った。

まだ熱っぽさが残っているが、少し眠れたお蔭か、興奮しているからか、体の辛さをあまり感じない。

「よし! 今日はがんばるぞ!」

詩陽は頬を両手で叩き、颯爽と部屋を出た。

「おはよう、詩陽」

リビングで新聞を呼んでいた伶弥は、詩陽の顔をジッと見てから、あからさまにホッとした様子で挨拶をしてきた。

「おはよう。シャワー浴びていい?」

「一緒に?」

「バカなの?」

「詩陽が元気になってる」

そんな確かめ方があるかと叫びたくなったが、相手にしていると遅れてしまいそうだ。

詩陽は冷たい視線で睨みつけ、浴室へと向かった。

「まったく。伶弥は冗談なのか、本気なのか、本当にわかりにくいんだから。いやでも、あれが本気となると、いよいよおかしいのかな。それとも、伶弥の中では、私はまだ幼い頃のまま、成長していないのかな」

詩陽はぶつぶつ言いながら、シャワーで泡を流す。

昔は一緒にお風呂に入ったこともあるから、もしかすると、伶弥の中ではその印象が強いのかもしれない。そう思うと、かなり複雑だ。




「私、先に出るからね」

「たまには一緒に」

「行ってきます!」

後ろから詩陽を呼ぶ声が聞こえたが、構っていられない。

今、詩陽と伶弥が一緒に住んでいることは知られていなし、仲がいいことすら、誰も知らないはずだ。

何が綻びとなって、伶弥の本性を知られることになるか、わかったものじゃない。

警戒に警戒を重ねても足りないくらいだ。

詩陽は女性専用車両の乗り込み、つり革を掴む。

背が低い詩陽が掴むには少々辛いが、ないよりはいい。

周りに男性がいないため、変な緊張をしなくていいことはありがたい。

詩陽はいつもと違う景色を見ながら、電車に揺られた。




イベントは順調に進んでいった。

多くの来場者が楽しそうにしている様子を見て、クライアント側の人間は喜んでいるし、裏方に徹していた詩陽たちも、その手ごたえを確かに感じている。

「ことりさん、順調ですね」

ノベルティの補充をしていた詩陽に、心葉が笑いかけてきた。

いつもはひらひらとしたスカートを履いているが、今日は動きやすいようにパンツスタイルである。

些細なことかもしれないが、仕事をする上では大切なことであり、それを心葉が判断できたことを嬉しく思う。

「うん、盛り上がっているね。ノベルティも喜ばれているし」

詩陽はちょうど手にしていたノベルティを見て、口元を緩ませる。

「まさか文具を通して、家族で遊べるなんて思いもしませんもんね」

勉強や仕事で使う文具。

昔から、それらを使って遊ぶことはあった。

それをヒントに、詩陽は家族のコミュニケーションに繋がる企画を立案した。

ハウスメーカーが開く秋のイベントで使ってもらえるよう、家と家族と文具と遊びの融合をテーマとし、イベントでは実際に遊びながら、文具に触れ、家を体験する。

今回は家ではなく、ホールに家をイメージした空間を作って演出している。

そして、ノベルティとして、その一部を渡すようになっているのだ。

「子どもの頃、幼馴染とよくやったの。私は負けず嫌いのくせに、不器用で。すぐに負けちゃうんだけど、そうすると、彼はわざと負けてくれたり、慰めるためにあれこれやってくれたり……悔しいはずなのに、いつの間にか笑ってるんだよね」

詩陽は小学生の頃の伶弥を思い出し、くすりと笑った。

美少女に見える伶弥は、男女問わず人気があったが、どろんこになって遊ぶ詩陽とばかり過ごしていた。

詩陽は女の子の遊びよりも、男の子の遊びの方が好きだったから、付き合う伶弥は大変だっただろう。

一緒に笑って、走って、競い合って、時に喧嘩して、泣いて、謝り合って、笑い合う。

そんな毎日はキラキラとしていて、本当に眩しかった。

そんな情景を思い出し、詩陽の胸は熱くなった。

「好きな子だったんですか?」

「え!? まさか!」

思いもよらない言葉に、詩陽は目を大きく見開き、首を振った。

「だって、話している時、恋する目をしてましたよ」

「冗談はやめて!」

詩陽は初恋もまだである。

恋とはなんぞや、と思いながら、なんとなく女子トークに乗り切れずに二十七歳となってしまったのだ。

だから、伶弥に恋していたなんて、とんでもない。

詩陽は熱い頬を押さえて、大きく息を吐き出す。

「私は転校が多かったので、幼馴染がいないんです。だから、どういう存在なのかわからないけど、特別な感じなんでしょうね」

うっとりとした表情で宙を見ている心葉を、詩陽は擽ったい気持ちで見た。

確かに、伶弥はどんな友達とも違うし、かといって、家族というわけではない。

『伶弥』という枠があって、やはり特別な人なのだろう。

「順調か?」

「ひゃあ!?」

「あ、主任。お疲れさまです」

突然、背後から聞こえた声に、詩陽は飛び上がった。

小鳥おどり、どうした?」

「いえ! なんでもありません!」

詩陽は首がちぎれそうになるほど、激しく首を振ってみたが、伶弥は訝し気な表情でジッと見つめてくる。

どうか何も聞かずに去ってください、と心の中で十字を切る。

「ことりさんの幼馴染さんの話を聞いていたんです」

「のぉぉぉぉ」

「幼馴染か。小鳥、どんな話だ」

無表情に言う伶弥を殴っても、罰は当たらないだろうか。

絶対にわかって言っている。

なぜなら、詩陽にとって、幼馴染は伶弥しかいないのだから。

金魚になった詩陽を心の中で笑っているに違いない。無表情だが。

「すごく素敵な子だったみたいで、詩陽さん、すごく幸せそうに」

「心葉ちゃん、そろそろノベルティを補充しないといけないよ!」

「え、さっき」

言いたいことはわかる。

皆まで言うな。

詩陽は心葉の口を塞ぎ、恐る恐る伶弥を見た。

「興味があるな」

「むぐっ、ですよね!? もっと聞きたいですよね?」

伶弥の呟きに、心葉は詩陽の手を強引に引き離し、目をキラキラさせた。

頭を抱えて、その場に座り込みそうになったが、辛うじて堪える。

だが、既に瀕死の状態だ。

これ以上、本人に何も言わないで欲しい。

「心葉ちゃん、あの」

「私は幼馴染さんが初こ」

「はあい! 主任、向こうで呼んでます!」

詩陽は大きな声で遮り、伶弥の手を引っ張って、無理やり方向を変える。

流石に、伶弥も予期していなかったのか、詩陽の勢いに負けて、心葉に背を向ける羽目になった。

「今日は忙しいですね! ああ、忙しい忙しい」

詩陽は伶弥の広い背中を押そうとしたが、伶弥は一瞬の隙をついて、腰を屈めた。

詩陽の周囲をふわりとシャボンの香りが包み込み、伶弥の体温を感じた。

「しーちゃん、どんなことを話したの? 私に聞かれたくないこと? どうして、そんなにも顔が赤いのかしら?」

低くて甘いのに、意地悪な笑いを含んでいる。

耳に痺れが走って、燃えるように熱くなった。

「ちょっと、りょ、主任! ここは」

「皆、仕事をがんばっているわね。忙しくて、誰も見ていないわよ」

伶弥の息遣いを間近に感じ、詩陽の頭の中は大荒れである。

「見ているかもしれないでしょう!?」

「どうかしら。物欲しそうな頬にキスしたら、誰かを驚かせられるかもね」

限界を突破した詩陽は、ふふっと笑う伶弥の背中を思い切り叩いた。

ぐふっと聞こえたが、自業自得だ。

「そんな驚き、誰も求めてないから!」

「どうしたんですか?」

後ろから可愛い声が聞こえ、詩陽と伶弥は同時に振り向く。

心葉が不思議そうな顔をして、二人を見つめていた。

「驚かないで!」

「え?」

詩陽の叫びと、心葉の疑問と、伶弥の吹き出した音が雑じり合い、三人の間は混沌とした。

詩陽は震える手を握り、伶弥を睨みつける。

万が一、バレてしまったらどうするというのだ。

いきなり大ピンチではないか。

「ことりさん、顔が真っ赤……まさか」

詩陽は肩を竦めて、続く言葉を警戒する。

伶弥の本性や二人の関係の他に、伶弥のことを好きだと勘違いされる可能性だってある。

その時は、どうやって言い訳をしたらいいだろうか。

だが、パニックになっている頭は思考力を失い、逃亡することしか浮かばない。

「主任に怒られたんですか!?」

「そうなの! ガツンと!」

詩陽は反射的に返事をしたが、隣にいる伶弥の肩は僅かに震えた。

来栖主任は笑うことがない。だから、笑っている姿すら、怪しまれる。

「主任、すみませんでした! 以後、気をつけます」

「なるほど」

敬礼しそうな勢いで謝罪する詩陽を見つめ、伶弥はぼそっと呟く。

それだけなら、よかった。

再び腰を屈めた伶弥は詩陽の耳元に唇を寄せる。

「私を悪者にしていいのかしら? 帰ったら、覚悟してなさい.......詩陽、体調が悪いなら休憩して。香椎さん、早く持ち場に戻りなさい。二人とも最後まで気を抜かないように」

前半は艶を帯びた囁き声が詩陽だけを襲い、体を起こした後は冷たい声色が二人を襲った。

「は、はい! すみません!」

言葉を失った詩陽とは対照的に、心葉の声は明瞭だ。

それからすぐに背を向けて去っていく伶弥を、詩陽はなんとなく目で追った。

言いたいことが山のようにあるが、今は言えないことばかりでもどかしい。

覚悟をするのは伶弥だ。

そう思う一方、伶弥が一体何をするつもりなのかが想像できず、不安と期待の入り混じった感情に飲まれそうだ。

「……期待?」

詩陽は首を傾げた後、大きな溜息を吐いて、仕事の続きへと戻った。



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