モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

番外編 若きアンドルクの悩み(三)

「クゥッ! そんな……」

 己のふがいなさに、唇を噛んで言葉を発することができずにいたチーシャの横でフルマが、悔しげに吐き捨てた。
 二人が睨み付ける闇の向こうに消えていった、グラードルとアルメリアを拉致した賊たち。

『いいか……決して二人だけで俺を追うとするな。セバスに伝えるんだ。俺の馬フォルクを使え、すぐに走れば軍が封鎖する前に領境を越えられるはずだ』

 そう言い残して賊に投降したグラードルの姿が、二人の頭から離れない。
 演習の為に張られた簡易の天幕。それを支えていた縄が切り払われて、この一帯では多くの天幕が潰れていた。
 夜間、火を放たれたらしきいくつかの天幕からは、揺らめくような火の手が上がっている。
 賊に投降する途中、グラードルが半端に倒れた天幕の側を通った時に独り言のように言った言葉。明らかに天幕の陰に隠れて様子を窺っていたフルマとチーシャ向かって放たれた言葉だった。
 自分たちはなんということをしてしまったのだろう……、夜襲を想定した抜き打ちの即応訓練が終わり、気が緩んだその時を狙ったように襲い来た野盗らしき賊たち。
 フルマとチーシャは、自分たちの姿を晒さないように影からグラードルたちの小隊に加勢したが、日中の演習で張り切りすぎて倒れてしまっていたアルメリアが人質に取られてしまった。
 そのとき二人は、アルメリアを救い出す隙を見つけたものの、彼らの要求を耳にして逡巡してしまったのだ。
 それはアルメリアの身柄と引き換えにグラードルを引き渡せという言葉を耳にしたからだった。
 この要求に対してグラードルがどう答えるか……、エヴィデンシア家に仕えてより揺らぐこととなった自分たちの彼への評価。
 自分の身が危険に晒されるこの状況、きっとグラードルは本性を現すはずだ……。
 そう考えてしまったからだった。
 だが彼はまったく躊躇することなく、賊に投降することを決断した。
 まるで未練のように残っていた二人のちっぽけな矜持プライドは完全に粉砕され、次にやって来たのは深い後悔だった。
 しかも、結局アルメリアも解放されることなく、野盗たちは二人を人質としたまま夜闇へと紛れて去っていったのだ。
 後悔の思いに沈み込もうとする自分を叱りつけるように、チーシャはグッと奥歯を噛みしめて、一度大きく首を振った。

「……行こうフルマ。もう意固地になってる場合じゃない」

「そうだね……ご主人様を救う為に私たちが今やらないといけないことを……でもチーシャ、あいつら何か様子がおかしくなかった?」

「そういえば……なんだかご主人様が投降して戸惑っていた奴が居たような……いや、今はそんな事考えてる場合じゃないよ」

 今から走れば、遅くとも夕になる前に屋敷にたどり着けるはずだ。
 いまだ騒然として動き回っている騎士や歩兵たちの隙を見て、二人はグラードルの愛馬フォルクを連れ出すと、一路王都へと走ったのだった。



「一体何があったのですか?」

 真っ直ぐに自分たちを見つめて、そう問い掛けたフローラにフルマもチーシャも圧倒された。
 自分たちが屋敷に辿り着くのと前後して学園より帰ってきた彼女。
 グラードルが何者かに拉致されたという報告を聞いて、僅かに気を失いそうになった彼女は、グッと足を踏ん張り意識を保った。
 その様子を目にしたフルマとチーシャは、自分たちよりも一つ年下の彼女が、その年齢よりも僅かに幼く見える容姿からは想像できないほどの胆力を持ち合わせた人間だったのだと目を見張った。
 ロバートの言葉で応接室に移動したフルマとチーシャは、応接室の席に座ることを促され、腰を落ち着けたところで、彼女からそう声を掛けられたのだ。
 二人は顔を見合わせて、互いに意識を交わすとゆっくりとチーシャが口を開く。

「昨夜……いえ、もう真夜中を過ぎていたかも知れません。ご主人様たちの隊を含む中隊が夜襲を受けたのです……」

 途中、息をついたチーシャの後をフルマが継いで説明を続けた。

「……ご主人様はアルメリア様の解放を条件として投降なされたのですが……その約束は破られてしまいアルメリア様はご主人様とご一緒に……」

「そっ、そんな…………」

 グラードルが賊に投降した経緯を伝えた二人は、目の前の長テーブルの上に視線を落とした。
 二人の表情には明らかな後悔の念が滲んでいる。
 フルマがテーブルの下で拳をギュッーと握ると、その拳の上にチーシャが手を重ねた。
 フルマが肩を震わせていると、チーシャが何かを思い出したように、少し戸惑い気味な様子で口を開く。

「ただ、そのことに関してなのですが――私には賊たちの間でもめているように見えました。それがなんとも不可思議で……」

 チーシャが言ったのは、グラードルが投降したときに賊たちの間で起こったザワつきに対しての疑問だった。
 二人の報告を聞いたフローラは、少し考え込むと頭に浮かんだ考えを吟味するような様子で口を開いた。

「旦那様の身柄を要求なされたということは、身の代金が目的ということでしょうか?」

 彼女はそう口にしたものの、自分でもその考えに納得がいっていない様子だった。

「だが、我が家には身の代金を払えるような資産は無いぞ」

 ロバートがそう言って苦悩の表情を浮かべる。

「お父様、旦那様のご実家は王国でも有数の資産をお持ちです……」

 確かに、初めからグラードルの身柄を要求してきた以上、彼がルブレン家の人間であることは承知しているだろう。ということはルブレン家がらみの事件ということになる。

「ムムッ、もし身の代金が目的だとすると我が家には連絡が来ない可能性もあるな、ならばルブレン家にも事態の報告をした方が良いのではないか」

 フルマとチーシャもロバートと同じようにルブレン家に連絡を取るべきだと考えた。
 しかし目の前に座るフローラは納得が行かない様子で口を開いたのだ。

「お待ちくださいお父様。やはり少々違和感がございます。確かにいま、私も身の代金を目的とした拉致を考えました。ですが襲撃してきた賊の行動を考えますと――彼らの襲撃は、相当に綿密な計画を立てて行われてはおりますが、これは本当に彼らの思惑通りの事態なのでしょうか?」

「どおいうことだフローラ?」

 疑問顔のロバートと同じように、フルマとチーシャもフローラの思考についていくことができずにいた。
 それに、おっとりして威厳が感じられないと思っていた彼女が、明らかに自分たちよりも遙かに深く、この事態の本質を掴んでいることを理解できたのだ。

「いえ、うまく行きすぎたと思うからです。考えてもみてください。いくら夜間であったとしても彼らが襲撃したのは軍隊なのです、なりふり構わず旦那様を亡き者とするのが目的ならばまだしも、拉致などまず成功するわけがございません。もしかするといまの事態に彼らの方が戸惑っているかも知れません。いえ、厳密に言いますと、実行者は違うかも知れません。ですがこの襲撃を計画した者は……」

「ではその賊をけしかけた者とやらは何を考えていると思うのだ、フローラ」

「彼ら、というよりも彼らを使った人間の目的は忠告、いえ警告なのではないでしょうか……成功する必要は無かったのでは」

「何故だ。何故そのような……」

「先日、旦那様がお父様にも話しましたとおり、旦那様とディクシア法務卿、捜査局長のライオット様は、バレンシオ伯爵の手の者が、貴人である白竜の愛し子、リュートさんと、聖女マリーズを我が家の敷地内で手に掛けるのではないかと危惧しておられました。ですが……私たちはそれ以外の何かに気付いていないのかも知れません」

 ロバートがフローラの言葉を吟味するようにしばしの間考え込んでから、戸惑い気味に口を開いた。

「だがそれでは……バレンシオ伯爵の勢力の中に、我が家に味方するものがいるということになるが……」

「いえ、味方とは限りません。その勢力の中に、バレンシオ伯爵に軽々しい行動をしてほしくない方がいるとすれば、我が家に警戒を高めるように示唆するのではないでしょうか」

 そう言ったフローラには、明らかにその人物の目処が立っていると、フルマとチーシャの目には映ったのだ。
 なんという御方だろうか……。
 多くの人たちから農奴娘よと馬鹿にされ、蔑まれていた彼女の、その身の内に秘めた能力ちからを目にして、フルマもチーシャも唯々圧倒されるばかりだった。

「しかし、これは私が考えた一つの可能性です。本当にただの身の代金目当てで起こされた襲撃である可能性もございます。身の代金目当てであるのならば、相手の出方をうかがってから動いた方が良いでしょう。しかし私は、先ほど言った可能性を軸に動きたいと考えます」

「あれだけの報告で、そこまでお考えになるのですか……」

 そう――呟いたのはフルマだろうか、チーシャだろうか、互いに同じ思いで自分たちの主である彼女の深い思考力に感動を覚えずにはいられなかった。
 フローラ様の後ろに控えているメアリー姉さんが、まるで彼女のことを誇るように、優しい視線を向けていた。
 大旦那様と大奥様の背後に控えるセバス様は、当たり前のことのように澄ましてこの様子を見守っている。
 ……セバス様も、メアリー姉さんも、初めからフローラ様のこの聡明さを理解していたんだ。
 これほど聡明な御方が、まるで疑う様子も無くグラードル様を慕っておられる。
 フルマもチーシャも、過去の記憶に囚われるあまり、曇った目で今のご主人様を見ていた。
 その結果がこの事態だ。

「これまでの経緯がありますからね。それよりも、フルマ、チーシャ、旦那様たちを拉致した賊たちがその後どのような行動をしたのか分かりますか?」

 思わず漏れた言葉に応えて、フローラがさらに問いただす。
 フルマとチーシャは視線を交わした後、できるだけ正確にその時の状況を伝えた。
 二人の説明を聞いたフローラは、一度軽く瞳を閉じたあと、しっかりと見開き決然とした様子で口を開く。

「メアリー、私、法務部へまいります。供をお願いします」

「はい、奥様」

 フローラの斜め後ろに控えていたメアリーが、感情の揺らぎ無く答えた。
 それは、彼女がそう行動することを分かってでもいたようだった。

「お前まさか……」

「……フローラ」

 ロバートとルリアがフローラの決心を心配顔で見つめている。

「お父様、お母様。私、旦那様を救いにまいります。その前に、ディクシア法務卿かライオット捜査局長に事の次第を報告してまいります」

 そう言って席を立ったフローラに、フルマとチーシャも席を立って声を上げた。

「あっ、あの奥様。ご主人様は、あたしたちに気付いておられました。そして賊に投降する前、あたしたちに無茶をしないようにと言い含めました。でなければあたしたちはご主人様を自分たちだけで救い出そうとしたでしょう。ですから奥様も無茶はなされないでください」

 フルマがそう言い、隣でチーシャも訴えるようにフローラを見つめる。

「ありがとうフルマ、チーシャ。貴女たちはゆっくり休んでください。それに、私が旦那様を救いに行くのは決して無茶なことをしようと思っているのではないのです。旦那様の居場所を見つけられる可能性があるのが私だから行くのです」

 その視線を受けたフローラは、二人に向けてこの日始めて、いつものおっとりとした微笑みを向けたのだ。
 少し前までならば、『貴族の小娘に何ができるのか』と、そう思っただろう。
 だが今のフルマとチーシャには、この方ならば、きっとなんとかしてしまうのではないか。そう確信させるにたる確かな信頼感が、いつの間にか胸中にしっかりと根付いていたのだった。

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