恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

伶弥の喜びと詩陽の反省

「秋ねぇ」

伶弥が窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。

ソファーに座って本を読んでいた詩陽が顔を上げると、同じタイミングで伶弥も詩陽の方へ振り向いたところだった。

「そうだね。食欲の秋だね」

「仮にも読書していた人のセリフとは思えないわ」

伶弥はクスクスと笑いながら、詩陽の隣に座る。

きゅっと音が鳴って、詩陽の体が伶弥の方へ傾いた。

トンと当たった肩と肩がなんだかくすぐったい。

「そう言う伶弥は、どんな秋なの?」

「そうねぇ。芸術の秋かしら」

「そういえば、伶弥は昔から芸術系が好きだったね。音楽とか絵画とか、写真展も二人で行ったね」

詩陽は過去を振り返り、二人で出かけた場所をいくつか浮かべた。

昔から、しょっちゅう二人で出かけていたことに気付き、ふふっと笑う。

「なあに? 思い出し笑い?」

「まあ、思い出し笑いかな。写真展に行った時に、伶弥ってば、売られてた写真集を全部買っちゃったから、帰りが大変だったんだもん」

「ああ……そんなこともあったわね」

それは、伶弥が一番好きな写真家の個展だった。

見るもの見るものすべてに見惚れている伶弥は、写真の美しさに負けないくらい美しく、本人は気付いていなかったが、周囲の女性の視線を集めていた。

詩陽は見慣れている人であるはずなのに、それでも、目をキラキラさせて夢中になっている様子は、いくら見ていても飽きない程、魅力があったものだ。

不意に訪れた沈黙に、詩陽はなんとなく伶弥の顔が見たくなった。

そっと視線を隣に向けると、既に伶弥の視線は詩陽にあった。

「見惚れた?」

「まさか! 自惚れもほどほどにしてよね」

そう言った詩陽の顔がほんのりと赤くなっていることに、伶弥は気付いただろうか。

突然、少しだけ熱を持った頬に、伶弥の手が触れた。

「な、なに!?」

「少し荒れてるなと思って」

よかった、ばれていない。

そう思って、詩陽はこっそりと胸を撫で下ろす。

だが、その言葉は聞き捨てならない。

「だって、忙しいんだもん」

と、言ってみたものの、隣にある顔は毛穴一つ見えず、できものも皺もない滑らかな肌をしている。

詩陽よりも忙しいはずなのに。

「ストレスや疲れかしら」

詩陽の複雑な思いなど知りもしない伶弥は、真剣に詩陽の肌荒れについて考えているようだ。

「じゃあさ、今日は何か美味しいものを食べに行こうよ」

「結局、食欲じゃない」

可笑しそうに笑う伶弥を見て、詩陽も思わず吹き出す。

そんな休日の始まりだった。




二人は支度をして、マンションを出発した。

行先は未定である。

今日は秋晴れの過ごしやすい天候だ。

おでかけ日和ということもあって、電車内も多くの人で溢れ返っている。

詩陽と伶弥はドア付近で立って揺られていた。

向き合うのは照れくさいし、背中を向けるのは詩陽が寂しい。

だから結局、真横に並んで立っている。

時折、背の高い伶弥の肩が詩陽の髪に触れる。

こっそり盗み見ると、上の方にすっきりとしたラインの顎が見えた。

喉仏が出ている伶弥に慣れたのは、いつ頃だっただろう。

髭はあまり濃くないらしく、朝でもあまり目立たない。

「どうしたの?」

「べ、別に」

伶弥に気付かれ、詩陽は慌てて視線を窓の外に向けた。

遠くまで続く青空には、ところどころに小さな雲が浮かんでいるだけで、陽射しは暖かそうだ。

「詩陽の服を買いたいわ」

「そしたら、ランチまで買い物する? 伶弥の服も買おうよ」

追及されなかったことに、内心で胸を撫で下ろし、話を合わせる。

見ていたことに気付かれたら、誤解されて、無駄に大袈裟に喜ぶに違いない。

そんなことになったら、落ち着かせるのが大変だ。




表参道駅に到着し、多くの人とともに電車から零れ落ちる。

改札に向かいながら、詩陽ははぁっと大きく息を吐いた。

正直、電車は苦手だ。

特に混雑している電車では、どうしても男性が近くに来る。

女性専用車両がある時は必ず乗るが、こうして伶弥と一緒の時や車両が無い場合は仕方がない。

詩陽は知らなかった。

伶弥が詩陽の後ろに手を伸ばし、近くにいた男性が触れないようにしてくれていたことを。

詩陽の隣に男性が立ちそうになり、さりげなくそちら側に立って防いだことも。

「どこから見て行こうかな」

「私、詩陽に着せたい服があるの」

「え、私に?」

「そう。前に雑誌で見かけたワンピースなんだけど、絶対に詩陽に似合うと思って。仕事帰りに買って帰ろうと思っていたんだけど、詩陽にご飯を作ってあげることを優先して、なかなか買いに来られなかったのよ」

詩陽はどこから突っ込もうかと悩んだ。

隣を見上げると、どこかをうっとりと見つめる伶弥がいる。

少し上を向いているが、転ばないだろうか。

ドジな伶弥も少し見てみたいが、怪我は阻止したい。

「女性ものの雑誌を見たということ?」

「当たり前じゃない」

やはり、言葉だけでなく、中身も女性だったのかもしれない。

伶弥に対する認識を変えようとした時だった。

こつんと頭に小さな衝撃を感じ、視線を上げた。

「中身はれっきとした男よ。会社で女の子が雑誌を見ていたの。後ろを通りかかった時に偶然、目に入って、詩陽に似合う服を見つけたの」

「……本当に偶然?」

「……そうよ」

「なんか、怪しい」

「私の目は、詩陽のためにアンテナを張っているのよ」

「何て言っていいか、わからないよ!」

伶弥のおふざけも、ここまで来ると反応に困ってしまう。

詩陽は目を吊り上げて、伶弥を睨んでみた。

「怒った詩陽も可愛い」

「効果なし……!」

詩陽は自分の睨みに怖さがないことを悔やみつつ、伶弥の背中をぽんと叩いておいた。




伶弥が連れていってくれたのは、有名なセレクトショップだった。

表参道にあり、雑誌にも載る店だということもあり、外観からお洒落で、多くの人が出入りしている。

そのほとんどが女性であるから、詩陽としてはありがたい。

「伶弥、いいの?」

「何が?」

「入りにくくない? ここ、女性物しか無いんじゃない?」

いくら詩陽の服を買いたいからと言っても、それとこれとは別の話だろう。

そう思ったのに。

「詩陽のためなら、下着のお店に入れるわよ」

「絶対に入らないからね!?」

「ケチねぇ」

「そんなこと言うと、一緒に買い物しないよ!」

「それは困るわ。ほらほら、時間がもったいないから、行きましょう。売り切れてないといいけど」

伶弥に背中を押され、詩陽は憮然とした表情で店内に足を踏み入れた。

いつの日か、下着ショップにまで連れていかれる気がして、しょうがない。

店内は予想通り、多くの女性客で溢れていた。

ただ、思っていたよりも広く、商品棚の間隔も広く採られているお蔭で、窮屈な雰囲気ではない。

店内にかかる音楽も落ち着きのあるテンポの曲で、会話の邪魔にならないことも好感が持てた。

「あ、あの辺かしら」

伶弥はそう言うと、目的のワンピース目掛けて、迷いなく歩き始めた。

詩陽も逸れないように続こうとしたが、運悪く、目の前に二人組の女性が現れてしまった。

「あ……」

店内で迷子になるほど広いというわけではないし、男性は数人しかいない。

詩陽にとっての危険はないのだから、心細く思う必要などないのに、詩陽は思わず手を伸ばしていた。

その手をすぐに掴まれ、クイッと引っ張られる。

そのまま気付くと、体を何かに覆われていた。

「詩陽は昔から、すぐに迷子になるのよね。危なかったわ……」

体に直接響いた低い声に、詩陽の中で勝手に心臓がとくんと返事をした。

伶弥の声は男性でも低い方であることは知っていたはずなのに、どうしてだか、今は知らない声のように感じた。

怖くはないが、落ち着かない。

伶弥の胸はこんなにも硬かっただろうか。

背は高いが、運動はしてこなかったはずだから、筋肉質というわけではない。

それどころか、どちらかというと細身だ。

長い腕は詩陽の体にしっかりと巻き付いている。

腰に回された手が熱い気がする。

「り、伶弥」

「もう離さないようにしないと……」

伶弥は独り言のように呟いた。

それが却って、伶弥の隠された本心を聞いてしまったようで、詩陽は頬が熱くなるのがわかった。

普段のおふざけとは違った印象を受けてしまったのだから、それが伶弥の意図したものではなかったとしても、狡い気がする。

「ちょっと、あの、待って」

「どうしたの?」

ふと、詩陽は周囲に人が大勢いることを思い出し、慌てて伶弥の胸を押す。

それなのに、伶弥の腕は全く緩む気配がない。

「どうしたのじゃなくて、離してよ!」

「ダメ。詩陽を一人にしたら、危ないもの。ほら、あっちにあるから行くわよ」

伶弥はようやく詩陽の体を解放し、その代わりに素早く手を握った。

大きな手に包まれるように握り込まれ、小さな頃とは違った伶弥を意識してしまう。

詩陽はぽっぽと火照る頬を片手で押さえ、足取りの軽い伶弥に従った。




伶弥は目当てのワンピースを購入できて、ご機嫌な様子である。

詩陽の服なのだからと財布を出すと、鬼のような形相で睨まれ、すごすごと鞄に戻す羽目になったことについては、未だに納得できていない。

「次は伶弥の服だからね」

「私はいいわよ」

「ダメ! 絶対に買うんだからね?」

詩陽は、伶弥の服は自分が買うのだと心に誓い、渋る彼を引っ張って、よく行くお店へを向かった。

結果を言うと、詩陽は買わせてもらうことができなかった。

それどころか、そのお店にあった女性物を目敏く見つけた伶弥に、またしても購入されてしまうことになったのだから、詩陽の心はますます複雑である。

「いい買い物ができたわ」

「伶弥の服を買ってない!」

「今、欲しいものがなかったんだから、仕方がないでしょう?」

「私だって、欲しいものはなかったのに!」

「あら……もしかして、気に入らなかった?」

寂しそうな伶弥の声を聞き、詩陽は我に返って、隣にある顔を見上げた。

眉尻を下げて、大変情けない顔をしている。

「そうじゃないよ。ごめん、言い方を間違えた。二着とも可愛いし、私の好みの服だったから、嬉しいよ。ただ、私も伶弥を喜ばせたかっただけ」

勢いよく言って、詩陽はパッと口を押さえる。

失言を重ねたことを気付いたからだ。

とはいえ、悪い方の失言ではない。

「詩陽! 可愛い! 詩陽がそう思ってくれただけで、私は生きていけるわ!」

「違う! そうじゃない!」

「まさか、いつも素っ気ない詩陽がそんなことを思ってくれていたなんて…」

だから、そうじゃない。

そう叫びたいと思ったが、にこにこと笑って目を細めている伶弥を見ていると、これ以上、否定することはできなかった。

詩陽は溜息を吐き、ぎゅっぎゅと握ってくる手をやんわりと握り返す。

普段、自分が伶弥に対して甘くないことは自覚してる。

冷たくしているとまでは思っていないが、甘々な伶弥の態度からすると、充分冷たいだろう。

詩陽はこれくらいのことで大喜びしている伶弥を見て、少々反省した。

「ごめんね」

「なに?」

「何でもない」

未だに喜びを表現してる伶弥には、詩陽の呟きは届かなかった。

それでいい。

素直になる自分を想像すると、照れくさくて、むず痒い。

伶弥には一番見られたくない。

それは昔から知っている仲だからこそ、思うのかもしれない。

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