モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件
番外ルリア編 埒外の動き(後)
「ですが……どうして?」
隣に並んだアルフレッドさまに、私は取り繕うことなく、驚きの混じった視線を向けます。
これまで接していた中、私の目線からは、彼が隠し事をしているようなわだかまりを見出すことはできませんでした。
「今の君ではないが、はじめは私が問い質した」
私の疑問に答えたのはロバートさまです。
「あの時のアルフレッドは、エヴィデンシア家当主の座を継いだ私。――本来ならば二心無く仕えるべき主と、父上の間で忠誠のありかに悩んでいた。表面上は取り繕っていたが、私が物心ついた頃から執事として身近にいたのだ。その様子に気付くのには時間が掛からなかった」
その言葉を耳にして、アルフレッドさまが普段では見ることのない好々爺然とした笑みを浮かべます。
「失礼ながら、ロバートさまから我らの秘密について言及されたあのとき――あのときほど驚きと嬉しさを感じたことはありませんでした。そしてご自身の内に秘めていたことを告げられ、アンドルクの処遇は、オルドーさまの意の通りにするようにと仰った。私はあの日――ロバートさまは確かに、エヴィデンシア家当主足る器であったと、そう確信いたしました」
ロバートさまに向けていた優しげな笑みを悪戯っぽいものに変えて、アルフレッドさまは私と視線を合わせました。
「……つまりアルフレッドさま。貴男はエヴィデンシア家当主であるロバートさまの意向の通りに動いているということですね」
彼は言葉を発せず笑みを浮かべたままですが、あきらかに肯定の意を示しています。
これまでの彼の態度にわだかまりを感じなかったのは、誠に主に仕えているという、執事としての矜持が全うされていたからだったとは……。
「そういうことだ。私は、アルフレッドから父上やアンドルクの得た情報を伝えてもらっている。その情報を友たちと共有して、私たちは別の方向からバレンシオ伯爵の勢力を探っているのだ。幸いなことに友の一人は、法務部で力を持つ人物と繋がっているのでね。もしもこの先ルリアが深入りしすぎるようであれば、そちらに動いてもらうことでバレンシオ伯爵の目を我が家から逸らせるかも知れない」
「……そこまで考えて……」
先ほどの言ではないですが、ロバートさまは、この先ルリアを制止することは難しいと考えて行動しているのですね。
確かに、オルドーさまを通した繋がりは、法務部を含めてバレンシオ伯爵に見透かされているようです。
もしその彼らがバレンシオ伯爵の配下の無法者たちを捕縛したとしたら、これまでの経緯を考えてもその報復はエヴィデンシア家に向かうでしょう。
ですが、その繋がりから外れている人たちに捕縛されたとしたら。
バレンシオ伯爵たちは、自分たちの不手際による露見を疑うことになるでしょう。
それだけで、エヴィデンシア家の安全は天と地ほどに違うものになるはずです。
脳裏に甦ったあの日の遣り取り。
……そう、ロバートさまはあの日私に語った事を実行された。
彼が持つ情報から、ルリアたちの身を守るために、これ以上の深入りを止め、さらにエヴィデンシア家にとって最も利となると判断したのでしょう。
それでも、ルリアがロバートさまの――この家のためを思っての行動を途絶えさせた彼の決断に、私は僅かに腹立ちをおぼえていました。
それ故に私はあえて疑問を呈します。
「しかし……いま彼らを捕らえたのでは、地上に出た枝葉を刈るだけで、根を絶つことは難しいのでは?」
私の口から出た言葉は、少々キツいものであったかも知れません。
ですが彼は、全てを包み込むような表情を浮かべて答えます。
「そうだね。だが今はそれも已む無しだ。今回の検挙によって、人身売買組織の力は弱まるだろうし、貴族家に送り込まれていた凶手たちも排除できるだろう。そして今回その指揮を執っているディクシア捜査局局長。彼の法務部内での力が高まる。それはきっと来年に行われる法務卿改選に大きな影響を与えるはずだ」
ディクシア伯爵家。
エヴィデンシア伯爵家と競うように法務卿を排出しているオルトラント王国の法の番人。
両家共に一族が長く法務の職にあり、それなりの交流もあったでしょうが、オルトラント王国だけでなく、マーリンエルト公国に聞こえてきた噂においても、両家の関係は敵手であると考えられていました。
ただ敵手とは言っても、ロバートさまの話によると、情のエヴィデンシアと律のディクシアと呼ばれるように、罪人やその犯した罪に対しての考え方の対立であって、両家共に王国の安寧を強く願っていることには変わりは無いそうです。
かの家の当主はトゥール・カスクート・ディクシア伯爵。
ロバートさまが密かに通じている相手、オルタンツさまの父上であるそうです。
「先を見据えての一手である……そういうわけですか?」
「アネット。私はね、バレンシオ伯爵の罪を暴き出す戦いは、一朝一夕で片のつくものではないと考えている。父上の失敗から十年あまり。未だにあのとき父上たちが掴んだ以上の証拠を手にできずにいる。それに今では財務卿としてオルトロス陛下の信任も厚い。これまで国境での諍いを収め続け、従兄弟でもあるデュランド軍務卿の『重用しすぎは危険だ』という注進ですら退けたそうだ。決定的な証拠を積み上げない限り告発すら難しいだろう。下手をすれば次代の王の御代にまで引きずることになりかねない。……だが、一つだけ光明があるとすれば、バレンシオ伯爵……モルディオ・ドラバント・バレンシオは人間だ――ということだ。人である以上寿命がある。かの伯爵は異常なほど慎重な男だ。だが嫡子のローデリヒは私の知る限り、直情的で隠し事に向かない性格をしている。彼がモルディオ卿の暗部を引き継げばたちどころに尻尾を見せるだろう。自身で決着を付けたいと考えている父上には申し訳ないが、最悪でもモルディオ卿の寿命まで家名を繋ぐことさえできれば……」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているように響きます。
話すうちに心の底にある心情が表出したのか、彼は眉間に皺を寄せて深刻な表情になっていました。ですが不意にその表情が柔らかいものになります。
「もしも……それまで我が家の体力が持たなかったとしても……。我が子の未来にだけは光明を残したいものだ」
私に向かう彼の視線は、私ではなく遙か先の未来を見詰めているように感じられました。
そう……それはきっと、ルリアの内に宿った新たな命に対する、親としての覚悟の発露です。
そして私もまた、ルリアとその子を守る決意を新たにするのでした。
隣に並んだアルフレッドさまに、私は取り繕うことなく、驚きの混じった視線を向けます。
これまで接していた中、私の目線からは、彼が隠し事をしているようなわだかまりを見出すことはできませんでした。
「今の君ではないが、はじめは私が問い質した」
私の疑問に答えたのはロバートさまです。
「あの時のアルフレッドは、エヴィデンシア家当主の座を継いだ私。――本来ならば二心無く仕えるべき主と、父上の間で忠誠のありかに悩んでいた。表面上は取り繕っていたが、私が物心ついた頃から執事として身近にいたのだ。その様子に気付くのには時間が掛からなかった」
その言葉を耳にして、アルフレッドさまが普段では見ることのない好々爺然とした笑みを浮かべます。
「失礼ながら、ロバートさまから我らの秘密について言及されたあのとき――あのときほど驚きと嬉しさを感じたことはありませんでした。そしてご自身の内に秘めていたことを告げられ、アンドルクの処遇は、オルドーさまの意の通りにするようにと仰った。私はあの日――ロバートさまは確かに、エヴィデンシア家当主足る器であったと、そう確信いたしました」
ロバートさまに向けていた優しげな笑みを悪戯っぽいものに変えて、アルフレッドさまは私と視線を合わせました。
「……つまりアルフレッドさま。貴男はエヴィデンシア家当主であるロバートさまの意向の通りに動いているということですね」
彼は言葉を発せず笑みを浮かべたままですが、あきらかに肯定の意を示しています。
これまでの彼の態度にわだかまりを感じなかったのは、誠に主に仕えているという、執事としての矜持が全うされていたからだったとは……。
「そういうことだ。私は、アルフレッドから父上やアンドルクの得た情報を伝えてもらっている。その情報を友たちと共有して、私たちは別の方向からバレンシオ伯爵の勢力を探っているのだ。幸いなことに友の一人は、法務部で力を持つ人物と繋がっているのでね。もしもこの先ルリアが深入りしすぎるようであれば、そちらに動いてもらうことでバレンシオ伯爵の目を我が家から逸らせるかも知れない」
「……そこまで考えて……」
先ほどの言ではないですが、ロバートさまは、この先ルリアを制止することは難しいと考えて行動しているのですね。
確かに、オルドーさまを通した繋がりは、法務部を含めてバレンシオ伯爵に見透かされているようです。
もしその彼らがバレンシオ伯爵の配下の無法者たちを捕縛したとしたら、これまでの経緯を考えてもその報復はエヴィデンシア家に向かうでしょう。
ですが、その繋がりから外れている人たちに捕縛されたとしたら。
バレンシオ伯爵たちは、自分たちの不手際による露見を疑うことになるでしょう。
それだけで、エヴィデンシア家の安全は天と地ほどに違うものになるはずです。
脳裏に甦ったあの日の遣り取り。
……そう、ロバートさまはあの日私に語った事を実行された。
彼が持つ情報から、ルリアたちの身を守るために、これ以上の深入りを止め、さらにエヴィデンシア家にとって最も利となると判断したのでしょう。
それでも、ルリアがロバートさまの――この家のためを思っての行動を途絶えさせた彼の決断に、私は僅かに腹立ちをおぼえていました。
それ故に私はあえて疑問を呈します。
「しかし……いま彼らを捕らえたのでは、地上に出た枝葉を刈るだけで、根を絶つことは難しいのでは?」
私の口から出た言葉は、少々キツいものであったかも知れません。
ですが彼は、全てを包み込むような表情を浮かべて答えます。
「そうだね。だが今はそれも已む無しだ。今回の検挙によって、人身売買組織の力は弱まるだろうし、貴族家に送り込まれていた凶手たちも排除できるだろう。そして今回その指揮を執っているディクシア捜査局局長。彼の法務部内での力が高まる。それはきっと来年に行われる法務卿改選に大きな影響を与えるはずだ」
ディクシア伯爵家。
エヴィデンシア伯爵家と競うように法務卿を排出しているオルトラント王国の法の番人。
両家共に一族が長く法務の職にあり、それなりの交流もあったでしょうが、オルトラント王国だけでなく、マーリンエルト公国に聞こえてきた噂においても、両家の関係は敵手であると考えられていました。
ただ敵手とは言っても、ロバートさまの話によると、情のエヴィデンシアと律のディクシアと呼ばれるように、罪人やその犯した罪に対しての考え方の対立であって、両家共に王国の安寧を強く願っていることには変わりは無いそうです。
かの家の当主はトゥール・カスクート・ディクシア伯爵。
ロバートさまが密かに通じている相手、オルタンツさまの父上であるそうです。
「先を見据えての一手である……そういうわけですか?」
「アネット。私はね、バレンシオ伯爵の罪を暴き出す戦いは、一朝一夕で片のつくものではないと考えている。父上の失敗から十年あまり。未だにあのとき父上たちが掴んだ以上の証拠を手にできずにいる。それに今では財務卿としてオルトロス陛下の信任も厚い。これまで国境での諍いを収め続け、従兄弟でもあるデュランド軍務卿の『重用しすぎは危険だ』という注進ですら退けたそうだ。決定的な証拠を積み上げない限り告発すら難しいだろう。下手をすれば次代の王の御代にまで引きずることになりかねない。……だが、一つだけ光明があるとすれば、バレンシオ伯爵……モルディオ・ドラバント・バレンシオは人間だ――ということだ。人である以上寿命がある。かの伯爵は異常なほど慎重な男だ。だが嫡子のローデリヒは私の知る限り、直情的で隠し事に向かない性格をしている。彼がモルディオ卿の暗部を引き継げばたちどころに尻尾を見せるだろう。自身で決着を付けたいと考えている父上には申し訳ないが、最悪でもモルディオ卿の寿命まで家名を繋ぐことさえできれば……」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているように響きます。
話すうちに心の底にある心情が表出したのか、彼は眉間に皺を寄せて深刻な表情になっていました。ですが不意にその表情が柔らかいものになります。
「もしも……それまで我が家の体力が持たなかったとしても……。我が子の未来にだけは光明を残したいものだ」
私に向かう彼の視線は、私ではなく遙か先の未来を見詰めているように感じられました。
そう……それはきっと、ルリアの内に宿った新たな命に対する、親としての覚悟の発露です。
そして私もまた、ルリアとその子を守る決意を新たにするのでした。
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