ただいま冷徹上司を調・教・中・!
誰も知らない彼の秘密(2)
ノー残業デーというのは大変ありがたいものだ。
ノー残業と簡単に言っても前日はいつもより遅くなるし、翌日は午前中からバタバタしてしまう。
抱えている仕事が多ければ、このシステムはありがた迷惑になるのだけれど、今日は本当にありがたい。
定時で会社を出た私と沙月さんと瑠衣ちゃんの目の前には、颯爽と駅に向かう平嶋課長の背中。
そして後ろには少し間隔をあけて梨央がいる。
「千尋ちゃん、どうする?」
「平嶋課長となんでもいいから話したいところですね」
「ちょっと追いかけてみれば?」
二人が口々にそう言ってくれるので、私も厚かましいが勇気が出てきた。
「私、ちょっと行ってみます」
正直なところ、平嶋課長に声をかけても何を話していいかわからない。
けれど後ろに梨央がいるならば、なんとか平嶋課長と並ばなければ。
二人に「行ってきますっ」と力を込めて宣言すると、私は勢いよく平嶋課長の元へ駆け出した。
「平嶋課長っ」
そんなに大きな声で呼びかけていないつもりだったが、私の声に反応して周りの社員の目が一斉にこちらを捉えた。
「久瀬か。お疲れ様」
「お疲れ様です」
相変わらず微笑みもしない平嶋課長だけれど、私は取り敢えず平嶋課長の隣をキープすることに成功した。
「あの……平嶋課長」
「なんだ?」
何を話せばいいのか思いつきもしないが、伝えておきたい言葉はある。
「あんな形で平嶋課長に無理やり取り引きさせたにもかかわらず、ちゃんと守ってくれてありがとうございます」
二人にしか聞こえない距離と声で伝えたのは、嘘の肯定を繰り返してくれている平嶋課長への感謝だった。
すると平嶋課長は少し驚いたような顔をして私を見下ろす。
強引に迷惑な約束をさせた私がこんなことを言うのは、そんなに意外なことなのだろうか。
「俺はただ、久瀬との条件を遂行しているだけだ。お前がお礼を言うことじゃない」
平嶋課長はぶっきらぼうにそう言ってくれるが、十分お礼を言うべきことじゃないだろうか。
「女子社員の攻撃が私に向かないように配慮してくださってたって聞きました。平嶋課長のおかげで、なにも問題なく収まってます」
「社内の嫉妬は自分を蝕むだけじゃなくて、必ず仕事に影響が出る。それで迷惑するのは俺達じゃなくて顧客だからな。久瀬のためじゃなく仕事のためだ」
「そうですか……」
仕事ができる男の模範的な答え。
しかしそれはほんの少し私の胸にモヤをかけた。
平嶋課長になんと答えて欲しかったのかはわからないけれど、この言葉は私の欲しかった言葉とは違うということだけはわかる。
「仕事に影響が出ないためなら、どんなフォローでもしてくれるってことですか?」
そう意地悪な質問を投げかけると、平嶋課長は少しだけ返答に困った表情をしたが、すぐに頭の中で答えを弾き出したのだろう。
「俺にできることならな」
そうハッキリ口にした。
そうなのか。
だったら、平嶋課長しかできないフォローをしてもらおうじゃないか。
なぜか強気のスイッチが押された私は、チラリと後ろを振り向き、梨央がいることを確認してから平嶋課長にとんでもないことをお願いしてしまった。
「平嶋課長。私を課長の家に連れてってください」
勢いに任せて出た言葉は、自分でさえも驚くような大胆なセリフだった。
「……なんだって?」
滅多なことでは表情を崩すことのない平島課長だが、さすがに驚きを露わにして私を見下ろしてしまった。
立ち止まってしまった平嶋課長の腕を取り歩くように促すと、平嶋課長の長い足が少々もたつく。
「しっかりしてください。別に部屋に上げてくれって言ってるわけじゃありません」
腕を組んでコソコソと顔を近づけて話すさまは、傍から見れば完全に恋人同士に見えないだろうか。
ならばこれでいいようにも思えるが。
でも、ひょっとして。
そんな期待が私を増長させていく。
「だったらどういうつもりで言ってるんだ」
溜め息混じりにそう言った平嶋課長だが、不快感と言うよりも戸惑いの方が勝っている気がする。
これなら隠し事をせずにお願いすれば、納得してくれるんじゃないだろうか。
「後ろからついてきてるんです。私の悩みの種が」
「ああ……。そう言えば俺と久瀬の関係を事細かに聞いてきたな。もしかして久瀬に何か言ってきたのか?」
「そうなんです。しかも私をこんなふうにした諸悪の根源が後ろにいるんです。きっと何か掴むまで着いてきます」
私の勢いに押されているのか、ハッキリとダメだと言えないところが付け込みどころ。
「いや……だからって……」
「玄関まででいいですっ。玄関にさえ上げてくれたら、梨央が帰ったのを見計らって私も帰りますから」
「そうは言ってもな……」
「お願いしますっ。ここまで協力してくれたんですから、最後まで面倒見てくださいっ」
平嶋課長の腕を掴んでいる手に力を込めて、瞳を潤ませ上目遣いで助けを乞う。
そんな私を見て平島課長が下した決断は。
「…………玄関までだぞ?」
「はいっ」
……ほら、勝った。
平嶋課長の腕を取ったまま振り返ると、沙月さんと瑠衣ちゃんが今にも歓喜の叫びをあげそうなくらいの表情で私達を見ていた。
そしそさらに後ろには、驚きを隠しきれない梨央が私を見つめている。
数時間前までは平嶋課長との関係を疑ってかかっていたくせに、今のこの状況を見てあの女はどう思っているのだろう。
この後の私達の流れを、せいぜい指を咥えて見に来ればいい。
着いてくるなら着いて来いとばかりに不敵に微笑んで梨央を挑発すると、私は再び平嶋課長と歩き出した。
「久瀬。わかってると思うが、これは不本意な選択だからな?」
「わかってますって。上がり込んだりしませんからご心配なく」
「わかってるならいいんだけどな」
……平嶋課長が隙を見せなければ……だけど。
イケメン冷徹課長と言われている平嶋課長が、私の無理なお願いを渋々ながらでも聞いてくれる。
この快感はたまらない。
浮かれる足取りを隠すかのように駅に向かっているさなか、平嶋課長はずっと黙って口をへの字に曲げている。
「平嶋課長、なんだかとっても不機嫌そうですね。……やっぱりこんなことお願いするなんて、いくらなんでも非常識ですよね。申し訳ありません」
自分のことばかりで浮かれていたが、やはり平嶋課長に頼むのは筋違いだった。
流れていた沈黙は私の思考を冷静にし、そして自己嫌悪に陥らせた。
やっぱり平嶋課長の弱みをチラつかせて脅すような真似、してはいけなかったんだ。
そう思って平嶋課長に謝罪しようと思った時。
「不機嫌じゃない。久瀬の頼みもちゃんと考えて俺が了承したんだ。……そうじゃなくて……これ」
平嶋課長が左腕をクイっと軽く上げると、私の右手も一緒に持ち上がった。
「あ……」
そう、私はずっと平嶋課長と腕を組んで歩いていたのだ。
ノー残業と簡単に言っても前日はいつもより遅くなるし、翌日は午前中からバタバタしてしまう。
抱えている仕事が多ければ、このシステムはありがた迷惑になるのだけれど、今日は本当にありがたい。
定時で会社を出た私と沙月さんと瑠衣ちゃんの目の前には、颯爽と駅に向かう平嶋課長の背中。
そして後ろには少し間隔をあけて梨央がいる。
「千尋ちゃん、どうする?」
「平嶋課長となんでもいいから話したいところですね」
「ちょっと追いかけてみれば?」
二人が口々にそう言ってくれるので、私も厚かましいが勇気が出てきた。
「私、ちょっと行ってみます」
正直なところ、平嶋課長に声をかけても何を話していいかわからない。
けれど後ろに梨央がいるならば、なんとか平嶋課長と並ばなければ。
二人に「行ってきますっ」と力を込めて宣言すると、私は勢いよく平嶋課長の元へ駆け出した。
「平嶋課長っ」
そんなに大きな声で呼びかけていないつもりだったが、私の声に反応して周りの社員の目が一斉にこちらを捉えた。
「久瀬か。お疲れ様」
「お疲れ様です」
相変わらず微笑みもしない平嶋課長だけれど、私は取り敢えず平嶋課長の隣をキープすることに成功した。
「あの……平嶋課長」
「なんだ?」
何を話せばいいのか思いつきもしないが、伝えておきたい言葉はある。
「あんな形で平嶋課長に無理やり取り引きさせたにもかかわらず、ちゃんと守ってくれてありがとうございます」
二人にしか聞こえない距離と声で伝えたのは、嘘の肯定を繰り返してくれている平嶋課長への感謝だった。
すると平嶋課長は少し驚いたような顔をして私を見下ろす。
強引に迷惑な約束をさせた私がこんなことを言うのは、そんなに意外なことなのだろうか。
「俺はただ、久瀬との条件を遂行しているだけだ。お前がお礼を言うことじゃない」
平嶋課長はぶっきらぼうにそう言ってくれるが、十分お礼を言うべきことじゃないだろうか。
「女子社員の攻撃が私に向かないように配慮してくださってたって聞きました。平嶋課長のおかげで、なにも問題なく収まってます」
「社内の嫉妬は自分を蝕むだけじゃなくて、必ず仕事に影響が出る。それで迷惑するのは俺達じゃなくて顧客だからな。久瀬のためじゃなく仕事のためだ」
「そうですか……」
仕事ができる男の模範的な答え。
しかしそれはほんの少し私の胸にモヤをかけた。
平嶋課長になんと答えて欲しかったのかはわからないけれど、この言葉は私の欲しかった言葉とは違うということだけはわかる。
「仕事に影響が出ないためなら、どんなフォローでもしてくれるってことですか?」
そう意地悪な質問を投げかけると、平嶋課長は少しだけ返答に困った表情をしたが、すぐに頭の中で答えを弾き出したのだろう。
「俺にできることならな」
そうハッキリ口にした。
そうなのか。
だったら、平嶋課長しかできないフォローをしてもらおうじゃないか。
なぜか強気のスイッチが押された私は、チラリと後ろを振り向き、梨央がいることを確認してから平嶋課長にとんでもないことをお願いしてしまった。
「平嶋課長。私を課長の家に連れてってください」
勢いに任せて出た言葉は、自分でさえも驚くような大胆なセリフだった。
「……なんだって?」
滅多なことでは表情を崩すことのない平島課長だが、さすがに驚きを露わにして私を見下ろしてしまった。
立ち止まってしまった平嶋課長の腕を取り歩くように促すと、平嶋課長の長い足が少々もたつく。
「しっかりしてください。別に部屋に上げてくれって言ってるわけじゃありません」
腕を組んでコソコソと顔を近づけて話すさまは、傍から見れば完全に恋人同士に見えないだろうか。
ならばこれでいいようにも思えるが。
でも、ひょっとして。
そんな期待が私を増長させていく。
「だったらどういうつもりで言ってるんだ」
溜め息混じりにそう言った平嶋課長だが、不快感と言うよりも戸惑いの方が勝っている気がする。
これなら隠し事をせずにお願いすれば、納得してくれるんじゃないだろうか。
「後ろからついてきてるんです。私の悩みの種が」
「ああ……。そう言えば俺と久瀬の関係を事細かに聞いてきたな。もしかして久瀬に何か言ってきたのか?」
「そうなんです。しかも私をこんなふうにした諸悪の根源が後ろにいるんです。きっと何か掴むまで着いてきます」
私の勢いに押されているのか、ハッキリとダメだと言えないところが付け込みどころ。
「いや……だからって……」
「玄関まででいいですっ。玄関にさえ上げてくれたら、梨央が帰ったのを見計らって私も帰りますから」
「そうは言ってもな……」
「お願いしますっ。ここまで協力してくれたんですから、最後まで面倒見てくださいっ」
平嶋課長の腕を掴んでいる手に力を込めて、瞳を潤ませ上目遣いで助けを乞う。
そんな私を見て平島課長が下した決断は。
「…………玄関までだぞ?」
「はいっ」
……ほら、勝った。
平嶋課長の腕を取ったまま振り返ると、沙月さんと瑠衣ちゃんが今にも歓喜の叫びをあげそうなくらいの表情で私達を見ていた。
そしそさらに後ろには、驚きを隠しきれない梨央が私を見つめている。
数時間前までは平嶋課長との関係を疑ってかかっていたくせに、今のこの状況を見てあの女はどう思っているのだろう。
この後の私達の流れを、せいぜい指を咥えて見に来ればいい。
着いてくるなら着いて来いとばかりに不敵に微笑んで梨央を挑発すると、私は再び平嶋課長と歩き出した。
「久瀬。わかってると思うが、これは不本意な選択だからな?」
「わかってますって。上がり込んだりしませんからご心配なく」
「わかってるならいいんだけどな」
……平嶋課長が隙を見せなければ……だけど。
イケメン冷徹課長と言われている平嶋課長が、私の無理なお願いを渋々ながらでも聞いてくれる。
この快感はたまらない。
浮かれる足取りを隠すかのように駅に向かっているさなか、平嶋課長はずっと黙って口をへの字に曲げている。
「平嶋課長、なんだかとっても不機嫌そうですね。……やっぱりこんなことお願いするなんて、いくらなんでも非常識ですよね。申し訳ありません」
自分のことばかりで浮かれていたが、やはり平嶋課長に頼むのは筋違いだった。
流れていた沈黙は私の思考を冷静にし、そして自己嫌悪に陥らせた。
やっぱり平嶋課長の弱みをチラつかせて脅すような真似、してはいけなかったんだ。
そう思って平嶋課長に謝罪しようと思った時。
「不機嫌じゃない。久瀬の頼みもちゃんと考えて俺が了承したんだ。……そうじゃなくて……これ」
平嶋課長が左腕をクイっと軽く上げると、私の右手も一緒に持ち上がった。
「あ……」
そう、私はずっと平嶋課長と腕を組んで歩いていたのだ。
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