帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

別れ②

「ここがハーリーン?そういえば私、この国に来るのって初めて」

ハーリーン。ギルア帝国よりも南に位置する、ハリシュア王国の首都である。
ギルアではまだ少し肌寒かったはずだが、ここは丁度良い暖かさのようだ。

「そこまで遠くもないのに、今まで一度も来た事が無かったのか?」

ハリシュア王国とギルア帝国の間にはもう一つ国がある。とは言ってもそこはギルアの藩属国なので、完全なる隣国といえるのはここハリシュア王国だ。なのにそんな国に来た事が無いと言うのが、連れの青年には不思議だったようだ。

「まぁね。カルスは仕事で何回か来た事があるんだけど、私はタイミングが合わなくって」

余程ライラとの相性が悪いのか、訪問の機会はことごとく潰れている。今回のように無理矢理とも言えるやり方ででもなければ、もしかしたら一生その機会は無かったのかもしれない。

「ところで」

ハーリーンの市で買ったフルーツを齧りながら、ライラは隣の青年に目を向けた。

「どうやってあれ手に入れるつもり?」

同じようにフルーツを齧り、ライラと同じ茶色の瞳で前方を見遣る青年。

紫杏しあん?」

風で揺れる細い茶色の髪を押さえて、ライラはその視線の先を追った。
紫杏しあんと呼ばれた青年は、ただじっと一点を見つめている。高台に聳え立つハリシュア王宮を。
ふ、と優しい笑みを浮かべ、ライラはバンバンと紫杏しあんの背中を叩いた。

「⁉⁉⁉」

驚きの表情で振り返る紫杏しあんに、口付けが出来る程顔を近付けて囁きかける。

「絶対取り戻してみせるから」

そして軽く頬に口付ける。

「こう見えてもこのライラちゃん、けっこう運がいいのよ?余程日頃の行いが良いのね」

暫く呆気に取られていた紫杏しあんだったが、やがてクスクスと笑い出した。

「そうそ、それでいいのよ。あなたが負い目を感じる必要は無いのだから。あなたが暗い顔をしていると、それこそ私は酷い人間になってしまうわ」
「そんな事は!」
「ん?」

そんな事はない。そう言おうと思った。けれどそれが彼女にとって何の意味もない言葉だと知っている。

「なんでもない」

彼女が明るく笑い続ける限り、自分には何も言う権利は無い。少なくとも紫杏しあんはそう思っていた。だから代わりに、精一杯の笑顔で抱き締めてやる。

「頑張ろう、な」
「うんっ」

子猫のようにごろごろと紫杏しあんの腕にじゃれつく。彼女にとって、紫杏しあんの温もりは何より自然なものだった。
そんな二人の姿は街の人々の目を釘付けにする。
二人ともかなりの美形だ。『絶世の』と付いても誰も文句を言えない程の。目立たない筈がない。例え髪も瞳も、この国では最もポピュラーな茶色をしていても、だ。
兄妹か、恋人か。街の人々は熱心に二人の様子を探る。すると突然、少女がこちらを向いた。切羽詰まった様子で叫んでくる。

「危ないっ!」

同時にライラは走り出していた。
そのただならぬ様子に、街の人々も息を詰めて振り返る。
少し幅の広い道だが、そこは馬車も入って来ない安全な道の筈だった。だから子供が遊んでいても気にしない。
───筈だったのだ。
一人の女性が、喉が張り裂けんばかりの叫びを上げた。
見つめる先には楽し気に一人ボールで遊ぶ子供。そしてそちらに猛スピードで走ってくる男の集団。手には抜き身の剣を掲げている。

「そこをどけえぇぇぇっ‼」

先頭を走っていた男が子供達目掛けて剣を振り下ろす。子供はただ、訳も分からずきょとんと立ち尽くすだけ。
男の目の前から子供が消え去ったのは、まさにその瞬間だった。横から飛び出したライラが、子供とぶつかるようにして男の視界の外に飛び出したのである。
勢いのまま少しの距離を横滑りしたが、もちろん子供は無傷だった。ライラの腕の中でしっかりと守られている。

「大丈夫?」

素早く起き上がってそう聞くと、あまりの事に硬直していた子供は火が付いたように泣き出した。ライラはほっと胸を撫で下ろす。

「良かった。もう大丈夫よ。ほら、お母さんの所に」

ぎゃあぎゃあ泣き喚きながらも、母親の所に一目散に掛けていく。

「おい」

優し気な瞳でそれを見送っていたライラだったが、一瞬の内にその瞳から色が抜け落ちた。
振り返らずともわかる。背後数センチ程度の場所に、鈍く光る刃。

「俺達は気が立ってるんだ。余計な真似は命を落とすぞ」
「あら、奇遇ねぇ。私も気が立ってるのよ」

ザッと一気に立ち上がりながら、男の剣を弾き飛ばす。

「なにっ⁉」

ライラの右手には剣。しかもそれは男の首にピタリと押し当てられていた。

「け、剣なんてどこから・・・」

知らずに浮いた冷や汗が、冷たい剣を伝って地面に落ちる。

「さあね。どこだっていいでしょ、別に。ところであなた、もしかして盗賊?」

首筋に触れる剣が僅かに食い込む。微妙な力加減だが、男には嫌という程わかってしまうのだ。

「追いかけられてるんでしょう?来たわよ、逃げないの?」

逃げる事など出来やしない。
盗賊の男だってそれなりに剣には自信があった。だから感じてしまうのである。相手の強さを。

「・・・気が立ってるってのはまんざら冗談でもなさそうだな。盗賊いじめて憂さ晴らし、か?」

勝てない相手に喧嘩を売る程馬鹿ではないという感じで、男は軽口を叩く。

「まさか。憂さなんか晴れるわけないでしょう。あんたが子供達に剣を向けなかったら、私は係わるつもりなんかなかったわ」

少し考えて男は言った。

「自業自得って事か」
「まぁね。ホントは盗賊やってる時点で、だけど」

苦笑で締め括ってから、さてとと振り返る。

紫杏しあん!」

長い茶色の髪を後ろで緩く束ねた青年は、すぐに振り返ってきた。
何でもない、ただその姿を見ただけで自然と口許が綻ぶ。イライラとした気持ちまで吹き飛んでしまう。紫杏しあんがいるだけで、ライラには救いになっているのだ。

「盗賊は全部捕まえた。後はそちらに任せるだけだ」

顎でくいっとライラの背後を示す。どうやら盗賊を追いかけて来た兵士達のようだ。呆然と立ち尽くしている。
そんな彼らの代わりに、今までずっと様子を見守っていた街の人々が大きな歓声と共に駆け寄って来た。我先にと話し掛けてくるが、あまりにも大勢の声が混ざっているので何を言われているのかのか理解出来ない。

「え、ちょっ、紫杏しあん⁉」

凄まじ過ぎる迫力に思わず固まっていた紫杏しあんは、少々の責めが潜む声で我に返った。
もみくちゃにされそうになっているライラに助け舟を出そうと口を開きかけたその時。

「静まれ」

決して大きくはないが、聞き逃す事の出来ない威厳に満ちた声。
あれだけ騒がしかった街の人々が一斉に口を閉ざし、声の主を振り返る。

「こっ、こっ、こっ!」

鶏か壊れたロボットか。住人の一人が真っ青になって「こ」を連発する。
それが住人達に気付かせた。見事なハモリで叫ぶ。

『国王陛下っ‼』

そこに立っていたのは紛れもなくこの国の王、その人だった。

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