帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

第十七側室・シスト③


◆◇◆◇◆◇◆
中庭の噴水が見えるバルコニー。今日もライラはそこにいた。もはや定位置だ。
たまにどこかの貴族の姫がやって来て、皮肉を言っては逆に言い負かされて帰っていくが、それ以外は本当に心落ち着く場所だった。
昼を少し過ぎた頃になると、政務を一段落させたヴァイネルがやってくる。女官達にお茶の用意をさせ、ライラと話をするのだ。
彼にとっても、それは日課となりつつあった。

「いつも噴水ばかり見ていて飽きないか?」

長い目で見れば様々な変化があるのだろうが、こう毎日見ていては大した変化など無いに等しい。

「だって、暑いんだもん。それに、ここの方が落ち着ける」

涼しげな水の音は、ふとすると沸き上がる想いを鎮めてくれる。この王宮で唯一の精神安定剤だ。
この王宮に来てからというもの、言いようのないもやもやが体の底で蠢いている。同じ『おうきゅう』という場所が、彼女にそれを強要するのだ。

「そんなに暑いか?ここはハリシュアでも北に位置するんだが」

ハリシュア王宮の存在する場所は、この国でもまだ涼しい方なのだという。

「なんか、魂抜けそう・・・」

ライラはぺしゃりとへしゃげてしまった。
これで涼しいなんて間違っているぞ、と思う。

「という事は、だ。お前達はもっと北に住んでいたって事だな。ジェイズは・・・まぁ確かにここよりは涼しいが、そんなに変わらないし。エンジか、キャンウェイか───ギルア、か」

ハリシュアの北に隣接するのがギルア藩属のジェイズ王国。面積も横向き長方形のような形も、ハリシュア王国とほぼ同じである。そして更にその北にはギルア帝国本土。エンジ国とキャンウェイ国はその東に位置し、共にギルア藩属国である。ハリシュアよりもかなり涼しい。

「我々はギルア帝国出身ですよ」
紫杏しあん!」

慌てて振り返るが、紫杏しあんは素知らぬ顔だ。下手に隠すよりその方が良いと思ったのである。

「そうか、やはりな」

何に気付いた様子もなく、ヴァイネルは納得顔だ。ライラのあまりの暑がりようが、北方育ちのためだから、とそれだけを素直に思っているようである。

「それじゃあ丁度いいな」

一人でこくこくと頷くヴァイネル。

「???」

ライラと紫杏は顔を見合わせ、訝しげに首を傾げた。
一体何が丁度良いと言うのだろうか。
二人の疑問に気付いたのか、ヴァイネルはにこにこと言ってくる。

「聞いて驚け。何と、ギルア帝国のミラ皇帝陛下とリル皇妃陛下がいらっしゃるのだ!」

ピキィッ‼
二人の時間が凍り付いた。微かに浮かべた笑みの形のまま、止まっている。
それに全く頓着せず、ヴァイネルは続けた。かなり浮かれているようだ。

「先程書簡が届いたんだ。今年も同じ時期に来られるとな」

ハッと我に返ったライラは、思わず声に出していた。

「そうよ。何で忘れてたのよ。もう、聖水月が終わる・・・」

雨の聖水月が終われば、雷光月が来る。
雷の鳴り始める、本格的な夏の季節。
火の国、夏の国とも呼ばれるハリシュアの祭典が開かれる。
国交のある近隣諸国は、この年に一度の大祭に訪れ、関係を深めていくのだ。もちろんギルアも参加する。
カルスが即位したのが三年前。彼が皇帝になってからは今年が三回目になるが、元々皇子だ。亡くなった父である前の皇帝の名代として、何度か経験している。
カルスの皇子時代、ライラはまだ正式な婚約者ではなかった。他の数多くいる候補者の一人だったのだ。
母親同士が親友だった事で、二人は小さい頃から一緒だったが、それとこれとは別だ。『ギルア帝国世継ぎの皇子』として他国を訪れる彼に、『一貴族の姫』が付いていく事は出来ない。

「おい、聞いているのか?」

ずいっと顔を覗き込んでヴァイネルは尋ねた。少しむくれたような様子から、恐らくずっと喋り続けていたのだとわかる。
そんなつもりは無かったのだが、彼にとっては無視され続けたのと大差ない。

「あはは、ごめん。取り敢えずは聞いてたんだけどね」

それで?とライラは続けた。

「お二人は他の国より先にここへ来るんでしょう?大臣や女官達が忙しそうに働きだしたって事は、またパーティー?」

ハリシュアにとってギルアは一番の貿易相手国だ。どの国よりも先に招待して、ゆっくりと祭りを楽しんでもらうのである。

「その事なんだが」

コホンと一つ咳払いして、まるでこちらを探るように言葉を紡ぐ。

「大臣達と話していたんだが、シスト、また、宴に出席してくれ、ないか?」
「あら、いいわよ」
「───はぁっ⁉」
「何よその反応」

目を大きく見開いて、顎が外れたのかと言いたいくらい大口で叫んだヴァイネルを、シストは半眼で睨み付けた。

「いや、だって。またこの間みたいに嫌がるかと思って」

まだ驚きが収まらないらしく、しきりに瞬きをしている。
大体、最初から覚悟していたのだ。この間の宴は何とか挑発して出席させたが、彼女相手に同じ手が二度も通用しないとわかりきっていたのだから。
それなのに。それなのに、だ。
こうもあっさりと承諾されてしまっては、覚悟を決めた意味がない。ついついあんな反応をしてしまったのも仕方がないというものだ。

「別にパーティーが嫌いなんじゃないわ。大抵の女の子と同じようにね」

ひらひらしたドレスは好きではないが、それでも着飾る事は大好きだ。好みのデザインのドレスで、明るい曲に乗ってダンスを踊る。
それは楽しいし、何度でもやりたいと思う。
だから余計に嫌なのだ。嫌味の応酬や腹の内の探り合いばかりの宴が。
この間の宴などはまさにそれだ。

「でも、今回もトゥーラ姫を初めとする貴族の姫達が出席するぞ。大臣達はもうお前の実力を認めているし、だからこそギルアの陛下方のお相手をしてもらおうと思っているが、姫は・・・」

また懲りずにちょっかいをかけてくるだろう。
言葉にされずとも言われている事はわかった。そんな事はライラだって承知だ。

「ならどうして」
「ヴァイネル陛下?実はあなた、私に出てほしくないんじゃない?」

腰に手を当てて詰め寄ると、ヴァイネルは慌てて首を振った。

「まさかそんな!」
「わぁかってるわよ」

クスクス笑ってライラは離れる。
ヴァイネルはただ純粋に彼女の変わり様を不思議がっているだけだ。他意はない。

「それじゃあ、私はどのドレスにするか考える事にするかな」

一度大きく伸び上がり、今まで座っていた椅子を持ち上げる。そのまま半分引きずるようにして歩き出した。

「おい、シスト?」
「あぁそうそう。今年こそ、リル皇妃陛下がいらっしゃるとよろしいですね」

振り向かずにそう言って、ライラは部屋に入ってしまった。
『リル皇妃』が来る事はない。ギルア皇妃、ライラ・リル・ギルアは、もうどこにもいないのだ。いるのは、茶色の髪と瞳をした、リル皇妃そっくりの美貌のシスト・ジュエルという名の少女だけ。
つい最近敷き変えられた夏用の絨毯の上に椅子を置くのと同時に、バルコニーから軽い早足程度の足音が聞こえてきた。

「まだ答えを聞いてないぞ」

追いかけてきたヴァイネルの声は聞こえていたが、ライラは振り返らない。背を向けたまますっとぼける。

「なぁにが?」

紫杏と二人でガタガタと椅子の位置を直しながら、それでも頭に浮かぶのは。

「どうして今回は素直に参加するのかって答えをまだ聞いていない」

ふぅ、と溜め息をついてライラは言った。

「陛下が丁度いいって言ったんでしょう?」

ギルアが祖国だと知って、丁度良いと言ったのはヴァイネルだ。
納得がいかないと言うように眉間にしわを寄せていると、今まで背を向けていたライラが振り返った。

───それでも、頭に浮かぶのは。

「私が、ギルアの皇帝陛下にお会いしたいからよ」

浮かんだ笑みの異常な美しさに、ヴァイネルは息を呑んだ。
近寄る事さえ出来ないような、不可侵の女神がそこにいる。あまりに神々しすぎて、逆に恐ろしい。
思わず背中を流れた汗と、粟立った肌がそれを物語っている。
凍り付く程に冷たく美しい笑みを浮かべたまま、ライラは繰り返した。

「お会い、したいのよ」

ここに来るのなら。
もう二度と、会いたくはなかったのだけれど。
ここに来るのなら、私はあなたを傷付ける。それだけは絶対に変わらない。


───それでも、頭に浮かぶのは・・・
壊れそうな程傷付いた、エメラルドの瞳。苦しくて、それでも堪えていた涙が飛び散る様。

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