恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

安里紬@書籍発売中

駆けつけてくれたのは、おかしな幼馴染

「伶弥、伶弥……」

詩陽は呪文のように名前を呼ぶ。

部屋の中は明るいはずなのに、真っ暗闇の中を一人で彷徨っているような不安感を抱く。

これだから、男は嫌いだ。

勝手に気に入って、勝手に写真を撮って、欲しくもないのに、こうして写真を押し付けてくる。

このマンションの周辺で怪しい男は見なかった気がするが、それも詩陽が気付かなかっただけで、身近にいるのかもしれない。

想像すればするほど、ストーカーへの恐怖と嫌悪が酷くなってくる。

詩陽は自分の体をぎゅっと抱き締め、ソファーの上で小さく丸くなった。



手の感覚がなくなりそうな頃、ようやく玄関から物音がした。

「詩陽!」

「伶弥……」

渡してある合い鍵を使って入ってきた伶弥は息を乱したまま、詩陽の前に膝をついた。

いつもはサラサラの髪が跳ねて、ボサボサになっている。

「遅くなってごめん」

「ううん。来てくれて、ありがとう」

伶弥の手が恐る恐る詩陽の頭を撫でた。

いつもは気安く触れるくせに、こういう時は慎重に触れてくるのが、もどかしいけど嬉しい。

それに、伶弥が急いで駆けつけてくれたこともわかっている。

夜遅くに来てくれたのだから、伶弥が謝ることなんてないのに、伶弥は昔から詩陽の辛さを詩陽以上に汲むせいか、すぐに謝ってしまうところがある。

「これ……」

伶弥が散らかっていた写真を拾い、言葉を詰まらせた。

「気持ち悪い」

「っ、こっち!」

詩陽は吐きそうになり、慌てて口を押さえる。

すかさず伶弥が詩陽の体を支え、トイレに駆け込んだ。

ストーカー事件の後、詩陽は男性と接すると、気分が悪くなるようになってしまった。

努力のおかげで、少しずつ我慢できるようになり、今では普通に会話する程度なら可能だ。

とはいえ、心の中の嫌悪感を出さないようになっただけで、油断はできないのだが。

「伶弥、ごめん」

「詩陽は悪くない。横になる?」

伶弥はそう言うと、詩陽をゆっくりと抱き上げた。

「下ろして」

「ダメ」

ぽろぽろと零れる涙は、恐怖感からなのか不快感からなのか、自分でもわからない。

もしかしたら、安堵の涙かもしれないし、単に嘔吐による生理的なものかもしれない。

「ソファーで下ろして?」

「じゃあ」
 
詩陽としては、ソファーに座らせてもらえると思っていた。

「どうして!?」

「離したくないから」

眉尻を下げて、心配そうにしている伶弥に言われると、断り切れない。

それが、例え伶弥の膝の上に座らされている状態だったとしても。

「ねぇ、詩陽」

「なに?」

「詩陽の体が落ち着いて動けるようになったら、私のマンションに来ない?」

伶弥の言葉に、詩陽は目を閉じた。

伶弥の言葉遣いが詩陽のよく知るものになっていて、それが心地いい。

「詩陽を怖がらせる奴がいるところに、一人で置いておけないわ。一緒にいれば、詩陽を守ってあげられる」

「でも、迷惑じゃ」

「私は詩陽といられる方が嬉しいに決まっているじゃない。だいたいね、詩陽はもっと私に甘えればいいのよ」

目を開けると、そこには伶弥の優しい微笑みがあった。

無表情の伶弥しか知らない人が見たら、確実に腰を抜かす。

慈愛に満ち、男のくせに母性さえ溢れてきそうな微笑を見せられたら、あっという間に恋に落ちるはずだ。

オネエ言葉を聞かなかったら。

「私は自立した女性になりたいの。伶弥は私のことを甘やかしすぎだよ」

「全然、足りないわ。私は詩陽を甘やかして、トロトロに蕩けさせてあげるのが夢なの」

ふふっと笑った伶弥が、詩陽の頬に指を走らせる。

長くて細い指は色も白くて女性的だ。

下手したら、詩陽よりも綺麗かもしれない。

「そうやって、冗談を言うんだから」

詩陽が口を尖らせると、伶弥はまた小さく笑った。

「私が詩陽を好きなことを、知ってるでしょう?」

「はいはい。もうその冗談は聞き飽きたよ」

伶弥は昔から繰り返し、このセリフを言ってきた。

それから決まって、こう言うのだ。

「詩陽はただ聞いてくれるだけでいいのよ」

ほら、また。

だから、詩陽は真剣に考えたことがないし、返事を返そうとしたこともない。

伶弥は詩陽が恋愛ごとに苦手意識があることを知っている。

それはもちろん、過去の出来事の影響が大きいし、その事件のことは、伶弥もよく知っている。

きっと両親以上に。

「今、素直に聞いて欲しいのは、私のアパートに来ることだけ。こんな私なら、詩陽も怖くないでしょう?」

そう言って、伶弥は詩陽の背中をそっと撫でた。

詩陽はふと窓に視線を遣った。

今はしっかり閉まっているカーテンだが、ここに隙間ができていた日があることは全く知らなかった。

写真を撮られていたことも。

これから気を付けるようにしても、これまで気付かなかった事実に気付ける保証はない。

そうして、もっと怖い思いをしたら。

もっと過激になっていったら。

もし、目の前に現れてしまったら。

そう考えて、詩陽の体に力が籠った。

伶弥の手は今も詩陽の背中を撫でている。

その手に宥められ、詩陽は少し力を抜いた。

「……わかった」

「よかったわ! 詩陽、ありがとう!」

そう言って、伶弥は詩陽の体を抱き締めた。

お礼を言うのは詩陽のはずなのに、本当に嬉しそうにしている伶弥を感じ、詩陽は小さく苦笑した。

状況をよく考えれば、この日の一泊で済む話ではないとわかっただろう。

だが、ショックのせいで思考力が低下していた詩陽がその事実に気付いたのは、翌日の夜のことだった。

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