恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

上司と幼馴染の狭間で

遠くに活気のある雰囲気を感じながら、詩陽はたくさん資料を抱えて、廊下を急いでいる。

先日通った詩陽の企画を営業部の担当に説明に行くのだ。

まだ企画部でも話を詰めているところではあるが、一度、実際に顧客と接している営業に話を聞いてみることになった。

正直、行き辛い。

営業には西村がいるが、あれから顔を合わせていなかった。

謝りたいと思っても、自分から足を運ぶ勇気がなく、ズルズルと時間だけが過ぎていた。

こういう時に限って、西村は企画部に顔を出さなかったのも運が悪い。

「言い訳は狡いよね」

詩陽は西村の顔を思い出し、溜息と共に呟く。

優しい笑顔と心配そうな顔が交互に浮び、罪悪感は大きくなる一方だ。

そうこうしているうちに、あっという間に営業部に到着してしまった。

仕事だから、気合を入れなければならない。

今日は西村に謝りに来たのではないのだから。

緊張すべきは、企画の話をすることのみ。

そう言い聞かせて、詩陽はフロアに足を踏み入れた。

企画部もそうであるが、営業部もワンフロアで仕切りはなく、全員の顔が見える配置になっている。

コミュニケーションがいい仕事の源である、という社長の考えに基いていると聞いた。

入る直前、誰に声をかけばいいかと考えていた詩陽だったが、その心配は杞憂に終わった。

「ことりさん」

「西村くん……」

入り口近くにいたのは、顔を見たいのか見たくないのか、自分でもよくわからないと思っていた、西村本人だった。


言葉の準備をしていなかった詩陽は挨拶すら忘れている。

ただ、西村から目を逸らすことはできず、変に見つめているだけという状況になってしまった。

「ことりさん、もう体調は大丈夫ですか?」

「あっ、う、うん。その、この間はごめんね」

「いえ、僕こそ、体調が悪いことに気付けず、本当にすみませんでした」

頭を下げた西村に、詩陽は慌てた。西村に非は全くない。

「頭を上げて! 西村くんは何も悪くないから」

「でも、来栖主任にも言われました。営業たるもの、相手の言葉の裏にある気持ちや、言葉にしていない言葉を汲んでこそ、一流になれるんだって。初対面の相手でもそれは言えるんだから、普段から知っている人間の変化や思いは、本人の自覚以上に察してもいいくらいだって」

詩陽は、眉を下げて反省している様子の西村のことを見ながら、頭の中では伶弥の顔を浮かべていた。

大したことを言っていないとでもいうような口ぶりだったのに、詩陽のフォローをしただけでなく、西村への指導までしていたとは。

「主任が、そんなことを……」

「来栖主任が営業にいた頃を思い出しました」

西村の目が輝き始めたことに気付き、詩陽の口元も緩む。

以前は、詩陽はマーケティング部、伶弥は営業部に属していたが、偶然同じ年に企画部に異動した。

当時、伶弥の活躍は、マーケティング部にいる詩陽にも頻繁に聞こえてきた。

見た目の良さも加わり、伶弥は入社当初から、社内では有名で、憧れから僻みまで、実に様々な目を向けられてきたことも知っている。

会社では顔を見かけても話すことは少なく、もっぱら仕事の後に飲みに行ったり、休みの日に会ったりして、付き合いを続けてきた。

だから、社内では関わりのない二人に思われている。

同期であることを知っている人も、どのくらいいるかわからない程だ。

「かなり仕事を取ってきたみたいだね」

「そうなんですよ! あんなにも愛想がないのに、どうやって仕事を取っているのか、皆、不思議で仕方がなかったんです」

会社での伶弥しか知らなければ、大きな謎になっているのは間違いない。

普段の伶弥を思えば、コミュニケーション能力と頭を良さで、巧みに話を進めていたことが想像できるというのに。

「主任は、結構人を見ているからね。やる時はやっていたんだと思うよ」

詩陽の言葉に、西村はきょとんとした。

予想外の反応に、詩陽は首を傾げる。おかしなことを言ったつもりはない。

「ことりさん、来栖主任のことを、よくわかっているんですね」

「同期だからね」

「そうだったんですか! そうか、だから」

一人で納得したように頷く西村を見て、詩陽は先程とは反対側に首を傾げる。

「何かあったの?」

「いえ、大したことではないです。あ、すみません。ずっと引き留めていました。新しい企画についてですよね。実は、僕も担当させていただくんです。もう一人いるので、今呼んできます!」

まるで追及されるのを避けるかのように、西村は颯爽とその場を離れてしまった。

その後ろ姿を見ながら、何か、大した出来事があったのだと予測する。

伶弥が余計なことを言ったのではないといいけれど。

伶弥のイメージが崩れるのは、本気で避けたい。

オネエ言葉を話して、甘々で、おしゃべりで、ちょっと情けないところもある伶弥を知られた日には、これまで積み重ねてきた威厳がなくなって、鞭が上手く機能しなくなってしまう。

何より、伶弥にはこのままかっこいいイメージでいてもらいたい。

これは、詩陽の我儘でもある。




営業部での用事を済ませ、詩陽はほくほくとした表情で企画部に戻った。

実に有意義な時間だった。

普段、企画部で話し合うだけでは得られない視点や考えを聞かせてもらい、しっくり来ていなかった部分の解決策も見えてきたのだ。

フロアに入るとすぐに、伶弥の姿が目に入った。

目が合ったのに、伶弥は素っ気なく視線を外す。

そんな態度には慣れているはずが、不意に寂しく感じたことに驚いた。

資料を抱え直し、伶弥の元へ向かう。

伶弥のデスクに着くと、座っていた伶弥は椅子を回して、詩陽に体を向けてくれた。

ホッとして、表情が柔らかくなった詩陽に、伶弥は冷たい目を向けている。

伶弥が器用であることは知っているが、時々、どちらの伶弥が本質であるのか、わからなくなることがある。

詩陽は詩陽の前にいる伶弥しか知らない。

他の人といる伶弥を見ることはほとんどなかったから、冷たく厳しい伶弥と甘い伶弥、演技をしているのがどちらか判断ができないのだ。

「いい話ができたみたいだな」

「うん。いい機会を作ってくれて、ありがとう」

小鳥おどり

そう言って、伶弥は下の方で小さく手招きをした。

疑問に思いつつも、詩陽は腰を屈めて、伶弥の顔に近づく。

耳元に寄せられた唇が動き、微かに吐息がかかる。

「そんな顔をしていると、抱き締めたくなっちゃう」

「なっ」

詩陽はバッと勢いよく体を起こし、耳を覆った。

耳が熱い。

抱えていた資料を落とし、足元で紙の海ができてしまった。

自分が原因であるにも関わらず、伶弥は素知らぬ顔をして、資料を拾い始める。

ドクンドクンと脈打つ心臓は、きっと突然のことで驚いたせいだ。

平然としている伶弥が憎い。

詩陽もしゃがんで資料を集めながら、キッと伶弥を睨んだ。

「本当にしちゃうわよ?」

「冗談は休み休み言って!」

誰かに聞かれたら、どうするのだ。

これまでも一緒に仕事をしていたが、会社では一貫して、距離を置いて接してきた。

それなのに最近、距離が近くなった気がする。

「可愛い」

「バカッ」

詩陽が伶弥の肩を叩き、口を尖らせた。

「誰かに聞こえるわよ」

クスクスと笑う伶弥には、反省の欠片すら見えない。

確かに詩陽の声の方が大きかったし、伶弥の声はずっと囁くようなものだ。

それが却って、詩陽をドキドキさせていることを、伶弥はわかっているのだろうか。

詩陽は急いで残りの資料をかき集め、伶弥に冷眼を向け、立ち去った。

後ろでどんな顔をしているのか、想像もしたくない。

きっと冷静な顔で、静かに仕事を再開したに違いない。

今度は、どんな逆襲をしてやろうか。


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