ただいま冷徹上司を調・教・中・!

伊吹美香

贅沢なのにもどかしい関係(6)

あれだけ平嶋課長を腹を立てて避けて今日まで来てしまった自分が恥ずかしい。

裏切り者の和宏の気持ちなんて、考えてやる必要はないと思っていた。

私は何一つ悪くない。

悪いのは全部和宏なのだから、私からの罵倒も拒絶も全て受け入れて当然だ。

いつの間にか被害者ならば何を言っても許されると勘違いしていたらしい。

私に心があるように、和宏にだって心はあるというのに。

そう、なんだかんだ言っても、付き合っていた頃の和宏は本当に優しかった。

思うところはたくさんあったけれど、和宏の優しさと笑顔は本当に大好きだったんだ。

そんな彼が梨央の誘いに乗ってしまった原因は、もしかしたら私にもあったのかもしれない。

それでも絶対に許さることではないけれど。

「私……とっても嫌な女になってました。……ごめんなさい」

和宏のことも、平嶋課長への勝手な苛立ちも。

全部全部消してしまいたくなるほど恥ずかしい。

「平嶋課長が彼に諦めなくていいって言ったとき、私とのこと面倒くさいから、このまま元サヤを望んだのかなって思って」

「久瀬にそれは無理だ。一度裏切られたらもう二度と気持ちは戻らないだろう?久瀬は絶対に吉澤の所には戻らない。そう確信していたから諦めなくていいって言ったんだ」

当然のようにそう言われ、私は軽く混乱した。

「確信してたんですか?」

もしかして、私の気持ちに気付いている?

一瞬焦ったけれど、「仕事で培った信頼関係だ」と自信気に言われ、それはないなと安心した。

「仕事では信頼関係があっても、プライベートではまだまだなんだから、確信されてても伝わりません」

軽くむくれてそう言うと、平嶋課長は微笑んで私を見つめた。

「俺は仕事にはその人の性格や考え方が滲み出るものだと思ってる。だから仕事を見てれば久瀬の性格も把握できるぞ?」

「この場合、仕事とプライベートは分けて考えてください。仕事とプライベートでの私は完全に別物なので」

多くを望めないとはわかっているけれど、仕事の延長線上に私達の関係があるとは思いたくない。

「完全にわけて考えるとなると、俺は何もわからなくなるな」

眉を寄せて苦笑いを浮かべた平嶋課長を見て、私はなんとも言えない切ない気持ちになってしまった。

平嶋課長も私と同じ。

私達は恋人同士といえど、仮である以上、踏み込むラインを探しているんだ。

「平嶋課長。もっと私のことを見てください。もっと私のことを知って欲しいです」

今は偽りでもいい。

もっとちゃんと女として私を見て欲しい。

女として平嶋課長の隣にいる私を、ちゃんと認めて欲しいの。

「私ももっと平嶋課長を知りたいです。平嶋課長としてもそうだけど、平嶋凱莉という男性を知りたい」

課長としてではなくて、一人の男性として私と接して欲しい。

私が惹かれたのは『平嶋凱莉』なのだから。

「久瀬。俺な、正直いって久瀬とどう接したらいいのかわからなくて、距離を図りかねてるんだ」

「それは私もです」

「俺はお前の上司で、お互いの利害関係のもと、こういうことになったわけだが……」

両膝に肘をついて真剣に考えている様は、何度も見ている平嶋課長の悩んでいる時の表情だ。

「今の久瀬の言葉を紐解くと、本当に仮だと考えない方がいいということか?」

平嶋課長の辿り着いた答えは、まさしく私が願っていた答えと同じだった。

そりゃ、欲を言えば、『聞くより悟れよ』と思わなくもないが。

それでも進まないより進んだ方がいいに決まってる。

「そんなに深く考え込まないでください。疑似恋愛って言ったって、恋愛しないことには意味がないんですから」

「疑似恋愛だってどうしていいのか考えるぞ」

確かに本当の恋愛も上手くいかない人が、疑似恋愛になったからといって急に上手くいくとは思えない。

「だから練習するんじゃないですか。平嶋課長だって本とは違うリアルが知りたいんでしょ?」

本当は深く考えて欲しい。

ちゃんと平嶋課長と向き合って恋愛したい。

この気持ちを平嶋課長に伝えたいけれど。

そうしてしまったら、本物になる前に終わってしまうから。

今はこの関係にかこつけて、思いっきり恋愛してやる。

「そうだな。もう考えない。ちゃんと久瀬を見ていくよ」

平嶋課長が綺麗に笑えば、私の胸もドキドキと大きな音を立てる。

やっぱ……好きだなぁ。

しみじみそう思ってしまうあたり、完全に抜け出せないところまでハマりこんでしまってるなと感じる。

「とは言っても、仕事の時は今まで通りでいいよな?仕事にプライベートは混同したくない」

平嶋課長らしい硬い考えに溜め息が漏れそうになったが。

……はい、チャンス到来。

この上なく最高な案が浮かんで、私は思わず頬を緩めた。

「平嶋課長」

「なんだ、その微妙な顔は」

「………」

そりゃ企みある顔なのだから、決して可愛いとは言えないかもしれないが。

微妙な顔とは、ずいぶんと失礼じゃないか。

「せっかくいいこと思いついたのに」

ぷくっと膨れた私に向かい、平嶋課長は慌てて「うそ。可愛いよ」とか言ってくれちゃった。

もう、本当に……。

危うく鼻血吹きそうになったじゃない。

気を取り直して平嶋課長と向き合うと、その大きくて角張った男らしい手を両手で包んだ。

ドキドキと激しく打ち鳴らす鼓動は、どんなに頑張っても落ち着きを取り戻すことができなさそうなので、放置することにした。

「私のこと、『千尋』って呼んでください」

「はあっ!?」

あまりの驚きに飛び上がるんじゃないかと心配になるほど、平嶋課長は取り乱して私を凝視する。

「プライベートでは、私のことを千尋って、名前で呼んでください」

「いやいや、さすがにそれは……」

「仕事とプライベートをしっかり分けるためですっ」

強めにそう言うと、平嶋課長はぐっと言葉に詰まった。

「平嶋課長のご要望通り、公私混同しないように、二人でいる時は名前で呼び合いましょう?私も平嶋課長のこと、名前で呼びますから。平嶋課長もちゃんと名前で呼んでください。これで解決。なんの問題もありません。万事OKですっ」

畳み掛けるように一気に言葉を連ねると、平嶋課長はいつもの様に眉を寄せて頭を整理しているようだ。

もう何も考えなくてもいいのに。

どうせ私に言い負かされて、結局は提示された案を呑むしかなくなるんだから。

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