紅の守護者

如月 環

紅の守護者

「はっはぁ!この俺様の幼馴染に手を出したのが運の尽きだ。大人しく消え去りな!」

ザッと大地に足を踏みしめ、守夜もりやは蹲って動けない少女を見下ろした。
可愛らしい模様のブランコや滑り台が並ぶその場所には、とても不似合いなその光景。

「待ってろ、まどか。その背中に憑いてる鬱陶しい奴は、俺が今すぐこの世から消し去ってやるからな。もうちょっとだ、頑張れ!」
「・・・守夜・・・く、ん」

苦しそうに胸を押さえながらも、白石まどかは何とか頷いた。それを見て、守夜も頷いてやる。

「それでは」

黒いブレザーの内ポケットから取り出すのは、和紙で出来たお手製の札だ。
神社の跡取り息子である守夜は、小さな頃からそう言った物の扱い方を嫌と言う程教えられてきた。現在は自己流にアレンジして札も自分で作るが、その効力に偽りは無い。

「死した者が生きた者の生活を脅かす等言語道断!覚悟しろ!」

ひらひらと風に揺れる札に守夜が精神を集中させると、それはまるで針金でも通したかの様にピンッと立ったのである。
守夜は右の人差し指と中指で札を挟み、左頬の横に構える。後はそれを勢い良く飛ばすだけだ。

《ま、待て。私はこの子を殺すつもりはない》

まどかの背中から立ち上る陽炎の様な物。けれどそれの姿と言葉を、守夜はしっかりと理解していた。

「人を苦しめる霊はみんなそう言う。驚かせて、怖がらせて、苦しめて。そんな事しかする事を知らない悪霊の言葉を、一体誰が聞くと思う?」

冷たい目と口調で、守夜はそれに答えた。
人を苦しめる霊の存在等、認める事は出来ない。

「消えろ」
《ま、待ってくれ・・・っ!》

実体のない腕が守夜の方に差し出された時には、札は彼の手を離れている。

柘植守夜つげもりやの名の許に・・・成敗っ 」

《ぎゃ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっっ 》

断末魔の悲鳴を上げ、その霊は跡形も無く消え去った。あまりにもあっけなさ過ぎて、溜め息さえ出てこない。

「ま、こんなもんか」

たいして強い力を持った霊でもなかった。ただその霊が取り憑いていた白石まどかと言う人間が、結構な霊媒体質───つまり、霊を呼び込みやすい人間だったのだ。しかも彼女は霊に対抗する霊力は持ち合わせず、霊を見たり感じたりする霊感だけを持っている。つまり彼女は、霊感の無い人間ならどうと言う事も無い霊の影響を強く受けてしまい、更にそれを跳ね返す力も持っていない。

「お~い、まどか?こら、起きろよ?」

ぽんぽんと頭を叩いてみても、ゆさゆさと揺すってみても目を覚ます気配は無い。恐らく精神力を使い果たしてしまったのだろう。

「仕方ない、か。頑張ったもんな」

完全に気を失っている彼女を抱き起こし、髪や服に付いた砂を払い落としてやってから守夜は彼女を背負って立ち上がる。

「取り敢えず、うちの神社かな?」

誰にともなくそう呟き、守夜は歩き出した。
やがてその公園から二人の姿は消え、辺りは静寂に包まれる。




「・・・ってさ、普通変だと思わないかな?」

誰もいない筈のその公園に響く、少女の声。

「日曜日の真っ昼間よ?誰もいないのはおかしいとか思わない、普通?しかも鳥や虫の声はおろか、風で木々が揺れる音さえしないなんて、どう考えたって異常でしょうが?気付かないなんてどうかしてるわ。あれで本当に柘植神社つげじんじゃの跡取りなわけ?」

そう言いながら、何やら奇妙に組んでいた指を解く。すると途端に公園はざわざわと音に満ちたのである。

「しゃーない、しゃーない。あいつはただ霊が見えて、それを殺せるだけや。お前みたいにその深みを見れるもんとちゃう」

まるで襟巻きのように少女の肩に乗っている猫がそう言葉を返す。銀色の滑らかな毛並みに紫の瞳と言う麗しい見かけとは裏腹の、バリバリの関西弁で。

「たとえ由緒ある神社の跡取り息子でもや。それはお前がいっちゃんようわかっとるんとちゃうか、はるか?」
「・・・今更、よ」

腰まで伸びた紅い髪が風に舞う。
何時まで経っても断ち切る事の出来ない想いの証。

「私の、罪・・・」
「それこそ『今更』とちゃうか・・・?」

痛みを堪える様に眉根を寄せて、銀色の猫は言う。

「かもしれない。でも、この髪が紅いのは紛れもない事実。私に掛かる呪い。私の罪」

まるで心臓から流れ出す血の様な鮮やかな紅は、それ自体に命が宿っているようだ。

「此処に呼び寄せられたのも。此処に柘植神社の跡取り息子がいるのも。総てが必然」
「遙・・・」



◆◇◆◇◆◇◆

ラッキー♪
遙が何よりもまず思った事はそれだった。もちろん理由はある。
転入手続きを終え、担任と共に教室へ行き、そうして座るようにと指示された席の隣に白石まどかが居たからだ。

「白石まどかよ、よろしくね藤原さん」
「遙でいいわよ、白石さん。藤原ってあんまり呼ばれたくないの」
「そうなの?じゃあ遙ちゃんね。私の事もまどかでいいわよ」

人懐っこい笑顔でまどかは笑う。誰からも愛されるその雰囲気は、確かに遙にも心地よいものだった。
けれど。

「じゃ、まどかちゃん。早速だけど一つ忠告」

にこにこ笑顔を一瞬だけ鋭い視線に変え、遙は言った。

「午前中は窓辺に気を付けて」
「え?」

どういう意味かとまどかが問い返す直前、ホームルームの終わりを告げる鐘が鳴った。

「じゃあね」

まどかが問い掛けようとしていた事は知っている。もちろん何を問い掛けたかったかも。
それを何も知らない振りで、遙は席を立つ。
一限目は芸術。書道の遙と音楽のまどかは教室が違う。更に二限目は生物と物理。三限目は体育で四限目は数学と国語の選択授業。
つまり遙の忠告した『午前中』に、まどかが彼女と接する機会はほとんど無いのだ。

「どうした?」
「あ、守夜君・・・」

彼女達のやり取りを見ていた守夜が、自分の席からまどかの側までやって来た。守夜は遙と違い、彼女と同じ授業を取っている。

「あのね、遙ちゃんが『午前中は窓辺に気を付けて』って・・・」
「窓辺?」

訝しげに窓の外を見遣るが、別段危険な物など無い。体育の準備を仕始めている生徒はいるが、それもハードル走の様だし、ボールか何かが飛んでくる事もなさそうだ。

「ねぇ・・・」

怯えた瞳で、まどかが守夜の袖を引いた。

「また何かが憑いてるなんて事、無いよね?」
「それは無いな。そんな気配は全くしない。大体、お前だって霊感はあるんだからそれ位わかるだろう?」

霊に対抗する力が無いだけで、見たり感じたりする事だけならば守夜と同等の力を持つまどかだ。

「大丈夫だって。気にするな」

そう言って頭を軽く叩いてやる。けれど、まどかはどうも安心出来ない様だ。
霊はいない。それは自分でもわかっている事だし、守夜の言う通り大丈夫だとも思う。
ただそれでも、いつもは何でもない時計の針の音が突然気になったりする様に、遙の言葉はまどかの心に波紋を起こす。気にするなと言われれば、余計に気になってしまう。

「・・・まどか。お前、俺と席代われ。俺の席は教室のど真ん中だ。グランドと廊下の両方の窓から離れてるから」

窓際のまどかの席から教科書を取り出し、押しつける様に渡す。

「行けよ」
「あ、有り難う」

本当に嬉しそうに笑い、まどかは守夜の横をすり抜けていった。
彼女が席に着いたのを見て、自分も座る。そして再び外に視線を向けた。
瞳に映るのは、何時もと変わらない風景。やる気のない準備運動を適当にこなす、生徒の姿だけである。




(別に何にも憑いてないよな?実際この時間まで異常は無かったし・・・)

四時間目終了のチャイムが鳴り、守夜は号令を掛ける教師の声を適当に聞きながら立ち上がった。考えるまでもなく体が動くのは、一日に何度も同じ事を繰り返すから。
『礼』の声とほぼ同時に教師も生徒も動き始める。

「守夜君」

胸の前に教科書を抱えたまどかが、守夜の席───元の自分の席に戻ってきた。

「ごめんね、ありがとう」
「別に。ま、何にもなければ・・・」

それでいい。
そう言おうと思った瞬間、物凄い悪寒が背中を駆け抜けた。そしてそれは目の前にいたまどかも同じだったのである。
己とまどかにだけわかる、その奇妙な感覚。
守夜は考えるよりも先にまどかを引き寄せた。そのまま窓に背を向け抱きしめる。

バンッ 

鼓膜が破れるかと思う程の、もはや音とは思えない衝撃。その直後に降り注ぐのは、既に原型を留めていないガラスの破片だった。

「きゃ、きゃあぁぁぁぁぁぁっ!」

一瞬だけ静まり返った後、近くにいた女子の叫びで皆我に返った。連鎖反応の様に叫びを上げ、守夜とまどかから数歩後ろへ下がる。

「何だ何だ どうした 」

バタバタと廊下を走ってくる慌ただしい足音が教師の物だとわかり、生徒達は少なからず安心したらしい。駆け寄って事情を説明しているようだ。

「まどか、大丈夫か?」

取り敢えずはもう何もないだろうと、守夜が立ち上がりまどかの腕を引く。
と、その瞬間に瞳に映ったのは。

「あいつ・・・!」
「守夜君?」

ダッと教室を横切り、その勢いのまま守夜は相手のネクタイを掴み上げた。

「これは、お前の仕業かっ 」
「遙ちゃん・・・?」

僅かだけ眉根を寄せ、遙は守夜の腕を弾き飛ばす。

「私は忠告してあげただけよ。何で私がまどかちゃんを襲わないといけないの?」
「霊の気配も何も無いのに、何故窓際が危ないと忠告できる?お前は一体何者だ 」
「・・・・・・」

ぴくぴくとこめかみが揺れる。
さて、この恩知らずのお坊ちゃんをどうしてやろうか。
そうやって危険な思考に走りかけた時、こちらに気付いた教師が怒鳴りつけてきた。

「何をしてる?こっちへ来て説明しないか!」
「せ、先生・・・」

まどかが戸惑うように視線を向け、一歩踏み出したその瞬間。

「すみません。二人とも怪我をしているようなので、保健室に行ってきます」

グッとまどかの手首を握りしめながら、遙はにこやかに告げた。

「おい!転入生、お前は関係ないだろうが?」

そう問い返して来た教師に向かって、遙はそのままの笑顔で更に告げる。

「転入早々これだけの事が起これば、体調が崩れてもおかしくはないと思いませんか?」

笑顔の内から滲み出る何とも言えない迫力に、その教師は言葉に詰まったようだった。そこに遙の駄目押しが入る。

「何か問題でも?」

笑顔だからこそ、余計に恐ろしい。
教師は「いや」と言いながら視線を逸らし、「早く保健室に行って来い」と冷や汗と共に言葉を紡ぎ出したのだった。

「そうですか?」

可笑しそうに首を傾げた遙は、先程とは少し違う、まるで悪戯に成功した時の子供の様な表情で教室を出た。

「じゃ、失礼します」

ニッと笑うそれは、年相応の小生意気な、けれど憎めない笑み。

「おい、お前。藤原って言ったな?一体何者なんだ」

教室を出ると共に守夜が再び問い掛ける。

「じゃあ逆に訊くけど、あなた何者?」
「何で俺が訊かれるんだ」
「別に。ただそうやって訊かれて、あなたは答えられる?自分が何者か、って」

名前と住所と年齢と。思い浮かぶのはそんな他愛も無い事ばかり。

「答えられないでしょ?例えば私は霊が見えます。だから遙ちゃんに忠告しました。でもそれだけ。あなただって霊が見えるけど、何故見えるのかってのはわからないでしょ?」

何故そんな力があるのか。それは自分自身解らない。どうやって説明しろと言うのか。

「ま、少なくとも私は自分の事だけなら多少は解るけど?」
「なんだよ?」

守夜が訝しげにそう問い掛けた時、遙の瞳が僅かに細められた。

「どうした?」
「ん~、お客さん。札持ってる?」
「持ってるけど・・・客って・・・?」

身体を擦り抜けた冷たい風は、守夜達には感知できない程微かな温度差。
彼から札を受け取った遙は、細い指先で文字をなぞりながら答えてやる。

「まどかちゃんを狙ってる霊、かな?」
「「なっ 」」
「来るよ」

そう言われても、まどか達にはわからない。霊の気配など何処にも感じなかった。

「おい、ホントに」

いるのか、と遙の肩を引いて尋ねようとした守夜は、その肩越しに自らが渡した札を見た。ほのかに光を帯び、力に満ちたその札を。

縛呪ばくじゅ
《ぎゃん・・・っ》

静かに告げられた言霊が、札を媒介にして力を発揮する。
中空に浮いたままの札が、捕らえたモノの姿を露にした。

「ど、動物霊?」

苦痛に伏せられた耳も、牙を剥きだしにして威嚇する姿も、どこか犬を思わせる。断定出来ないのは、そこに他の動物霊も混ざっているらしいからだ。

「さぁ、どうするワンちゃん?飼い主の所に戻りたい?それとも・・・」

妙に優しげな瞳で遙は問う。

「もう、眠りたい?」
《グウッ!グウゥ・・・》

慈しみに満ちた彼女の眼差しが、苦しみを和らげていく。

「・・・オッケ」

スッと伸ばされた指先が再び札の文字に触れた。しかし今度はそのままなぞりはしない。

「おい、お前何をするつもりだ?」

守夜が遙の行動に異を唱える。
元々その札は彼が創った物だ。どんな用途があるかは彼が一番良く知っている。
けれど遙がやろうとしている事は彼の全く意図していないもの。

「黙って見てなさい」

遙が指を滑らせる度に、軌跡は光の文字となって札の性質を変えていく。

「う、嘘だろ・・・」

描かれた文字は『葬送そうそう』。
死者が永の旅路に出るのを見送る事。
元々の札の意味は『ばく』。
捕らえる事だ。
捕らえる為の札が、送り出す為───解放する為の札に変わる。
本来ならそれは有り得ない。全く逆の性質に変えるなど、それこそ神にも等しい力を必要とするのだから。

「守夜君」

ぎゅっと守夜の服を掴み、まどかが守夜の名を呼ぶ。もちろん視線の先の変化は、言われずとも解っていた。
遙は既に文字を書き終えている。後はそれを声に出してやればいい。

葬送呪そうそうじゅ

バシュウッ!
蒸気の様な白い煙と共に、その姿は消えた。
ひらりと舞い落ちた札には文字が無く、それもすぐに灰となって消えたのだった。

「お、おい、こんな所でこんな派手な事していいのか?」
「別に。もう此処も相手の手の中だからね。わかんないかな。もうとっくに昼休みなのに、誰も廊下に出てこないのよ?」
「そ、そう言えば」

きょろきょろと辺りを見回して、守夜とまどかは首を捻る。

「つまり、此処はもう別世界。相手の結界の中って事」
「結界?」
「そ。ついでに言えば、昨日も公園に人が来なかったでしょう?あれも結界のせい。あの時は私が張っていたんだけど」

廊下を歩きながら、遙は何でもない事のように告げる。
もちろん守夜は結界の存在を知っている。けれどそれは高等な術で、守夜には使えない。
彼の知る内では曾祖父だけだ。
しかもその曾祖父はそうとうな力の持ち主だったが、そんな彼も六十を越えた、力が完全に練り上げられた頃からしか使えなかったと聞いている。

「ま、この結界から出るには、取り敢えず張った本人の所に行かないとね」
「あ、ああ」

先を歩く遙に迷いはない。
転校したばかりの彼女がこの学校の造りを知っている訳は無く、ただ守夜達には感じ取れない気配を頼りに進んでいるのだ。

「辿り着くまでに説明はしてあげる。私とあなた達との関係も含めて、ね」




「春日大社は知ってる?」
「奈良にある神社だろ?確か平城京に遷都した頃に藤原氏が創建した───」

と、そこまで言って。

「まさか藤原って・・・」

ギギギと音がしそうな程ぎこちない動きで遙を見る。

「さすが神社の息子。良く知ってるわね」

にっこりと笑って遙は続ける。

「そう、春日大社は藤原氏が創建した社。そしてあなたの思っている通り、私は藤原氏の血を引く者。『はるか』って名前もね、本当は『春の日』って書いて春日って読むの」

藤原春日。それが本当の名。

「じゃあ、お前も跡取りって事か?」

春日大社の跡取りなら、あの力にも納得がいく。

「ううん。私は違う。私は春日社最大の汚点」
「汚点?なんで?」

あれ程の実力があれば、例え他に凄い人物がいたとしても汚点と迄呼ばれる筈がない。

「跡取りである実の兄を、私がこの手で殺したから」
「「っ 」」

声を詰まらせ一歩退いた彼らを見もせず、淡々と遙は言葉を紡ぐ。

「兄様は霊の存在自体を許せず、どれ程無害な霊でも人前に出てくる限り消滅させ続けていた。成仏ではなく、この世からの消滅」
「・・・!」

ちらりと守夜に視線を向ければ、彼は強張った表情でこちらを見返していた。
そう、守夜も遙の兄と同じだ。霊の存在は許せない。消滅させる。

「やがて兄様は総ての霊から憎まれるようになり、ついにはその身体、心をも支配されそうになった」

遙の表情は見えない。

「でもね、それを周りの人間は私以外誰も気付かなかったのよ」

霊に支配されていく兄を。その異変を。
誰も気付かなかった。

「兄様は私に言ったわ。殺せって・・・」

けれどそう言われたからと言って殺せるわけは無かった。

「私ね、兄様が大好きだったの」

見て見ぬ振りをして、その手にかける事を拒んだ。

「私は兄様を殺す事が出来ずに、心さえも守る事が出来なかった。霊に支配された兄様は、正体を知る私が邪魔になって、人知れず殺そうとしたわ。そして、結局私は兄様を殺した」

長い黒髪を耳に掛けると、真っ赤なピアスが姿を現す。それを外しながら、遙は嗤った。

「私がもっとしっかりしていれば、兄様にあんな事を言わせずにすんだのに・・・」
「あんな事って?」

ピアスを外した途端、遙の髪が紅く染まった。まるで心臓から流れる血のように鮮やかな、その紅。

「『私はお前を許さない。この苦しみを、この憎しみを。その返り血の様にお前に刻んでやる。この魂が果てる迄、呪い続けてやる』」

遙の髪が紅い内は、兄の魂が存在していると言う事。苦しみ続けているという事。

「だから私は、兄と同じ過ちを犯しそうな者達の所を回っているの」

それがせめてもの償いだと思うから。

「そんな凄い呪いを受けて何ともないのか?」
「本当ならとっくに死んでるわよ。ただ、私にとって幸運だったのは、皮肉にも春日大社の娘だったという事。神様がね、護ってくれているのよ」

いつの間にか昇っていた階段が、終わる。目の前には屋上に繋がる扉。

「だからね、安心して。ちゃんと守ってあげるから」

ギィと軋む扉が開く。
其処に遙の言う相手が───悪霊がいるのだと、守夜は瞬間的に身構えた。
ところが、聞こえて来たのは次の声。

「もー、遅すぎや。何でオレがこんなけったくそ悪い奴と睨めっこしてなあかんのや!」

緊張感のない叫びに、守夜とまどかは目を白黒させている。

「あー、ごめんな。びっくりした?あれが私を護ってくれてる神様。春日社の第三殿に奉られてる天児屋根命あまのこやねのみことっていう神様に属する神様の内の一人」
「って全然関係ないけど、『ごめんな』って言い方、何か関西弁っぽい」

動揺しているのか、守夜が妙な事を口走る。
特に気にした様子もなく答えようと遙が口を開きかけたが、聞こえて来たのは別の声。

「そりゃそうや。元々春日はるかは奈良の人間。オレとおんなじ関西弁や」

銀色の毛並みをなびかせて、猫が笑う。

神楽かぐら。こっちにこれる?」

ピクッと耳が反応し、器用に遙の方を向く。

「神楽・・・それがあの神様の名前か?」

足下まで来た神楽を抱き上げ、肩の上に乗せてから頷く。

「神楽ってのは私が付けた名前だけどね。神様としての名前はまだ無いのよ。見習いみたいなもんだから。でも、力は本物」

ピクピクっと耳が揺れる。尻尾もピンと立って、間違いなく機嫌が良いとわかる。

「さて、守ってあげるとは言ったけど、私達に出来る事は此処まで。後はあんた達の仕事」
「し、仕事って」
「あら、簡単よ。あそこにいる霊を浄化して、まどかちゃんの守護霊にしたてあげたらいいだけだから」
「・・・はぁっ 」

今、何と言った。
守護霊!?
瞳だけでそう訴えてくる二人に、遙は天使の微笑みで答える。

「今まどかちゃんには守護霊が付いていない。だからそこらの低級霊が寄ってくるの。普通は守護霊がはぐれるなんて無いんだけどね」

ふぅ、とわざとらしく溜め息を付く横で、まどかが気付いた。

「はぐれるって言った?はぐれるって、まさか私から?」
「そう。あれは元々まどかちゃんに付く筈だった守護霊。守護霊が交代する事もあるって知ってる?その時にはぐれちゃったのね、きっと。で、はぐれた霊は彷徨っている内にぽこぽこと変な霊に寄ってこられてああなったと」

それでもまどかに引き寄せられるのは、それが守護霊たる証。

「で、でも浄化ってどうやって。自慢じゃないけどンな事出来ないぞ」
「ん。簡単簡単。あなた柘植神社つげじんじゃの子でしょ。神楽が力を貸してくれる。あなたは知らないだろうけど、柘植社は春日社の遠縁なのよ?後は、あなたお手製の札に想いを込めるだけでいいの」
「想い?」
「そう。あなたが消してきた霊達や、他の総ての霊達の冥福を祈るの」

肉体のない霊達には、その心で。

「「わかった」」

懐から取り出した札を神楽がくわえる。
次第に光を帯び始めたその札に、二人は手を伸ばした。
総ての想いを込めて記すのは。

「「浄呪じょうじゅ」」

パアンッ!!

二人が声を発したと同時に、まるで風船が割れたような音が辺りに響いた。
驚いて身を竦めた二人に、神楽を肩に乗せた遙が告げる。

「ごくろうさま」

二人に手を差し延べ立たせてやると、何が何だか解らないと言った顔で遙を見た。

「終わりよ。あの音は結界が破裂した音。これからはまどかちゃんも低級霊に取り付かれる事はない」

そして。

「私はさよなら、だけどね」
「・・・どういう事だ?」

訝しげに問う守夜に、遙は地上を指した。
空間が元に戻ったそこからは、間違いなく別の人間が見える。

「あれは?」
「春日社の人間。ついでに言うと私の伯父。私を連れ戻しに来たの。人殺しを野放しになんてしておけないでしょう?」

世間には知られていない。そしてこれからも知られてはいけない、春日社最大の秘密。

「じゃあね」

そう言うと、遙は何の躊躇いもなく屋上のフェンスを乗り越えた。そのまま飛び降りる。

「おいっ 」

慌てふためいて地上を覗き込むと、遙は平然と着地を決めた所だった。まあ、神楽と言う神様が付いているのだ。それくらいは出来て当然だ。
そして歩き出した遙の両脇を、伯父達は危険な物でも扱うように強張った面持ちで固めていた。

「何で・・・」

そんな扱いをされなければいけないのか。
何とも言えない、やりきれない想いで守夜は叫んだ。

「遙ぁっ 俺が言ったって仕方ないけど、お前だってわかってるんだろうけど!お前の兄貴は幸せだった筈だ!もう苦しんでなんかいないんだよ!お前が何より一番、大好きなんだよぉっ 」

真紅の髪を揺らしながら、遙は片手だけを上げ、そのまま去っていった。

「遙ぁ・・・」

フェンスに額を押しつけ、守夜はその背を見送る。
と、その瞬間。

「え?」

ゆらっと揺れた人影は。

「は、はは・・・」
「守夜君?」

覗き込んだ守夜の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

「見たか、まどか。遙の後ろ」

一瞬だけ。たった一瞬だけ見えた人影は。その気配は。

「ちゃんと、護ってくれてるンだよ」

遙と良く似た青年。
彼女を慈しむ、その魂。

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