帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

過去の記憶③

不思議が不思議ではない。二人を見ていて、それがよくわかった。
神秘的な伝説の残る『龍の帝国』。他の国から見れば謎としか言いようのないこの国だが、もちろん住んでいる者達に取っては普通の事なのだ。
龍は存在していたし、自分達の守り神である、と。
ライラと紫杏しあんの事も、恐らくはそう言う事なのだろう。カルスや他の者達には不思議な事でも、彼ら龍や、その巫女達にとっては息をするかのように自然な事。

《カルス皇子、そしてライラ》

改まった様子で名を呼ぶ紫杏しあんに、カルスも居住まいを正し向き直った。

「はい、何でしょう龍の君」


紫杏しあんでいい。お前はライラの夫となる者だろう?あまりに他人行儀だと、私は寂しいぞ》

苦笑してそう言う紫杏しあんからライラは視線を外し、瞳を伏せた。
彼女はわかっている。紫杏しあんの次の言葉を。

《まぁ、もう二度と会う事は無いだろうが》
「え?」

会う事はない?
その言葉の意味を、頭が理解してくれなかった。いや、言葉自体の意味は理解している。ただ、紫杏しあんがどういうつもりでそれを口にしたのかがわからなかったのだ。

《私が完全に眠りから醒めれば、いずれ他の龍達も目醒め、また・・・争いが起こる》

二度と見たくはない、大好きな人間達の死。
だから紫杏しあんは、龍は───巫女は眠る。
力と、記憶を、眠らせる。

《人間は、不思議な力などなくても強く生きていける。だが、同時に弱い生き物でもあるんだ。誘惑や、不安や・・・そう言った『負』のものに負けやすい》

不思議で魅力的な魔法という誘惑に、人は負けたのだ。
殺し合い、憎み合い、哀しみを広げていった。

《だから、我々は眠るのだ》

魔法というものが最初から無ければ。龍という生き物が、ただ単なる生物としてならば。
争いは起こらない。

《ライラを、頼む》

もう一人の自分。こんな哀しい運命を背負って生まれた、人間としての・・・
紫杏は瞳を伏せたままのライラを見た。
幼い少女には酷な事実。本当なら記憶など戻る筈ではなかったのに・・・

《ライラ。お前だけは、幸せに》

堅く瞑った瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。まともに視線を合わせる事など出来なかった。

《もし、もう一度出会う事があれば、それは何かが起こった時だ》

紫杏しあんは一度だけライラを抱きしめると、くるりと向きを変え、カルスの胸元にある生命石を指差した。

《人間達が『生命石』と呼んでいるその石は、我々龍や巫女達は『ブラッディ・ジュエル』と呼ぶ。死した後も僅かな魔力を残すのは、魂がまだ生きているからだ。次の生命に生まれ変わる為の魂が》

そして。

《魂までも死する時、ブラッディ・ジュエルは鼓動を止める。まさに心臓。血が流れていると言っても過言ではないのだ》

ブラッディ・ジュエル。

《私の体から離れたブラッディ・ジュエルは、ギルア皇家の血が流れる者を護る。そして、ここに連れてくる。だが、ここはただの地下ではない》

皇宮の真下と言うわけではないのだ。いくら掘り進んでいっても、この場書に辿り着けるというわけではない。
ここに辿り着けるのは、ブラッディ・ジュエルを持ったギルア皇家の血を受け継ぐ者達のみ。

《けれど永く続いたギルア皇家には、当然傍流も出来る。薄くなったとは言え、ギルア皇家の血は絶対だ。何らかの手段で石を手に入れた者が道を通る時もある》

龍の力に興味を持った、皇家とは離れていった者達が。
しかしそんな者達は、紫杏しあんの元に辿り着く事が出来ない。ここは、異次元なのだから。
目に見えている範囲がこの場所の全てという事ではないのだ。

《お前は直系の皇子だから次元の中で迷うと言う事はないが、一つだけ教えておいてやる》

それはあの言葉の補足のようなものであった。

《龍の掴む宝玉に光り映る時、ブラッディ・ジュエルをその光の筋に入れてやれば良い。そうすれば、私の元に直接やってこれる》

何かが起こった時、すぐにここに来られるように。
本当は教えなくても良い事。二度と会う事は無いのだから。
ただそれでも。
予感がするのだ。きっとライラも感じている事。何も言わないのがその証拠だ。
けれど、そんな事は決して起きないように願って。

《さて、そろそろ本当にお別れだ》

ふぅっと遠くなる意識の片隅で、最後の言葉を聞いた。

《・・・おやすみ》

◆◇◆◇◆◇◆
あれからもう九年。
忘れていたのは、二人の願いがあったから。

(俺の命を、守りたかったからだ)

何かが起こると、紫杏しあんは知っていた。

「何故俺だけ総てを忘れていたんだ?」

あの日の記憶だけ頭の中から消えていたのは、恐らく紫杏しあんの力によるのだろう。けれどライラは何もかも知っていた。
紫杏しあんはライラの記憶を消さなかったのか?

《いや、ライラの記憶も消したさ》

余計な記憶は哀しみを生むだけ。そんな事はよくわかっていた。

《ただ・・・時間も、距離も短すぎた》

ライラが皇妃としてギルア皇宮に身を置いたのは十三歳の時。
龍の庇護に満ちた場所にいる事、そして身に付けるのはブラッディ・ジュエルがはめ込まれた皇家の紋章。

《ライラはお前といる事で、常に龍の力を感じていたんだ。だから完全に力も記憶も封印してしまうには、もっと時間が必要だった》

本当ならば彼らが皇位に就くのはまだ先の事だったのである。
あの事故さえ無ければ。
彼らの両親がまだ生きていれば、ライラの記憶が戻る事もなかった。

《記憶は皇妃になって間もなく取り戻したのだが、巫女としての力が戻ったのは・・・》

その先は言われずともわかっている。トパレイズが目醒めたからだ。

「でもそれは、彼女の哀しみがあまりに深かったから・・・俺達が、止められなかったからだ」

大事な人がいなくなる苦しみは、今回の事でよくわかった。生きていてくれるという事がどんなに嬉しい事か。

《救ってやってくれ》

紫杏しあんが言った。

《どの龍も、巫女も、私の大切な仲間だ》

どんなに悪い事をしたとしても、その罪が償えるものなら。
決して許せない事ではないから。

「もちろんです」

憎むために生まれて来たのではない。どんなに辛く哀しい事があっても、幸せになれるように。
ずっとそうやって生きてきた。
そして多分、トパレイズにもわかってもらえる。こんなにも素晴らしい、龍のもう一つの命なのだから。

《───来る》

辛そうに眉根を寄せた紫杏が呟いた。




始まる。
終わる。
さて、それはどちらなのだろうか?

「多分、両方ねぇ」

クスクスと笑って、トパレイズはギルア帝国の首都・ギリアの街を見下ろした。
龍に庇護された、豊かな街。正式にギルア帝国となったのは今から八百年以上前の事だが、一度として涸れた事も溢れた事もない川や、人が生きていけるだけの食料を与えてくれる大地がその証だ。

「あの人がいないこの世界なんて・・・」

何の意味もない。
悦びや、幸せを感じる事など出来なくなった。
心に渦巻くのは、憎しみのみ。

「さぁ、始めましょうか・・・」

永い悪夢が、ようやく終わる。この手で終わらせる。

「コウガ」

自身の額にある黄玉と同じ輝きを放つ瞳。人にあらざる色を纏う者だけれど、心は愚かな人間達よりもずっと清らかで、優しい。
私の願いを聞いてくれる。

「ギルア帝国に終焉を」

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