恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

美味しいのは焼き芋か、白磁の頬か

「秋の味覚といえば!」

薄手のコートを恋しく感じるある夜。

詩陽がリビングで寛いでいると、遅れて帰ってきた伶弥が何やら叫びながら入ってきた。

伶弥は目をキラキラさせて、手には小さめの紙袋を持っている。

「どうしたの、急に」

「詩陽! テンションが低いわ!」

「伶弥が高すぎると思う」

「でも、詩陽もこれを見たら、テンションが上がるはず……!」

そう言って、伶弥は持っていた紙袋を詩陽に渡した。

目で開けるように言われ、詩陽は仕方がなさそうに封を開けた。

ふわりと詩陽を覆ったのはほんのりとした熱と甘い香り。

「……焼き芋?」

「そう! 詩陽、好きだったでしょう? 今日、偶然見つけたのよ」

「へぇ、今でも売っているところあるんだ」

「昔は焼き芋屋さんが回っていたけど、もう今は来なくなったものね。これは近所のスーパーマーケットで売っていたのよ! 今は本当に何でもあるのね」

詩陽以上に嬉しそうに話す伶弥を放っておくことにして、まだ温かい焼き芋を取り出した。

思ったよりも大きく、重みもある。

テーブルに袋を置いて、真ん中で割ってみた。

「わっ、すごい」

焼き芋の中は綺麗な藤黄とうおう色をしていて、見た目だけでも味の濃厚さが伝わってくる。

淡い黄色だと、少しだけがっかりしてしまうところだが、これは期待ができる。

「本当、美味しそうね」

「うん、せっかくだし、温かいうちに食べようか」 

夕飯前であることを忘れ、詩陽は大きな口を開けて齧り付いた。

目に見えて興奮したわけではないが、実は嬉しくて仕方がない。

それを表に出していないだけだということは、伶弥もわかっているのだろう。

ニコニコしながら、詩陽が焼き芋を口にした様子を見守っている。

「美味しい!」

「よかったわ」

しっとりとした舌触りに、深みを感じる甘味。

ただ焼いただけのはずなのに、焼き芋というのはどうして、こんなにも格別な美味さになるのだろう。

疲れていた体の隅々にまでエネルギーが行き渡り、心の中はほっくりと温かくなる。

隣に座っていた伶弥を見ると、優しい目で詩陽を見つめていて、急に羞恥心が膨れ上がった。

「……な、なに?」

「美味しそうに食べてくれるなって思って」

「お、美味しいから、いいじゃない」

「えぇ。いいのよ。本当に、幸せだわ」

そう言う伶弥が何に幸せを感じているのか、妙に気になる。

でも、それを聞いてしまったら、返答に困る気がして、詩陽は焼き芋と一緒に言葉を飲み込んだ。

「伶弥も食べる?」

「私はいいわ。詩陽が満足してくれたら、それで充分」

そう言って、少し悪戯な表情になった伶弥は詩陽の口の端に触れた。

「ちょっ」

あろうことか、伶弥は詩陽に触れた指を、ぱくりと咥えた。

「甘い」

伶弥はほんのりと目元を赤らめ、呟いた。

長い人差し指を舐めた赤い舌が、やけに扇情的に見え、詩陽は目を逸らす。

「た、食べたいなら、食べればいいのに」

「甘くて美味しかったから、満足よ」

「あ、甘いとか……!」

抗議をしようとして、詩陽は口を噤んだ。

焼き芋が甘いことは、詩陽自身が最もよくわかっている。

伶弥は間違ったことは言っていない。

それなら、抗議も文句も必要ないはずだ。

だからこそ、自分の顔が熱い理由を理解できない。

「あら、落ちちゃうわよ」

伶弥はそう言いながら、詩陽の手を覆うように焼き芋を支えた。

「何するの!?」

「詩陽が落としそうになるから、助けてあげただけじゃない。もしかして、私に触られるの、嫌だった……?」

隣にある大きな体が、みるみるうちに縮んでいくように感じ、詩陽は慌てて首を振った。

「伶弥に触られるのは嫌じゃない! 急に手を握るから、ドキドキしただけで……違う、全然ドキドキしてなんかない! 驚愕のドキドキであって、全く変な意味はなくて。でも、恐怖とか、不快とかはもちろんなくて、むしろ伶弥に触れられるのは嫌いじゃなくて……ちょっと、何するの!?」

最早、絶叫に近い訴えを連ねていた詩陽だったが、横から伸びてきた腕に捕まってしまった。

すらりとした腕に力が入り、二人の体はしっかりと密着した。

腰に触れている手が大きい。

額に当たる頬は熱いし、半身に感じる硬さが男性的。

気になるところが多すぎて、意識をどこに持っていけばいいのか、さっぱりわからない。

「詩陽」

低い声に艶を感じ、詩陽は息を飲んだ。

いつの間に、伶弥はこんな声を出すようなったのだろう。

こんなふうに、詩陽の名前を呼んだことがあっただろうか。

聞き慣れているはずの声が、知らない声になったみたいだ。

自分の名前なのに、大人の女性の名前に聞こえた。

「少しだけ、こうしていてもいい?」

いつものようにふざけているだけだったら、詩陽も簡単に突き放せた。

なんなら、頬を抓ってもよかった。

それなのに、懇願にも思える声色が詩陽を縛り付け、拒否という選択肢を粉砕してしまった。

詩陽は体を硬くしていたが、伶弥から小さな溜息が聞こえて、考えることを止めた。

「何かあったの?」

「少し疲れているのかしら。嫌になったら言って。すぐに離れるから」

伶弥から『疲れている』と聞いたのは、これが初めてだ。

詩陽は当然、会社の様子を知っているが、常に疲れていると言ってもいい状況でも伶弥は決して言わなかった。

あの多忙さと重責以上に、何が伶弥をこんなにも疲弊させているのかがわからない。

「話、聞くよ?」

「ありがとう。でも、今はこのままで……」

伶弥が聞いて欲しいと言えば、詩陽はいつでも聞ける。

思えば、これまで詩陽が相談することはあっても、伶弥の相談に乗ったことはない。

詩陽が愚痴や弱音をぶつけることはあっても、伶弥が弱っている姿を見たことがない。

人を悪く言うところを見たこともないし、理不尽に怒ることもない。

詩陽はたくさん伶弥に支えられてきたのに、詩陽は伶弥を支えることはしてこなかった。

今更ながら、そのことに気付き、詩陽はきゅっと唇を噛み締めた。

自分のことばかりだった身勝手さに、腹が立つ。

「伶弥が満足するまで、待つよ」

詩陽が控えめな声で言うと、伶弥はほうっと息を吐き、詩陽を抱き締め直した。

伶弥が詩陽に弱音を吐いてくれるようになるには、一体どうしたらいいのだろうか。

詩陽ばかりが頼るのではなく、伶弥に頼ってもらえるようになるには。

詩陽は伶弥の重みを感じながら、暫くの間、真剣に考えた。




どれくらいの時間、そうしていたのか。

詩陽は伶弥の重みが増したことに気付き、そっと体を動かしてみた。

すると、伶弥の体が滑り、止める間もなく、その頭は詩陽の膝の上に乗っていた。

「え、寝たの……?」

膝の上にある顔からは力が抜けている。

目にかかる黒髪をそっと退けてやると、長い睫毛に縁どられた目元が露わになった。

しっかりと閉じた瞼の奥にある瞳は、黒曜石のような輝きを持っていて、詩陽の好きなところの一つだ。

サラサラのストレートヘアもお気に入りだが、どちらも意地が邪魔をして、本人に言ったことは無い。

詩陽は寝ていることを確信し、ゆっくりと髪に指を通す。

絡まることなく、滑る髪がくすぐったい。

滑らかな頬に触れると、目元が笑った気がして、詩陽も思わず微笑んでいた。

「伶弥、いつもありがとね」

素直になれない自分を直したいと思っていても、伶弥を前にすると、照れくささが勝ってしまって、一向に変わることができないでいる。

寝ている伶弥にしか言えないなんて、自分は本当に狡いと思う。

「頼りないかもしれないけど、伶弥が辛い時は頼ってよ。愚痴だって、いつでも聞くのに。どうして、一人で頑張っちゃうんだろう……」

その姿をかっこいいと思うし、優しさの中にある強さには憧れている。

それは、伶弥が男だろうが、オネエだろうが変わらない。

「どうしたら、伶弥を元気にできるのかなぁ」

詩陽はぶつぶつと呟き、指は常に伶弥に触れている。

時折、くすぐったそうに肩を竦めるが、起きる気配はなさそうだ。

「そう言えば、逆襲もまだだった」

今思い出すこととして、正解ではないことはわかっているが、思い出してしまったものは仕方がない。

寝ている伶弥になら、何でもできるかもしれない。

そう思って、逆襲方法について、考えてみた。

そうして出た結論は、詩陽がされたことをし返すという、実に単純なものだった。

ただ、膝に頭を乗せて寝ている伶弥のことを抱き締めることはできないし、意地悪なことを言っても、夢の中にいて効果がない。

ふと、頬にキスされたことを思い出し、詩陽はぽんと手を叩いた。

ちょっとしてみたい。実は、キスはどんな感じなのだろうと気になっていたのだ。

かと言って、伶弥が起きている時にしようものなら、伶弥の思うつぼだ。

そう思って、キスするなら今しかないという結論に到達した。

それに、意識のない伶弥にキスすることも、残念がるという意味では逆襲になるはずだ。

少しズレた考えだということに気付かない詩陽は、ゆっくりと腰を屈めていく。

「もう少し……」

目の前に来た白磁の頬に、そっと唇をつける。

ふわりとした感触は感じたことのない痺れをもたらし、体の芯に火がついた気がした。

「え、なんか、気持ちいい、かも?」

詩陽は驚きで、瞬きを速くした。

「ほっぺにちゅうって、する方が気持ちいいの?」

俄かには信じがたい。

恋愛ドラマも苦手で見ることは無いし、恋バナもしてこなかったから、キスがどういう感覚で、どんな気持ちになるものなのか、当然、詩陽は知らなかった。

「ちょっと、もう一回……」

一瞬のキスではわかりにくかったから、今度は少し長めにしよう。

詩陽はそんなことを思い、ちゅうっと口づけた。

スマートな伶弥の頬は、決して肉が多い方ではない。

柔らかくないと思っていたが、やはりどことなく柔らかくて、滑めらかな感触は病みつきになりそうだ。

「え、なんか、美味しそう?」

ぱくっと食んだら、より柔らかさを堪能できるのでは。

そんなことを思い、再びキスしようとした時だった。

「……しーちゃん」

目の前から声が聞こえて、詩陽は勢いよく体を起こした。

パンッと口を押さえて、目を大きく見開く。

今、自分は何をしていた。

逆襲のつもりが、興味が勝っていた気がする。

していたことは何だ。夢中になっていたのは、どんな行為だった。

詩陽は伶弥が目を覚ました時の言い訳を目まぐるしく考えた。

だが、どんな言葉も相応しくないし、誤魔化しにもならない。

ドクンドクンと騒ぐ心臓を押さえ、息を止めた。

「……起き、てない?」

詩陽の質問に、伶弥が反応することは無く、すうすうと寝息が聞こえている。

「伶弥?」

恐る恐る呼んでみても、目が開く様子はない。

詩陽は大きく息を吐き出し、ソファーの背もたれに体重を預ける。

「怖い……」

不意に低い声を聞き、反射的に体を起こして見下ろした。

言葉のわりに、伶弥の口元は笑っていて、血色もいい。

いや、どちらかというと、ほんのり赤いくらいだ。

でも、目は閉じているから、夢でも見ているのだろう。

何が怖いかはわからないが、それほど心配しなくてもいいようだ。

「何してるんだろう」

どっと疲れを感じ、詩陽はもたれ直して、目を閉じた。




揺蕩う意識の合間に、時折、落ち着く声が入り込む。

遠くにあるような、近くにあるような、はっきりとしないそれは、笑っているようだ。

「末恐ろしいな」

何がだと問いたくても、瞼が重くて、口も思うように開けない。

「お前になら、俺は食べられてもいいけど」

ククッと笑い声が聞こえた気がしたが、詩陽の意識は完全に夢の中へと旅立っていった。

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