桜嘉高校推理部のひまつぶし手帖 第一集「夢破れた少年」

下鴨哲生

第六節「言葉はオブラートに包むべきか」

 俺の事故が事故ではないとわかったあと、俺たちはいわゆる聞き込みをすることにした。

「しかし、ロープの断面だけで事故ではないと決めつけるのは少し無理があるんじゃないか?」
 グラウンドへ向かう道中、俺は蛍に問いただした。蛍はいつ取り出したのか棒付きキャンディを舐めながらだるそうに答える。
「確かにね、限りなくゼロに近いが、自然に切れた可能性もゼロではない。だが、この学校の懸垂幕は屋上の手すりと三階の手すりにロープで括り付けて固定してあった。なのに、懸垂幕は君の頭上に落ちてきた。ということは、三階部分のロープはあらかじめ外してあったということ。その時点で誰かの故意が関わっているのは明白だね」
 なるほど、蛍があの時屋上を睨んでいたのは、屋上を睨んでいたわけではなく、懸垂幕の固定部分を睨んでいたということか。
 三階の固定部分は手すりにしっかりと括り付けられている。それを外すためには、誰かが意図的にほどくしかない。ロープの断面とその事実とがあれば、これが事件だということを決定づけることができる。

 蛍と話していると、いつの間にかグラウンドに到着していた。ここに来たのは剣道部の面々に話を聞くためである。
 剣道部の練習は、基本的に格技場で行われる。だが、剣道も体力勝負という部分があり、部活の始めはまずグラウンドでのランニングや筋トレから始めるのだ。今日も、剣道部の一年生と二年生が筋トレに勤しんでいた。そこでふと気づく。
「そうか、もう三年生は引退したのか」
 ちょっと前まで全国大会のことで頭がいっぱいだったし、それがいつの間にか終わってからも自分の事故のことしか考えていなかった。いつの間にか、三年生は引退し、俺の知っている剣道部はもうない。俺が自分のことにしか興味がなかったが、俺以外の場所でもぐるぐると目まぐるしく時間は進んでいるのだと俺は初めて実感した。
 蛍はそんな俺のつぶやきを横目で聞いていた。なにか言いたげな雰囲気だったが、さすがの彼も空気を読んだのだろう。

 一人目の事情聴取は浪江英人。俺が蛍に相談しに行くことをを後押しした人物であり、剣道部二年生代表。まだ決まってはいないが、三年生がいなくなった今はほぼ部長と同じ立ち位置にある。英人は腕立て伏せをしている後輩達の前で尋常ならざる速さで腕立て伏せをしていた。
「おい英人。今日もやってるな」
 俺の声かけに英人が気づいた。立ち上がり、俺達に手を振りながら近づいてくる。
「おー!剣志じゃないか!お前も一緒にやるか?」
 お前はこの松葉杖が見えないのか。分かってて言っているんだろうけど。
「そんで、今日はどうして来たんだ?」
「今日はこの後ろにいる……あれいない?!」
 てっきり後ろについてきていると思ったが、いつの間にか蛍がいなくなっている。いったい、アレはどこに言ったんだ。
 いつの間にかどこかに行った浮浪者を探していると、後輩達がいる方から妙にやかましい声が聞こえた。
「ちがぁぁぁぁぁう!目線は地面じゃなくて顔の一メートル先を見るんだ!腕は肩幅より拳二つ分開けて、二十回につき三十秒のインターバルだ!おっけ?」
「おぉぉぉぉぉす!」
 なぜか後輩達に筋トレを指導している。そして後輩たちはなぜか懐柔されている。
「君はなにをやってるんだよ」
 俺は蛍の頭に軽くチョップを入れた。蛍は「いてっ」と軽くリアクションをしながら頭を押さえていた。

     〇

「へえ、これが噂の奇人ね、それで俺に話聞きに来たわけだ」
 ここまでの経緯を話すと英人は難なく理解したようだった。もともと俺が奇人の話をしていたということもあるだろう。
 俺は「当時、何をしていたか」「何か変わったことはなかったか」と聞くと、彼はこう語った。
「そうだなぁ……俺は別に全国大会に出場するってわけでもなかったし、部活が終わったらすぐに帰ったぞ。変わったことって言ってもなぁ。まさか、あんなこと起こるとも思えなかったし、早く帰れてラッキーぐらいしか考えてなかったかな」
 あんまり中身がない。しかし、こんなものだろう。怪しいことがあれば、俺の事故がこんな簡単に事故と片付けられることはなかった。
「それで、英人がちゃんと帰ったってことを証明できる人は……ってこれは俺が一番適任か。英人は俺の目の前で帰ってったからな」
 俺が待っていた場所からは学校の正門が確認できる。喋ったこともない他人であればわからないが、俺でも知り合いが帰宅したかどうかくらいは分かる。ついでに軽く挨拶も交わした。その後、俺はずっとその場にいたわけだから、もし学校に戻ってくれば俺自身が気付いたはずだ。

「まあでも、それでアリバイ成立ってわけにはいかないかな」
 新しい棒付きキャンディを取り出しながら蛍が言った。
「どういうこと?それから英人は学校に来ていない」
「まぁ、正門からは戻ってないだろうけどね。この学校にはグラウンドを抜けた先に裏門がある。そこから戻ってくれば懸垂幕を落とせるかもしれない。同じ二年生でありながらも、夏目君ばかりが脚光を浴びていることに嫉妬していたとすれば、動機としても成立するんじゃないかな」
「おい蛍、もうちょっと、言い方ってもんがあるだろう」
「ごめんね。でも、本当のことだからしょうがない」
 蛍の言う通り、裏門から学校に戻ればそのまま屋上に行くことは不可能ではない。
 俺達が話している間、英人は黙って聞いてい・たが、しばらくすると堪え切れなくなり笑い出した。俺達は二人してその方向を見る。
「さすが奇人!そんな簡単に納得はしないか。たしかに、裏門から戻ってないとは俺も言えないなぁ……でも、ひとつだけ弁明させてもらいたい。別に俺は剣志に嫉妬なんかしちゃいないよ。むしろ誇らしいくらいさ。俺は剣道は好きだが、剣志みたいに真面目に取り組んでたわけじゃないからさ。自分の同級生から全国大会出場者がでたってだけで、俺はものすごくうれしい。その気持ちに嘘はないよ」
 英人が嘘を言っているようには見えなかった。俺にも感じ取れたのだから、蛍もそれは分かったと思う。しかし、蛍は「そんなことわかってた」と言わんばかりに小さく微笑んで見せた。
「うん、ごめんね。君が関係ないことは知っていた。裏門から入れば必ずグラウンドを通る。夏目君の事故があったとき、地区大会で敗退してひまだったサッカー部は翌日の応援の練習をしていたから、もしグラウンドを君が通れば気付いたはずだ。誰に聞いても、その時間に裏門から入ってきた人はいなかったそうだよ」
「じゃあなんで聞いたんだよ。時間の無駄になったじゃないか」
「別に聞いてないよ。俺はただ『アリバイにならない』『動機はある』って言っただけ。彼が話してくれただけ。むしろ俺が聞きたかったのは、一年生の北条樹ほうじょういつきの居場所だよ。いったいどこにいるのかな?」
 英人から樹の場所を聞いたあと、俺たちは、次の事情聴取に向かった。

     〇

「俺がやったっていうのかよっ!」
「あぁーこういうタイプかぁ」
 樹は蛍の胸ぐらをつかんで叫んでいた。蛍は両手を上げて煩わしそうにしている。
 北条樹は剣道部一年生の部員だ。一年生にしては筋がよく、樹は地区大会の出場選抜にも選ばれている。
 英人に話を聞いたところ、格技場へとつながる通路の途中にある体育倉庫で部活の準備をしているとのことだった。
「いや、違うんだよ北条。ただ話を聞きたいだけなんだ」
 俺は樹をたしなめた。
「なんなんすか!先輩に色々聞かれるならまだしも、こんなよくわかんないやつに色々探られんのはいやっす!」
 気持ちがわからないでもないが、このままでは先に進まない。
 蛍は俺のほうへ渋い顔を向ける。その顔はまさしく、俺に「まかせた」と言わんばかりだった。
「すまん、樹。とりあえずソレを離してやってくれ」
 樹は蛍を離して軽く小突き飛ばす。小突かれた蛍は、俺の背中に回っておびえている子供のように隠れた。わざとらしく「えーん」と泣いていた。

 俺は樹に事件のときのことを尋ねた。「しょうがないっすね」と小さくぼやいて答える。
「あのときは一年全員、部活の片付けと次の日の準備してました。そしたら、昇降口のほうが騒がしくなってきたから、全員で確認しにいきました。そしたら、先輩が倒れてて、美香さんが泣いてて、あっ、そうだ。門谷先輩もいましたね」
 門谷先輩というのは、俺の一つ上、三年生の元剣道部員だ。しかも部長。今は引退しているはずだが、俺もだいぶお世話になった。
「ありがとう。ちなみに、なにかあやしい人とか、あやしい出来事とかなかった?」
「うーん。あやしいことって言っても、先輩のことが一番インパクト強いっすよ」
 樹の話を聞いて、俺は小さく唸った。一年生全員で動いていたということは、このあと誰に聞いても同じようなことを聞くはめになるだろう。
 樹への質問が浮かばなくなり、手詰まりになっている様子を見た蛍が、やっと俺の隣に出てきた。
「じゃあ、次は俺からひとつ。君自身の話だ。夏目君のことはどう思ってる?」
 蛍が樹に問いかける。
「はぁ!?なんだよそれ。俺がなんかやったって思ってるわけか?あ!?」
 樹が蛍に向かってまた叫んでいる。蛍が悪いのか、樹が悪いのか、まったく会話が進まない。俺は樹を諌めて、とりあえず普通に話させる。
「どう思ってるって決まってんだろ!俺たち一年の大半は夏目先輩の噂を聞いて剣道部に入ったんだ!俺だってそうさ。夏目先輩が全国にいけなくなってどれだけ悔しかったか!夏目先輩をケガさせようなんてやついるわけねぇ!」
 樹の迫力に俺たちはただただ圧倒された。
 その後、適当に話を済ませて俺たちは格技場へと向かう。格技場の前についたところで蛍が呼び止めた。
「あっ、ちょっと待って。もうちょっと聞きたかったことあった」
 蛍はそう言って、さっき樹に話を聞きにいった体育倉庫へ戻っていった。格技場のドアの前からは体育倉庫が見える。屋根がついた屋外の通路に面し、格技場、体育倉庫、体育館の順につながっている。屋外通路のためにここから昇降口までいくのも簡単。事故のとき一年全員で駆けつけたと言っていたが、確かにここからなら昇降口の騒ぎも聞こえただろう。

「ごめんね。おまたせ。待った?」
「そんなカップルの待ち合わせみたいに言うなよ」
 俺が少し考え事をしている間に手早く蛍は「もうちょっと聞きたかったこと」を聞いてきたらしい。なにを話していたのか蛍に聞いてみたが、蛍は変にはぐらかすばかりで教えてはくれなかった、
「それより、早く行こうよ。次は君の懐かしの顧問の先生だ」
 蛍は格技場のドアに手をかけた。

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