帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

終焉③

「ライラ」

名を呼ばれ、次の瞬間には息も出来ない程強く抱きしめられる。雷のように痛みが体中を疾ったが、不思議と辛くなかった。
抱きしめられた体から伝わる鼓動が、まるで子守歌のように。
布越しでも、伝わる体温は愛しいもの。それだけで、傷の痛みさえも忘れられる。
安心か、貧血からか。ライラは意識が遠ざかるのを自覚した。

ピシャ、ン・・・

何かの雫が下に溜まった液体の中に落ちる音と、膝立ちした、剥き出しの皮膚がそれに触れる感触。
ライラは一気に夢から覚めた気がした。

「カルスッ!」

腕を伝い肘からポタポタと流れ落ちる真っ赤な血が、大地に染み込み、それでも足りずに血溜まりを作っている。
ドシュドシュドシュッッ‼‼

「ガ、ハッ・・・ッ!」

辺りに群がった魂狩鬼が、カルスの背に鎌を突き立てる。意識なんか保てる筈もないのに、カルスの腕は緩まなかった。変わらずに強い力で抱きしめたままだ。

「カ、ルス・・・?」

のろのろと上げた腕が、真っ赤に染まっている。けれどそれは自分の血ではない。
カルスの血だ。

「い、や・・・」

血にまみれた手の平を握りしめると、背中に回されていたカルスの腕がダラリと地に付いた。汚れていなかった肘から先の服も、凄い勢いで血を吸っていく。

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼」

なんで?
どうして?
そんな言葉だけが頭を巡る。
力を失い、倒れかかるカルスの体を必死の思いで支え、その肩越しにライラは見た。
ズ、ズズ・・・
人間として絶対に受け入れられない、生理的嫌悪感を誘うその音。

「血・・・血ダ・・・モット・・・!」

地面に這い蹲り、止めどなく流れる紅い血を啜る。
人ではない。
神でもない。
ましてや鬼でも悪魔でもない。
それは何よりも欲深く、鬼よりも悪魔よりも惨憺たるモノ。

魂狩鬼ごんしゅき・・・っ!」
「タマシイ!」
「っ‼」

真横で声が上がった時には、もう遅かった。ビュウ!と空気が唸りを上げ、鎌が振り下ろされる。

「はぅっ⁉」

それは軽々とカルスの背中を貫通し、ライラの右胸をも突き刺した。

「くぅっ・・・うぅっ!」

痛みよりも。
苦しみよりも!
許せなかったのは、それがカルスの左胸を貫いたという事。

「─────っ‼」

体を濡らす熱い血が、彼の命。どんどんと大地に流れ落ちる。

「消えろぉぉぉぉぉぉぉっっ‼」

叫びと共に溢れ出した力は、触れた魂狩鬼ごんしゅき達を瞬時に消し去った。まるで溶岩に触れた氷のように、ジュワッと。
ぐらりとカルスの体が傾いだ。けれどそれを支える力はライラには残っていない。手を離す事も出来ず、共に倒れそうになったその時。
ガシッと誰かがカルスの肩を掴んだ。

「・・・?」

斜めの角度で止まったカルスの体に倒れかかるようにして、ライラの体も止まった。不思議に思いながらも、顔を上げる事が出来ない。

「紫龍の巫女、か」

楽しそうに呟く声が聞こえた。そして次の瞬間には無理矢理顎を上げられ、その恐ろしい程に真っ黒の瞳と視線を合わせられる。
底の無い、深い穴のような漆黒の瞳は、磨き上げられた黒曜石のように忠実にライラの姿を映していた。

「し、に・・・がみ・・・!」

死神。
命の灯が消える者の元にしか現れない筈の本物の死神。

「そう。我等の仕事は死を運ぶ事。さあ、紫龍の巫女よ、その手を放していただこうか」

死神が連れていきたいのは、ライラではない。もう既に、心臓が動きを止めてしまったカルスだ。
触れる肌が冷たくなっていく。微かな鼓動さえも伝わってこない。
それは死と認めざるを得ない事。

「ふ、ふふ・・・あはは!あはははははっ!」

息をする度に肺は爆発しそうで、笑おうものなら全身の血を吹き出して死んでしまいそう。それでも、笑いは止まらなかった。

「放す?ハッ!あなた、仮にも神のくせに馬鹿なのね。何の為に私がこの人の側を離れたと思っているの?総てはこの人の命の為。ここで手を放せばカルスは死んでしまうと言うのに、私がそれをする筈ないでしょう⁉」

心臓は止まってしまっても、カルスはまだ死んでいない。死神が此処に来たという事がその証拠だ。
死神は死を運ぶ。つまり、生きた者に死を『渡す』のだ。そして死神はターゲット以外の命を狩る事はない。
『死』はそれに触れた者にも訪れるという。それが死神が直接下すのなら尚更。
ならば。
ライラがカルスから離れさえしなければ、カルスに死が訪れる事は無い。

「そうかな?」

たった一歩。足を踏み出した途端に、大地から鎌鼬が起こった。

「・・・その体で抵抗する気か?ま、それならそれで私は構わないが」

皮肉気に笑って、俯き加減で死神は言う。

「二人ともまとめて連れて行ける」
「いいえ」

ハアハアと体全体で息をしてそう言ったライラに顔を向け、死神は目を瞠った。
死に向かおうとする人間が浮かべる表情ではない。しっかりと開いた紫の瞳には魔力が満ち満ちて、唇は優雅な曲線を描き、微かに斜めの上目遣い。
息を呑む程に美しく、下品ではないけれど不敵で。
まさに凄絶な笑み。

「私達は還る。言いたい事があるのよ、この人に」

此処でではなくて、あの皇宮の窓枠に座って。
あの時本当に言いたかった事を。

「まだ、一言も言っていない」

ドクンッ!と心臓が跳ねた。

「かはっ!」

胸を押さえ蹲りながらも、手はカルスを離さない。

「ほらみろ。その身体で何が出来る?手を放せばお前は楽になれる。放してしまえ。望むのなら・・・」

深くしゃがみ込み、両手でライラの顔を挟んで瞳を合わせる。

「生きていくのにこいつを忘れられないと言うのなら。それが生きる事を邪魔するのなら。記憶を消してやるさ。総ての生ある者達から、カルス・ミラ・ギルアという人間の記憶を」

驚きに固まるライラに、死神は付け加えてきた。

「元々、死神というのは生者の味方だ。死者が何時までも現世に残り生者の心を捕らえ続けているから、死神が死者の世界へ連れ去る。死者によって止められた、生者の心の時間を動かす為に」

それは甘い誘惑。慈しみに満ちた瞳が向けられるのは、ライラが生きているから。
辛い事など、みんな忘れてしまいたい。心が張り裂ける程の苦しみなど、いつまでも抱えていたくない。
けれどそれは無理で。
忘れる事など出来なくて。
日に日に憶いは募っていくだけで。

「・・・忘れられればいい」
「ならば」
「でも!」

絶対的な力で眠らされた龍の巫女としての記憶がほんの少しのきっかけだけで目覚めたように、カルスの事も必ず憶い出す。

「忘れる事なんて出来ないっ!」

ゴウゥッ!

「なっ⁉」

死神は腕を上げ、咄嗟に身を庇った。ピシピシッと衣服が破れ、皮膚が切れる程に鋭い風。ゴゴゴゴと激しく揺れる大地は、死神を宙へと追いやった。

「お前、死ぬ気か!?この世界───いや、総ての世界を道連れにして!」

それ程のパワー。命の総てを賭ける程の。

「それも、いいわね」

命を燃やして起こす、全世界を飲み込む嵐。ライラの狂気を含む程の想いは、死神も知っている筈。

─────カルスが誰かに殺されたのなら、全世界を消し去ってしまってでも、私はそいつを殺してやる。

「本気か⁉」

自分を見つめる、一対の紫の瞳。

「カルスがいない世界など、私には何の意味もない」

焦りが死神の心を支配したと、ライラは知った。
必死なのは、どちらも同じ。

「では、賭けてみるか?」

死神は空に向かって手を伸ばした。そこに、彼ら死神の象徴・大鎌が現れる。
くるくると器用に回転させ、刃をライラに向けた。

「どちらが勝つか」

ライラが世界総てを消してしまうか。それとも死神がカルスの命を連れていくか。

「私が勝てば、お前は生きろ。お前が勝てば───世界が消えてしまうのだから、意味はないか」

ライラの魔力が瞳なら、死神の魔力は大鎌。
ピリピリと空気が静電気を帯びる。
カッとライラの瞳が見開いたのと、死神の大鎌が唸りを上げたのはほぼ同時だった。

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