モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

番外ルリア編 埒外の動き(前)

 日を跨いで屋敷へと戻った私たちですが、まずは酷い吐き気に襲われているルリアを、普段は使われていない客間へと運びました。
 簡単な医療の心得があるという家政婦のロッテンマイヤーに、ルリアの状態を確認してもらったところ、毒を受けたわけではないと判明して一安心しました。その直後彼女が身籠もっていると聞かされ、私たちはひとしきり喜ぶこととなりました。
 嘔気がおさまったルリアが寝付いたのを確認してから、私は別の部屋へと移動します。

「ルリアの様子は?」

 ロバートさまが、私が書斎へと入るなり心配顔を向けました。
 彼がいる執務机の上には、手元を照らすランプが置かれ、書きかけの手紙が広げられています。
 筆が進んでいないようで、挨拶文を認めたくらいのところで手が止まっているように見えました。

嘔気おうきも収まって先ほどお休みになりました。既にお耳に入っていると思いますが、おめでとうございます」

「ありがとう……貴女の働きには本当に感謝している」

 彼の言葉は儀礼的なものではない重さがあります。
 
「ルリアの身を、その側で直接守ることは、私には絶対に出来ないことだからね……」

「それについては、ガーンドさまに促されはしましたが、私の意思でもあります。ただ、あの娘を守る為とはいえ、その本人を欺いていることには心が痛みます」

「……すまない。だがあなたたちが協力してくれていることで、私も彼らとの連携がとれている」

「それで今だったのですか? 確かに、結果としては最良の機会であった事は確かですが……」

 私たちがあの場で戦っていたとき、ルリアは馬車の進行方向に、多くの人の気配を感じて伏兵を警戒していました。
 結局戦闘中に、その人の気配が私たちの方へとやって来る事はありませんでしたが、そちらで騒動があったことは私にも感じられました。
 私たちはその騒動に巻き込まれないようにあの場を離れましたが、私にはその騒動がどのようなものであったのか想像できました。
 そして、その騒動が起こる原因となった人物にも心当たりがあったのです。
 そう、その騒動を起こしたであろう人物……目の前に居るロバートさま。彼の真意を探るように、私はその表情を伺います。

「これ以上ルリアたちを危険に晒させたくなかった……。我が家に掛かった汚名を払うために、彼女や使用人たちがその命を失うようなことは、万が一にもあってはならない。先日デュランド公爵も言っていたが、生きていてこそだ。……私はそう思う」

 そう想いを吐き出した彼の表情には、私が以前彼を問い詰めたときと同じ、強く家人を思う心情が表れていました。


 結婚したルリアに付き従ってオルトラントにやって来た私は、ほどなくして彼に対して大きな疑念を感じていました。
 あれは、トナムさんを屋敷に匿ってから少しばかりたった頃。
 その日、ルリアに知られぬようロバートさまと二人きりになれる機会を見つけた私が、彼に疑念をぶつけたのは、やはりこの書斎でのことでした。

「ロバートさま……貴男、杖が無くても歩けるのではありませんか?」

 私がそう問い掛けたときの彼の表情は、驚きよりも諦念に満ちていました。

「やはり、誤魔化しきれないか。……それで、ルリアも気付いたのだろうか?」

「あの娘、いえ奥様が気付いていないからこうして伺っているのです。彼女は貴男を信じ切っていますし、近くに居すぎて逆に気付けないのでしょう。私は一歩引いた位置からお二人を見ておりますから」

 ロバートさまの身体の使い方、ほんの僅かな動きの違いです。
 私が始めてルリアから彼を紹介されたのは、療養施設からオーディエント家の屋敷へと移ったばかりの頃でした。
 その時の、ルリアに介助されながら杖をついて、動かなくなってしまった右の腰から足先までを、引き摺るようにして歩いていた彼の身体の使い方。
 今の彼の動きには、なるべくその時の状態に見せようとでもしているような、そんな違和感があるのです。
 しかしそれは、はじめから一歩離れた立ち位置で彼を見ていた。そんな私だからこそ気付いた違和感なのかも知れません。

 ただ問題は、彼が何故そのように装っているのか? それが分からなかったことです。
 彼が何か邪な心を持ってそのように装っているのなら、たとえ好いた相手であろうと、あのルリアが気付かないわけがありません。

 私の言葉を受けた彼は、僅かに安堵の息を吐き、そして言葉を紡ぎます。

「ならばアネット。このことはルリアには内密にしてほしい。いずればれるかも知れないその時まで……」

 切実に響く彼のその言葉に対して私は――静かに首を振りました。

「それはロバートさま、貴男の答えが私を納得させたらです。私は、あくまでもルリアさまの守り手としてこの国に居るのですから」

 私の返事に対して、彼は何故か嬉しそうな笑顔になります。
 続けて彼の口から出た言葉は、私がまったく予想もしていないものでした。

「ならば、理解しわかってもらえるかも知れないな。それはね……彼女。ルリアの重しとなるためだよ」

「えっ?」

 頭の中で彼の言葉が意味を成しません。
 僅かな混乱に陥った私を置いて、彼はさらに言葉を続けます。

「アネット。君は私が、元々法務部への任官を目指していたことは知っているね。父上がバレンシオ伯爵の犯罪を暴くことに失敗して、法務卿の地位を辞し家督を私に譲ることとなったのは、丁度私が成人した十三歳になったばかりの年だった。当時創立されまだ日の浅かったファーラム学園に通って二年目のことだ。……あの件以来、バレンシオ伯爵による陰日向なく行われた嫌がらせもあって、私の周りからは多くの友が去り、望んでいた法務官への道も閉ざされた。それでもデュランド公爵を初め数少ない支援者のおかげで、軍人として軍務部への任官が叶ったわけだが……」

 右腰に手を当てた彼の顔に悔しさが滲みました。

「この怪我を負って、右足が二度と元には戻らないだろうと知ったあのとき……私は、それまで精一杯保っていた矜持が崩れ去り、死ぬことさえ考えた。……だがそんなとき私を叱りつけ、奮い立たせてくれたのはルリアだった。こんな私を愛し、家が没落へと向かっていることを知りながら、私の元に嫁いでくれた彼女……いまの私が第一に考えていることは、ルリアの身を絶対に守るということだ」

「それが何故、ルリアさまの重しとなる事になるのですか?」

「君だって分かっているだろ。彼女は強すぎるんだ。ルリアは眉尖刀を手にした戦いにおいて、おそらくこの国で対等に渡り合える人間は、ほんの一握りだろう。マーリンエルトでさえ、お父上のガーンドさま以外では、兄上でさえ一歩譲ると仰っていた。だがそれ故か彼女は、武力だけではどうにもならない相手が、この世界には居るのだと知らない」

 確かに、彼女は力業で物事を解決する傾向があります。
 それに私とルリアの力は一見拮抗しているように見えます。しかしそれは、私が彼女が幼い頃から鍛錬の相手をしていたこともあり、性格や癖を知り尽くしているからです。純粋に戦闘能力だけを比べるならば、私は五戦して一度ほどしか勝てないでしょう。

「それほどルリアさまのことを分かっているのならば、言い含めればいいではないですか」

「ルリアが言葉だけで納得すると思うかい?」

 私は反論できず言葉に詰まりました。
 もしもオーディエント家が、今のエヴィデンシア家のような状況に置かれていたとしたら。
 あの娘が単身、元凶の元へと乗り込んで大立ち回りをする場面しか想像できません。
 たぶん国に、家との絶縁届を出すくらいの手は打ってから働くとは思いますが……。

 現状、自国ではなく、またエヴィデンシア家当主夫人という立場があるため、私から見てもかなり自重していることは確かです。ですがいつ暴発するか分かったものではありません。
 ガーンドさまが、私をルリアの元へ赴くように仕向けたのは、彼女を守ることも確かですが、彼女をたしなめる為でもあるはずですから。

「だからこそだよ。私のこの身が、介添えが必要なほどに不自由であると、そう思ってくれている限り、この身を按ずる彼女は、慎重に行動してくれるはずだ。……それに私の身が不自由になり、父上が使用人たちの真実を私に知らせないと決断した。それによって、彼らが血気に逸った行動をすることも抑えられるだろう。父上は使用人たちを使って、バレンシオ伯爵の身辺を探らせてはいるが、元々その身に危険が及ぶようならば命を第一にするように言い含めているようだしね」

「ロバートさま!? 貴男、彼らの真実を……」

「知っているさ。幼い頃ならばいざ知らず、少ないながらも学園や軍務部で他家の内情を耳にすることもあるのだから」

 ああ、この人は……身体のこともそうですが、あえて何も出来ず。何も知らぬと装うことで、ルリアや使用人たちの身を守ろうとしていたのですね。……家人にさえ無能と誹られかねないというのに。
 私は彼の事を見誤っていたようです。
 正直今この瞬間まで、何故ルリアが国を捨ててまで彼の事を選んだのか、それが理解できずにいました。
 あの娘は、本能的にロバートさまの懐の深さ……愛の深さに気付いていた。
 しかし、ルリアやアンドルクの方々を思いやっての事だとは分かりましたが……。

「それならば、何故お父様――オルドーさまにまでそのことを隠しているのですか?」

「父上が、デュランド軍務卿や法務部の有志と共に、今でもバレンシオ伯爵の悪事を暴き出そうとしていることは知っているね。……だが食事会の件で解るとおり、父上たちの動きはバレンシオ伯爵に見透かされている。アネット――私にはね、数は少ないが友がいる。この国の未来を憂う友たちが……」

 彼は、普段見せることのない決意に満ちた表情を浮かべて私を見つめます。

「私は友たちと共に、いまだバレンシオ伯爵の目にとまらない勢力として、王国を蝕む彼らの力を削ぎ、できることならばその悪事を暴き出すつもりだ」

 それは、とても重大な告白でした。
 バレンシオ伯爵の悪事を暴き出そうとする父親たちの動きをさえ囮にして、彼はその影から、信頼を置くという友たちと共にこの国の闇を払おうと戦っていた。

「どうだろう……納得して貰えただろうか?」

「それについては。ですがそうなると新たな疑問が……。先ほどの話を聞く限りロバートさまは、オルドーさまの部屋で行われた私たちの会話をご存じの様子。申し訳ございませんが、たとえ杖をつかずに歩けたとしても、私もルリアさまも貴男の気配を見逃すことはありません。……もしかして、アンドルクの中にも貴男の事情を知っている人が?」

 私たちに気配を読ませない使用人……。私には一人しか心当たりがありません。

「……セバスどのですか?」

 私がそう口にすると、カチャリと音を立てて扉が開かれ、一人の人物が書斎へと入ってきました。

「あっ、貴男は!?」

「これは、驚かせてしまいましたかな。アネット嬢」

「……そうですか。確かに貴男ならば、ロバートさまの秘密を他の使用人たちには知られることなく、オルドーさまやアンドルクたちの動きを掌握できる…………アルフレッドさま」

 そう、ロバートさまに通じていたのは、私たちがオルドーさまに恭順していると考えていた、執事のアルフレッドだったのです。

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