帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

ジュエル①

「ライラ皇妃ッ‼」

はぁ、と溜め息をついてライラは振り返った。これで一体何度目だろうか。
続々とハリシュアに集まってくる他国の王族、貴族達。王宮をうろうろしていると、それがみんな声を掛けてくるのだ。驚いた声で『皇妃陛下!』と。

「あら、リズ?」

今度も同じような、こちらは顔も知らないどこかの貴族だと思ったのだが、どうやら違ったようだ。

「久しぶりね」
「えぇ、久しぶり。ってそうじゃないわ!あなた本当にライラなの⁉」

隣国・マッティニアの王女である。昔はえらくわがままで有名な王女だったのだが、最近では国を継ぐという大きな目標の為に頑張っていると聞いている。
即位して半年経った頃だったか、当時はライラもえらく迷惑を掛けられたものだった。

「まぁね。ちょっと髪と瞳の色が違うけど、正真正銘私よ。でも気を付けてね、名前が違うから」
「名前が違うって・・・」
「すぐにわかるわよ」

尚も声を掛けようとするリズに、ライラはひらひらと手を振って去っていった。
そして言葉通り、彼女はすぐに知る事になったのである。ハリシュア王妃、シスト・ジュエルを。

◆◇◆◇◆◇◆
「それでは皆様、『ハリシュアの祭典』前夜祭を、心ゆくまでご堪能下さいませ」

誰も彼も何がどうなっているのかまったく理解できなかった。壇上で挨拶しているのは紛れもなくギルア皇妃だというのに、その隣に立っているのはハリシュア国王。本当なら隣にいる筈のギルア皇帝は、無表情で来賓席の方にいる。それ以前にここはハリシュア王国だ。何故ギルア帝国の皇妃が挨拶をするのだろう。
どうなっているんだあぁぁぁぁぁっっ⁉
誰もがそう叫びたくてむずむずしているのが、ライラには手に取るようにわかった。

「ライラッ!」

現状がどうなっているのか、それは別として、彼女は紛れもなく大国ギルアの皇妃。
相手が相手なだけに結局は何も問い質せない者達ばかりの中、リズだけが怒鳴り声をあげていた。それくらい出来なければ『わがまま王女』とまで呼ばれはしない。

「どういう事か説明して頂戴!どうしてあなたがシストなんて名前を名乗るの⁉ギルアはどうしたの⁉カルス陛下は⁉」
「「関係ない」」

声がハモる。

「俺達の関係は、もう昔のものだ」
「他人よ、た・に・ん」

怒りも哀しみも何もない。やけにあっさりとした答えだ。
たとえライラのそれが芝居だとしても、カルスは違う。『昔の関係』。それは彼の本心なのだろう。
嫌な、現実だった。
ヴァイネルも、キュアリスもヒルトーゼも。真実を知っていながら何も出来ない。それが悔しかった。
離れていく主君の心を、ただ見ているだけしか出来ないなんて。

「面白くないわぁ」
『─────⁉』

張り詰めた空気のホールに響く、間延びした喋り方。場にそぐわないぽよよんとした声なのに、一部の人間達は顔色を変えた。
面白くない。
つまりは気に入らないと言う事。

(契約、不成立・・・)

血が凍る。最悪の映像が頭に浮かんだ。

「何が面白くないんだ、トパレイズ?」
「だめぇっ!カルスッ!」

叫んでから、慌てて口を押さえた。
しまった・・・っ!

「シスト王妃?」

訝しげに首を傾げるカルス。ライラの異常な反応にも、何の興味も示さない。
覚悟はしていたつもりだったけれど、やはりどうしようもなかった。沸き上がる哀しみと恐怖は、容赦なく心を切り刻む。

「なぁにぃ、その面白くもなんともない反応はぁ?」

唇を突きだして不満そうに言うのはトパレイズ。子供のようなその仕草には、ある種の恐ろしさがあった。
飽きた玩具を放り出したり、力任せに小動物で遊んだり。『死』や、『壊れる』と言う事にまるで無頓着な、ある意味無邪気な子供達のように。

「ラ・イ・ラ♪」

ひらひらと手を振ってくる彼女が、次にどんな行動に出るのか予想もつかなかった。
その異様な雰囲気は誰もが感じているのだろう。あのリズさえも、何も言わず成り行きを見守っている。

「何かしら、トパレイズ」

ただ真っ直ぐにそちらを向く。怒りも怯えも見せないその態度が、トパレイズは何より大好きだった。
強がれば強がるだけ、崩れ去る瞬間がとても面白くなるのだから。

「私を満足させてくれるんでしょぉ?」

人差し指を顎の先に当てて、首を傾げる。バックにクレヨンで書いた花が飛びそうな動作だ。
ここまでわざとらしいと、さすがにうんざりする。
ライラはパチンと指を鳴らして元の姿に戻ると、大仰に礼を取って言った。

「なんなりと」
「あっそう?」

ふ、と表情を変えた。片方の唇だけを吊り上げて、瞳を大きく開く。初めて見せる表情だ。
しかしこれこそ、彼女の本当の表情なのだと思う。作り物ではない、真実の。
ライラとカルスへの憎しみ。

「それじゃあねぇ」

ちらりとカルスの方を見る。元の姿に戻ったライラを見ても、彼は顔色一つ変えていない。無関心そのものだ。
面白くない。
本当に面白くない。
泣いて、叫んで、絶望して。そんな姿が見たいのに。
壇上のライラに視線を戻す。じっとこちらを見つめている冷めた瞳が、実は相当必死なのだと知っていた。
面白いものは、ここにある。
だから言ってやった。

「カルスを刺しなさい」
「─────っ!」

これこそ最高の見せ物。
大観衆の中で、あのギルア皇妃が夫たるギルア皇帝を刺すのだ。これ以上のものはない。

「どうしたの?別に殺せなんて言ってないでしょ?刺すだけでいいのよぉ?」

既に顔色がなくなっているライラに、トパレイズは尚も続ける。

「それとも、例のあれ、今ここでやってあげようかぁ?」

言葉と同時に頭の中に流れてくる、バラバラになったカルスの姿。
トパレイズの魔法だ。

「やるのぉ?やらないのぉ?」

じれったそうに足をパタパタと踏みならして、余計にライラの心を掻き乱す。
やらなければ確実にカルスの命はない。それはわかっているのだけれど、手も、足も震えている。頭ではわかっていても、心が拒否しているのだ。

「じょ、冗談じゃない!なんなのあなた!ライラがカルス陛下を刺す筈ないでしょう⁉」
「あらぁ、ライラならやるわよ」

たまりかねたように声を上げたリズにそう言い返して、ねぇ?とライラに問い掛ける。
そう。結局それしか道はない。

「やるわよ」

どこからか歌うような声が聞こえてきた。そしてそれが途切れると、ライラの目の前に剣が現れる。
影ですべてを見ていた紫杏しあんが呪文を唱えたのだ。黒魔法の発動する『鍵』、それが呪文。
宙に浮かぶ剣を掴み、ライラはゆっくりと階段を下りていく。

「ラ・・・!」

思わず伸ばした手を、ヴァイネルは肩に触れる寸前で押し止めた。これ以上余計な事は出来ない。
もしもあの時、ライラの所へ行かなかったら。あんな事をしなかったら。ライラがカルスを刺すなんて事は起こらなかったかも知れないのだ。
これは、ライラが必死の思いで決めた事。少し関わったからと言って、口出し出来るものではなかった。
行き場のない手が、空を掴む。やりきれない想いが、胸の中をぐるぐると回っている。キュアリスも、ヒルトーゼも、きっと同じだ。

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