覚醒屋の源九郎 第一部

流川おるたな

去る者、残る者

 それから部長は奥さんの隣に移動して、耳元で何かを伝えていた。話しの内容への好奇心はあったがプライベートな話しだろうし我慢我慢。
 話しを聞いている奥さんの表情が驚いたり深刻な顔になった後で笑顔になったのでホッとした。
 どうやら用件は済んだようである。
 部長が俺の方を向く。
「仙道、最後の最後で世話になったな。これで成仏できるよ。ありがとう」
 と言って頭を下げられてしまった。
「部長、安らかに過ごしてください」
 俺は頭を下げ、弔いの意を表し手を合わせた。
「翔子、これでお別れだ。俺みたいな亭主と長い年月を過ごしてくれて本当にありがとう」
「こちらこそですよ。さようなら、あなた...」
 部長は頭上に現れた光の中へ吸い込まれるようにして消えていった。
 呆気なく居なくなった。
 人間って死んだら何処へ行くのだろう...
 奥さんが帰り際に封筒を渡そうとする。
「10万円入れてあります。今回のお支払いはこれで足りるかしら」
「いえいえ、大した事はしてませんのでお支払いは結構ですよ」
 本心から報酬を頂くつもりは無かった。
「どうか受け取ってください。わたしが主人に怒られてしまいますわ」
 奥さんは俺の腕を掴み掌に封筒をギュッと握らせた。流石にここまでされると、受け取りを断るのも悪いだろう。
「分かりました。ありがたく頂戴いたします」
「そうそう、仙道さんに主人からの伝言が一つ」
「あ、はい」
 何だろう訊くのが少し怖いな。
「会社で説教する事が多かったのは仙道を俺の次の部長にと考えていたからだ。だが言い過ぎたと後悔する日が多かったよ。今まですまなかったな、俺の分まで頑張って生きてくれ...と言っていたわ」
 伝言を訊いて、会社で部長に説教された多くの場面を思い出し、そこには部下を成長させたいという考えがあったなんて...俺の目から溢れるように涙が出てくる。死んだ後でそんな風に言われたら...俺は罪悪感で胸がいっぱいになっていた。泣き虫だな俺は...
「はい、源九郎」
 ミーコがハンカチではなくタオルを渡す。きっと、ハンカチでは足りないからこれくらいが丁度いいだろう。
「わたしはこれで帰りますね。仙道さん、ミーコさん。こちらの事務所を訪ねて本当に善かった。有難う御座いました」
 奥さんが頭を下げる。
「こ、こちらこそ...お、お世話になりま、した」
 泣きながらも何とか言葉を返せた。
 奥さんが最後に見せた表情は、事務所を訪れた時とはまるで別人のように明るかった。それで救われたような気がする...
「部長の為にも長生きしてこれから頑張らないとだね〜源九郎」
「そうだな、夕飯食べて今夜はゆっくり寝てまた明日から頑張らないとな」
 こうして長い一日が終わったのだった。

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