帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

過去の記憶②

「『目覚めよ、龍族の王・紫杏っ‼』」

小さな体から溢れ出る、人にあらざる力。本来なら目覚める筈の無かったその力は、たった七歳のライラに耐えられるものではなかった。
現実から離れた場所を見ていた紫の瞳が、ゆっくりとカルスに向けられる。しかし視線が交わった瞬間、ライラはその場に崩れ落ちた。

「ライラッ!」

それまで凍り付いたように成り行きを見つめていたカルスは、ハッと我に返り慌ててライラを抱き起こした。
ぐったりと力無く腕を垂らしてはいるが、脈も呼吸も正常だ。どこにも異常はない。
ほ~っと心底から安堵の溜め息をもらしてから、カルスはぎょっと目を見開いた。腕にライラの体を抱えて座り込んだまま、ざかざかと後ずさる。
土の壁に勢い良く背中を打ち付けたが、そんな事を気にしている余裕は無かった。

「なっ⁉なっ⁉」

それ以上の言葉が出てこない。まるで金魚のように口をパクパクさせるだけ。
いつの間にか昼のように明るくなっているその場所には、光を生み出す物など何もない。目の前に突然現れた、大きな龍の石像以外には。
最初からそこにあった物が明るくなった事でその姿を現したのか、それとも本当に突然出現したのかはわからないが、この空間を照らしているのがその石像だという事だけは理解できた。
それは多分、龍と深い関係を持つギルアの皇子だからこそ。理由など無いが、わかってしまうのだ。
そこにある石像が、本物の龍だと。

《我は龍族の王・紫杏しあん

向こう側が透けて見える、輪郭のおぼろげな人間が石像の上に座っている。

《お前はザイトの子孫だな?だが・・・》

すぅっとカルスの目の前に飛んできてライラの手から生命石を抜き取ると、優しく首に掛けてやりながら言った。

《これはまだお前の物ではないだろう?このブラッディ・ジュエルは私の命の源だ。悪戯は良くないな》

叱りつけるよりも、ずっとずっと優しい声音。強張っていた体から、徐々に余計な力が抜けていく。

《ギルアの皇子、名は何という?》

咄嗟に「カルス」と名乗ってから、慌てて言い直した。

「カルス・ミラ・ギルアと申します、龍の君」

ライラを抱えたままなのできちんとした挨拶は出来なかったが、それでも精一杯の心を込めて言うと、紫杏しあんは満足そうに微笑んだ。そして思う。
見上げてくる真摯な瞳が懐かしい。まるで何百年も昔の、人間の中で唯一親友と呼べるザイトを見ているようだ。

《カルス皇子、本当なら私はこの石の体と共に心も眠っている筈だった》

永い永い眠りの中から目覚めたのは、呼び覚ます者がいたから。けれどその者を目覚めさせたのは、紛れもなく紫杏しあん自身。
お互いがお互いを呼んでしまった。その存在を感じて、心が逸るのを止められなかった。
紫杏しあんはちらりとカルスの方を見る。いや、カルスではない。彼の腕の中のライラを。

「龍の君・・・?」

瞳に宿るのは深い愛情。皇族でもなく、しかも初めて会った筈のライラに何故そんなにも慈愛に満ちた瞳を向けるのか、カルスにはわからなかった。
もちろん龍はギルアの民総てを愛してくれている。それはギルアの人間総てがわかっている事だ。
けれど、ライラに向けられる『愛』は違う。

《この場所に来る条件を知っているか?》

不思議そうなカルスには何も答えず、紫杏は問い掛けた。視線はライラに据えたままだ。
『この場所に来る条件』。それは皇家に代々伝えられた言葉の事。その真偽を確かめたくて仕方がなかったあの言葉。

「『龍の掴む宝玉に光映る時、道は開かれる。ザイトの血を濃く受け継ぐ者、ザイトの魂を強く受け継ぐ者、この道を通れる者なり』」

皇宮の中心部の部屋の、床に描かれた龍。その龍の持つ宝玉に光が当たる瞬間、皇家の紋章を持ってサークルの中に入っていれば良い。
ザイトの血を、魂を受け継ぐ者。それはギルア皇家に生まれた自分の事。そう思っていた。

《半分、正解だな・・・》

ぽつりと紫杏しあんが呟く。

《方法は正しい。けれど、『資格を持つ者』はお前だけではない。と言うより、生命石を手放し眠りについた私の元へ、ザイトの血を引く者だけで来る事は出来ないのだ》

関係が深い、守護する大切な人間。そうは言っても、結局は別々の者だ。力も何もかもを封印して眠りについた龍が、その存在に気付き、呼び寄せる事など出来る筈もない。

《『血を濃く受け継ぐ者』と、『魂を強く受け継ぐ者』は違う人間だ》

血を濃く受け継ぐ者。それはザイトの子孫、つまりはギルア皇家の人間。
けれど魂を強く受け継ぐ者は、血の繋がりなど何もない。ギルア皇家とは何の関係も持たない者である可能性もあるのだ。
ただ、その者はザイト自身であると言っても過言ではない。
ザイトの生まれ変わり───それが『魂を強く受け継ぐ者』。
龍の側に立つ『巫女(巫男)』であると同時に人間側の『ギルア皇帝』でもあったザイトは、紫杏しあんにとっても特異な存在だった。
もう一人の自分と、同時に親友でもあったのだから。

《さて、カルス皇子》

紫杏は真っ直ぐにカルスを見つめて問う。

《『血』がお前なら、『魂』は誰だ?》

龍を目覚めさせる、巫女は?
もう一人の『龍』は?

「ライ、ラ・・・?」

カルスは無意識の内にライラを強く抱きしめていた。少し前の、見た事のない彼女の姿が甦る。あんなにも神々しく言葉を紡ぐ彼女は知らない。
いつも側にいた大好きな少女が、自分から遠く離れていってしまいそうで怖かった。
だから、抱きしめる。

「ライラが、龍の巫女だと言うのですか?」

僅かに声が震えたのに気付き、カルスはきゅっと唇を噛み締めた。
怖い。
ライラを連れて行かれそうで。
彼女がいなくなると言う事が、こんなにも辛く恐ろしいとは思わなかった。心が、闇で覆われそうになる。
すっと伸びてきた紫杏しあんの手に、カルスはびくっと肩を揺らした。そしてまるで彼からライラを隠すように体の位置を変える。全て無意識だ。
心に浮かぶ恐怖が。
それでも守りたい何かがあるから。
何があっても、どうであっても離れたくない少女がいるから。
譲れないたった一つのものを胸に抱いて、カルスは真っ直ぐに紫杏を見た。

「ライラは俺の・・・次期皇帝・カルス・ミラ・ギルアの妻となる者です。たとえ彼女が龍の巫女であろうと、我がギルアの崇拝する龍の君の命令であろうと」

そこで一度言葉を切り、決然と言い放つ。

「この手をライラから離すつもりはありません」

偉大な龍を相手に、まるで宣戦布告だ。
紫杏しあんは驚いたように目を丸くしたが、暫くすると肩を揺らして笑い始めた。

「りゅ、龍の君?」

楽しげな紫杏しあんに対し、カルスは完全に拍子抜けだ。決死の思いで言った自分が、何だか悲しくなってくる。

《気に入ったぞ、カルス皇子》

まだ少しクスクスと笑いながら、紫杏しあんはカルスの目の前に腰を下ろした。目線の高さが一緒になる。

《私の何より大切な巫女を、必ず幸せにしてやってくれ》

みるみる内に明るくなっていくカルスの表情。それにつられるようにして、紫杏しあんも微笑んだ。
父親のような、兄のような、友人のような。
そんな、不思議な気持ち。
龍と巫女は、恋人同士の愛を持つ事はない。親や、兄弟の愛とも違う。その全てが混ざり、そして超越した特別な関係だ。
人間の双子の神秘と共通する所も、少しあるのかも知れない。

《私の大切な、巫女。起きておくれ・・・ライラ》

軽く額に口づけた、ただそれだけで。
綺麗に整った睫毛が震え、ライラはゆっくりと瞳を開けた。
現れた紫の瞳はカルスを映し、微かに微笑んでから紫杏をとらえる。

「おはよう、紫杏」
《あぁ。おはよう、ライラ》

まったく普通の会話だった。いつもの朝とでも言うように、軽く挨拶を交わしたのである。

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